「快特」も停車する京急電鉄の主要駅「金沢八景駅」。普段、何気なく目にし、耳にする駅名だが、その名前の由来を知る人は意外に少ないのではないか。金沢八景とは、この付近の平潟湾周辺の優れた風景、8カ所を選んだもので、江戸時代には、歌川広重の浮世絵などで広く知られるようになり、関東地方を代表する景勝地として、多くの物見遊山客が訪れた。
そこで今回、横浜市金沢区で名所等の案内役として活動している「横濱金澤シティガイド協会」のガイドさんに案内してもらいながら、金沢八景を巡ってみることにした。あわせて、冬限定の景色や、金沢八景巡りにぴったりなお土産も紹介しよう。
そもそもなぜ「金沢八景」なのか
金沢八景のように、美しい景色8カ所を選んで"八景"として数えるのは、日本各地で見られる。その元祖は、古くから山水画などの題材にされ、風光明媚な地として知られる中国湖南省の洞庭湖(どうていこ)周辺の八景を選んだ「瀟湘(しょうしょう)八景」だ。日本では金沢八景のほか、琵琶湖周辺の景勝を選んだ「近江(おうみ)八景」も、広く知られている。
ちなみに金沢八景とは、洲崎晴嵐(すさき の せいらん)、瀬戸秋月(せと の しゅうげつ)、小泉夜雨(こずみ の やう)、乙艫帰帆(おっとも の きはん)、称名晩鐘(しょうみょう の ばんしょう)、平潟落雁(ひらがた の らくがん)、野島夕照(のじま の せきしょう)、内川暮雪(うちかわ の ぼせつ)の8カ所を指す。
金沢周辺の景色が素晴らしいことは古来より知られていたというが、「金沢八景」を命名したのは、"水戸黄門"として知られる徳川光圀が水戸祇園寺の開山として招いた、中国からの渡来僧である心越禅師(1639~1696)だ。心越禅師が、高台に建つ能見堂(現在の「能見堂緑地」にかつてあった寺院)からの景色を、故郷・中国の瀟湘(しょうしょう)八景になぞらえて漢詩に詠んだのが、金沢八景の始まりとされる。
金沢八景が、世間により広く知られるようになったのは、江戸城本丸御殿や西の丸御殿の襖(ふすま)絵に、富士山や鎌倉・江の島など他の名所とともに金沢の景色が描かれたことや、歌川広重(1797~1858)をはじめとする多くの絵師や文人墨客によって「景勝地・金沢八景」として紹介されたことが大きい。
そこで今回は、広重の浮世絵とほぼ同じアングルで景色が見られるポイントを探しながら、八景を巡ってみようと思う。ただし、江戸時代中期以降、継続的に行われた平潟湾の干拓や、明治時代の追浜(おっぱま)飛行場の建設などで、周辺の景観はかなり変化してしまっているので、浮世絵に描かれたのと全く同じ景色を探すのは困難だという。手掛かりとなるのは、今も昔とほぼ変わらぬ姿を残す、平潟湾に浮かぶ「野島」くらいだろうか。
江戸と明治の歴史をたどる
さて、京急の金沢八景駅改札を出ると、現在、国道16号線の先にあり、乗り換えが不便な「金沢シーサイドライン」の金沢八景駅を京急の駅のすぐ近くに移動させる大がかりな工事が行われている。
国道16号を左折し、瀬戸神社の先の歩道橋を渡り、分岐を右に入っていくと、「瀬戸橋」という小さな橋が架かっている。橋の下流は平潟湾、上流は宮川という川になっているが、その昔、干拓が行われる前は、上流側にも内海(内川入江)が広がっており、現在の金沢文庫駅付近や能見堂跡の丘陵のすぐ下までが海だったという。外海に直接つながる南側の平潟湾と、北側の内海をつなぐ狭い部分に架かっていたのが瀬戸橋だ。"瀬戸"とは、元々、幅の狭い海峡のことをいう。
橋を渡った少し先に、「明治憲法起草の地」を示す案内板がある。ここには、かつて「東屋(あづまや)」という料亭があり、明治20(1887)年6月から伊藤博文や井上毅(こわし)らが集まり、憲法草案の構想を練ったのだという。昭和10(1935)年には、「憲法草創之処」という記念碑が東屋の敷地に立てられたが、料亭廃業後に40mほど離れた場所に移動された。
さて、この記念碑からもう少し東に歩を進めると、今も"洲崎町"という地名が残っており、この付近が金沢八景のひとつ『洲崎晴嵐』の地だ。浮世絵には砂州の上に無数の塩焼き小屋が描かれているが、かつては、この辺りでは海水を煮て塩をつくる"塩焼き"が行われ、明治38(1905)年に塩の製造が国有専売化されるまで続いた。現在はマンションなどが建ち並び、昔をしのぶ縁(よすが)もない。
海辺のプロムナードを歩いて
来た道を瀬戸神社の前まで引き返そう。神社と国道を挟んで反対側に、形が楽器の琵琶に似ていることから「琵琶島」と呼ばれる弁財天をまつる島がある。
この島の先端まで歩を進め、海を眺めると、ちょうど『瀬戸秋月』に描かれたのと、同じような景色が楽しめる。浮世絵の右手前に書かれている建物は料亭の「東屋」であり、左奥の野島の手前に描かれている橋は瀬戸橋だというから、正確にはこの場所から描いたわけではないのだろうが、雰囲気を味わうのには申し分ない。広重の浮世絵はどれも風景を誇張して描いているから、もしかすると浮世絵通りの景色が見える場所など、最初から存在しないのかもしれない。
このまま湾に沿って歩き、シーサイドラインの金沢八景駅の下を通って先へ進もう。この道は、「平潟湾プロムナード」と呼ばれる海辺の気持ちのいい道だ。この道沿いに、『平潟落雁』『野島夕照』とほぼ同じアングルで景色が見られるポイントがあるので、探しながら歩けば楽しいだろう。
平潟湾プロムナードを600mほど歩くと、左手に野島公園に渡る「夕照橋(ゆうしょうはし)」が見えてくる。八景の『野島夕照』は、"夕照"を"せきしょう"と読むが、橋の名前は"ゆうしょう"と読む。ちなみに、夕照橋の手前から侍従(じじゅう)川に沿って800mほど川をさかのぼれば、その辺りが『内川暮雪』の舞台とされる場所だ。しかし、この付近は風景の変化が激しい上に、そもそも『内川暮雪』は別の場所であるという異説も多いため、先を急ぐならここは飛ばしてもかまわないだろう。
京都の宇治橋を模して造られ、「かながわの橋 100選」にも選ばれている夕照橋を渡り、その先の「野島町」の交差点を直進して住宅地の中を少し歩くと、右手に野島公園の入り口が見えてくる。公園内に設置されている地図に従い、展望台に上れば、そこには素晴らしい景色が待ち受けている。