――ずっとそのスタイルなんですか。

そうですね。体感型。自分のことは何人たりとも入れないぐらい自分でやりますけど。頼まれたものに関しては誠意を持って。お見合い相手だって、みんなそうやって調べるでしょ?

――そうですね(笑)。

何なら探偵頼んじゃうよ(笑)。覚悟や責任って、そういうことだと思うんですよ。

――「Make A Wish」はどのように作られたんですか?

あれはその場で作り上げたもの。まずは「メイク・ア・ウィッシュ」の理念をサーファーの親分や、ボランティアのアメリカ人に中学英語ぐらいのレベルで必死に聞いて(笑)。英語バージョンと日本語バージョンを書きました。

バンドのメンバーにはアメリカ人とか、ハワイのロコと中国人のハーフとか、人種もさまざま。「日本人の摩季」みたいに、「~人の」と続く歌詞にはそれを伝える意味もあって。

パールハーバー近くのスタジオ。それだけでグッと来ちゃいましたよね。歴史のこととか、みんなと繰り返し、毎日毎日話していくうちにシンプルな言葉だけど、どんどん濃縮されて。メイク・ア・ウィッシュの直訳だけど、「願うことからはじめよう」。みんなの言葉やしゃべってる時のフィーリングで、「こういうことなんだろうな」というのをポン、ポン、ポンと置いていったら線になった感覚。

フィーリングで作れる曲と、ヒアリングしてしっかりデータをとってロジックで作ってハートを織り込むパターンと。応援ソングの作り方にも細かい違いはありますが、結局最後はすべてハートが決め手にはなるんです。ハートとフィーリングで作って、後からロジックを足す場合もあるし。「Make A Wish」は、ほぼフィーリングのまま出来上がっちゃった。すごくヒューマンな曲ですよ。

「自分と大黒摩季のギャップ」から18年……今は?

――過去の取材記事をいくつか読んできたのですが、「みんなが大黒摩季を作る」とおっしゃっています。今から18年前のこの本でもそのことが書かれていて、「自分と大黒摩季のギャップを楽しんでいる」とありました。今はいかがですか?

あれから18年経つと、ギャップが埋まっているのでどっちがどっちか分からない(笑)。ギャップを埋めようと努力していたらギャップが無くなっちゃって、どっちがどっちか分からなくなっちゃって、今は「家庭のある身の大黒摩季」だったりするから。外にいる私が個人の大黒摩季だったり。ライブのMCも、ここでしゃべってるような感じになっちゃったりして、スタッフからは「少しはカッコつけましょうよ」とか言われる(笑)。だからね、今はもうギャップないんです。ほぼね。

  • 大黒摩季

――楽曲作りにおいて、ギャップの有無はどちらの方が適しているんですか?

どっちなんだろう。私はギャップをご褒美だと思ってますけどね。みなさんもそうだと思います。例えば、鈴木ちゃんという女の子がいて、上司や周りが思っている「鈴木ちゃん」を演じなきゃいけない。そんなことは誰だってあると思います。リクルートスーツ着て、なんで毎日ヒールはかないといけないんだろうとか。上げ底のスニーカーの方が走りやすいのにとか。それでも彼女は、ここにいようとする。

でも、そこをウマイこと折り合いつけられないものかと。時折ヒールをはいて驚かれたり、時折上げ底で走って部下を引き連れたり。「そんな私でありたい」を続けると、気がついたらイケてる女になっていたりするもんじゃないのかなって。

――いつ頃にギャップが無くなったと感じたんですか。

病気が治って、去年帰ってきてからです。つい最近ですね。体の調子が戻ってきたの、最近だから。6年も普通の生活を送っていると、何がギャップなのかもわからなくなったというか。だから、周りに聞いたんですよ。大黒摩季ってどうやってたんだっけ?って。歌わない大黒摩季は、ただの人ですからね。八百屋さんにジーパンで行って、髪の毛束ねてると誰も気づきませんから(笑)。

――病気療養中、吉川晃司さんからオファーがあったそうですね。

そうそう。アルバムのコーラスを頼まれたんですよ。全然歌ってなかったから、「今までのような声、出ないと思います」と伝えたんですけど、「自転車は一生乗れるものだよ」と言われて。吉川さんにディレクションされているうちに、徐々に「大黒摩季」を思い出しました。

大黒摩季はハリがあって、地声が尖っていて、波形だとこれぐらいでみたいに全部説明してくれたんです。最後にビブラート大きくかけてとか。そうやって、「あっ! 大黒摩季に似てきたね!」って(笑)。

