いよいよ開幕したワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表の心臓部で、柴崎岳(ヘタフェ)の存在感が増している。ゴールを予感させる正確なプレースキックに加えて、左右両足から繰り出される縦パスで西野ジャパンの攻撃を加速させる。常勝軍団・鹿島アントラーズからスペインへ旅立ったのが昨年1月。新天地で苦しみながらも心技体を成長させた26歳のボランチは、青森山田高校時代から評価されてきた類稀なサッカーセンスを、初めてのワールドカップで解き放とうとしている。

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    西野朗監督と柴崎岳

日本代表の歴史上で生じている空白の時間

日本代表の歴史上で生じていた、実に4年9カ月にも及ぶ空白の時間にあと数センチで終止符が打たれるところだった。

オーストリア・インスブルックで、南米パラグアイ代表と対峙した12日の国際親善試合。日本が1点のビハインドで迎えた前半39分。相手ゴールから約22メートル、左側のゴールポストのほぼ延長線上の位置でMF山口蛍(セレッソ大阪)がファウルを獲得する。

自分が蹴るという意思を込めるかのように、すぐにボールに近づいたのは柴崎岳だった。5人のパラグアイ選手が作る壁の高さを確認しながら、鋭い眼光とともに直接フリーキックが描く弾道を見極める。

果てして、右足のインサイドから放たれた一撃は壁の中央付近を超えてから、野球で言うカーブの軌道を描きながら急降下。ゴールバーをわずかにかすめて、そのまま枠を外れてしまった。

ザックジャパン時代の2013年9月6日にヤンマースタジアム長居で行われた、グアテマラ代表との国際親善試合の後半31分にMF遠藤保仁(ガンバ大阪)が決めて以来となる、直接フリーキックをそのまま叩き込んだゴールはまたも記録されなかった。

直接フリーキックを含めたセットプレーから生まれるゴールの少なさは、4月7日に電撃解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ前監督時代から悩みの種だった。

慌ただしく船出した西野ジャパンになっても、プレースキッカー不在は続いた。初陣となったガーナ代表とのワールドカップ壮行試合(日産スタジアム)の前半33分には、MF本田圭佑(パチューカ)が直接フリーキックを狙ったものの、相手キーパーのファインセーブに遭っている。

「あれはもう入ったと思いましたね。なので、キーパーを褒めたいと思います」

試合後の本田は精いっぱいの強がりを見せた。しかし、32歳とベテランの域に達した男は、8年前のワールドカップ・南アフリカ大会のデンマーク代表戦で決めたような、強靭な足腰の筋力を要する、無回転のままブレて落ちる弾道を封印して久しい。

コントロールを重視した弾道はスピードが落ち、ゆえに相手にも脅威を与えない。スピード、落ち幅ともに本田を上回り、コースだけがわずかに甘かった柴崎の一撃は、遠藤を最後に止まったままの時計がごく近い将来に再び動き出すのでは、という期待を抱かせるのに十分だった。

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突然のブランクが刻まれた日本代表における軌跡

ピッチのうえで、柴崎はその表情に喜怒哀楽をほとんど浮かべない。パラグアイ戦で直接フリーキックが決まらなかった直後も、ほんの一瞬だけ、残念そうな素振りを見せただけだった。

ピッチの外でも然り。口調は終始淡々としまま、クールな立ち居振る舞いを貫く。しかし、西野ジャパンに選出されて臨んだ、先月下旬の千葉合宿中にわずかながら声のトーンが上がったことがある。

ワールドカップに代表される拮抗した戦いでは、コーナーキックを含めたセットプレーが大きな鍵を握るケースが少なくない。プレースキッカーの重要性を問われた直後に、柴崎は「おっしゃる通りです」とこう続けている。シャイで寡黙な男が見せた、実質的な立候補でもあった。

「貴重な得点源になると思うし、キッカーの質ですべてが決まるという意識で蹴りたい。日本には高さのある選手もいるので、キッカーを任されたときには、彼らになるべくいいボールを届けたい。膠着した試合展開では、それ(セットプレー)がチャンスになると思うので」

ザックジャパンにほぼ無縁のまま、4年前のワールドカップ・ブラジル大会が終わった直後だった。まもなく船出するアギーレジャパンを見すえながら、柴崎はある誓いを立てている。

「次のワールドカップのときは26歳。すごくいい年齢で迎えられると思う。最初から選ばれて、ずっと入っていたい」

言葉通りにアギーレジャパンへ招集され、2014年9月9日のベネズエラ代表との国際親善試合(日産スタジアム)で念願のA代表デビュー。後半21分には鮮やかなボレーシュートも決めている。

「柴崎の両足は宝箱だ。開ければまばゆい光を発する。必ず日本代表でも活躍する非凡な才能を、何とかして輝かせることだけを考えている」

当時所属していた鹿島アントラーズを率いていた、元ブラジル代表のトニーニョ・セレーゾ監督が称賛すれば、柴崎を日本代表で重用したメキシコ人のハビエル・アギーレ監督もこう続けた。

「柴崎はワールドクラスだ。まるで20年も経験を積んだかのようなプレーを見せてくれる」

そのアギーレ監督はスペイン時代の八百長疑惑に巻き込まれ、地元の検察に起訴された2015年2月に解任。急きょ招へいされたヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとでも招集され続けた柴崎の軌跡に、同年10月のイラン代表との国際親善試合を最後に突然のブランクが生じてしまう。

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スペインの地で苦しんだ末に手にした成長の二文字

日本代表への復帰を果たしたのは昨年8月。勝てば6大会連続6度目のワールドカップ出場が決まる、オーストラリア代表とのアジア最終予選の直前だった。それでも、柴崎は自分自身の立ち位置を冷静に見つめていた。

「運命というか、ベストを尽くして自分なりのサッカー人生を歩んでいれば縁のある場所だと思っていました。ただ、選ばれたいと思ってもコントロールできることでもない。こうして選ばれたということはやってきたことが認められた証拠ですし、選ばれたからには果たすべき責任もあるので」

日の丸から遠ざかっている間に、自らの強い意思で環境を変えた。神様ジーコも背負った「10」番を託され、居場所も保証された常勝軍団アントラーズをあえて飛び出し、スペインへ成長の場を求めた。

2017年1月末に加入した、ラ・リーガ2部のテネリフェでは環境への適応に苦しんだ。デビューするまで約1カ月半もの時間を要した日々も、いま現在の血肉になっていると明かしたことがある。

「海外でプレーしている選手はあらためてすごいと思いましたし、尊敬もしました。異国の地でプレーすること自体が大変だというのは実際に行かないと理解できない、それらわかったことで選手としても人間としても大きくなっていくと感じました」

昨夏からはラ・リーガ1部のヘタフェへ移籍。世界最高峰のリーグを経験したことで、柴崎のプレーはスケールを増し、さらにいい意味での余裕が生まれた。パラグアイ戦の後半32分に生まれたオウンゴールは、柴崎が放った鋭い直接フリーキックが相手のミスを誘発したものだ。

セットプレーだけではない。ボランチの位置から何度も放たれた、正確な縦パスは西野ジャパンの攻撃を加速させた。後半アディショナルタイムに香川真司(ボルシア・ドルトムント)が決めた4点目は、球際の攻防を制した柴崎の力強いゴール奪取から生まれていた。

1992年に生まれた選手たちは多士済々だったことから、いつしか「プラチナ世代」と命名された。ロシア大会に臨む23人のなかにも柴崎をはじめ、DF昌子源(アントラーズ)、MF宇佐美貴史(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)、FW武藤嘉紀(マインツ)と同世代の選手たちが集った。

「長い目で見れば僕らの年代が出てこないと未来もないと思うし、いま中心でやっている選手たちがずっといるわけでもない。そういった自覚も、もたないといけない年代だと思っています」

26歳になる年であり、もう若手とも呼ばれない。ロシアの地で西野ジャパンの中心を担い、その後の戦いへとつなげていくために。遅まきながら進められようとしている世代交代の旗手をも拝命しながら、柴崎は憧れてきたワールドカップのピッチに立つ瞬間を静かに待つ。

■筆者プロフィール
藤江直人(ふじえ なおと)
日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。