「自分の地図」と「三点方式」の変化

――そんな裏話が(笑)。さて、「夢」に関連しての質問なのですが、著書には「夢を叶えるためには『自分の地図を書く』こと。そして、『自分の地図を書く』ためには、自分の声を聞くこと」。また、ご自身の夢については、「最終地点=自分の夢の最終目標」「現在の地点=今の状況」「その間の地点=最終目標までの小さな、そして近い目標」の三点方式で考えるとありました。今現在、この三点方式でどのような地図を描いていらっしゃるのでしょうか。

若い時はもっともらしいこと言うんですよ(笑)。難病のお子さんたちも含めると、計画的に目標の時期を決めるというのは切ない話ですよね。何年後と決めていても、必ずズレてしまうんだから。今の私ぐらいの歳になったら、ズレてもいいと思ってくる。好きでそっちを選んだ結果なわけだから。でも、遠回りでも望んでいれば遠回りじゃない。バックしていてもそっちの方に行きたければ、それは進行方向なわけで。向かい風といっても、後ろを向けば追い風。その先の方向を変えればずっと追い風だから。

――その状況の受けとめ方次第ですね。

はい。環境と運命は変えられないから、言葉を作り変えて、屁理屈にも似たポジティブが大黒摩季だと思っているので(笑)。言葉でその気になると今日の目線が変わる。目線が変わると、景色も変わってくるでしょ? 流されてるんじゃなくて、そこに飛び込んで流れてると思えば、「自分の意志」になる。そうすると、憎々しい人も減るじゃないですか? 人のせいにしたり、人を憎むと体に毒がたまりません?

――そうですね。嫌いな人でも良いところ見てみるとか。

はい。あの人のお陰で、いい人のことが分かったと思えばいいじゃない(笑)。すごいイヤなやつでも。三点方式の話もそうですが、脳みその「逆算的な考え方」は変わってないんですよね。自分がやりたいことを言っても、だいたいの業界人から「絶対に無理」という言葉が返ってくるんだけど。

大黒摩季

――最近、そういうことはありましたか?

「Lie,Lie,Lie」というシングルのビッグ盤、A4盤を作ったんです。別名「裸眼盤」。小さい文字が見えなくなるんですよ、本当に。老眼鏡かけてもなお、文字が小さすぎて見えない! みんなの大事なクレジットが、ただの線に見えちゃう。バックコーラスをやっていた頃、私たちの時代は自分のクレジットが載っただけで、次のレートが上がるんですよ。クレジットって、すごく大事なことなんです。だから、次に自分が業界に戻る時、「私のためだけでもいいから裸眼盤を作る」と心に誓っていて、本当に作ったんです。

――周囲は当然反対するわけですよね。

でも、それを押し切って。店頭も場所を取ってしまうから、あまり好まれないみたいで(笑)。ビッグ盤1枚でCD4枚分ぐらい置けるから、嫌がられるんですよね。でもね、激しく売れ行きが悪いわけでもなく、中高年のファンの方々が喜んでくださいました。「ほら、ご覧なさいよ!」です(笑)。

デザイナーやカメラマンも、「摩季姉、最高!」って喜んでくれました。だから、やってできないことってないんですよね。めげてしまう人は、説明するのが面倒臭いだけだと思う。私は分かってもらえるまで説明します。諦めてるんじゃなくて、めげてる。私はその点、あきらめの悪い女なので。

――『情熱大陸』(16年11月放送)でも、そうおっしゃっていました。

本当に不可能になるまでやめませんから。私、しつこいんですよ。だからマネージャも根負けする。47都道府県ライブも「絶対無理」って言われたのに、ほらできている。しかも80本になってるよ(笑)? そうやってうれしいハプニングが起こるほうが、動いてもないのにつまずいて、それをハプニングと呼ぶより、よっぽど気持ちが良いじゃないですか。だからきっと、夢を叶えるためのマテリアルは好奇心と気分。だって、見たいんだもん。触りたいんだもん。行きたいんだもん。作りたいんだもん。どうしても(笑)。

――そうやって、人と夢の架け橋になっているのが今回のプロジェクトですね。

もう本当にすごい人たちだと思います。願いを叶える手伝い。私はビジネス的な面もありますが、みなさんは気持ちで全部やってくれるんですよ。なんて良い人たちなんでしょう。だからお子さんたちはそのラッキーをキャッチしたら、お隣の子に「メイク・ア・ウィッシュ」を教えてあげて。そうやって、ラッキーをどんどん広げていけば、きっと笑顔もポジティブもスパイラルしていく。