4月14日と16日に起こった熊本地震から約半年。熊本市内を歩くと、震災の傷跡はところどころに残るものの、街は落ち着きを取り戻しているように感じる。市民に話しを聞いてみても、「苦労は多いが、日常生活を取り戻せている」という声が多い。

熊本城の入り口のひとつである馬具櫓の石垣は、何度か続く余震によって崩落した

そうした中で、地震発生直後の姿でいまだにたたずむ場所がある。熊本のシンボル、熊本城だ。地震発生直後の姿と書いたが、この言い方は正確ではない。震災後の幾度かの余震の中で、城はダメージを増大させているからだ。そして、城内の瓦礫(崩れた石垣や建築群)は現在もほぼ手つかずのままで、これからようやく、長く険しい復興計画がスタートする段階だ。地震から半年が過ぎた熊本城を歩き、現在の状況と復興の道のりについて取材した。

「日本最強」と評する声もある熊本城

虎狩りでも知られる猛将・加藤清正が築いた熊本城は、戦国時代と江戸時代のちょうど境目にあたる時代に築城された。上に行くほど垂直にのびる清正流石垣(扇の勾配)が有名で、訪れた人なら誰しも、累々と続く高さ10m超の石垣の光景に圧倒されたことだろう。

崩落した重要文化財の北十八間櫓と石垣。地震から半年が過ぎ、まだほぼ手つかずで放置されている

熊本城はまた、明治維新後に勃発した西南戦争で、西郷隆盛率いる鹿児島軍の猛攻にも耐えぬいたことで知られる。ゆえに、歴史好きの中では「日本最強の城」との呼び声も高い。間違いなく、日本を代表する名城のひとつである。その熊本城が、熊本地震によって壊滅的ともいえる被害を受けた。テレビなどで放映された熊本城の痛ましい姿に、胸を痛めたのは歴史ファンだけではないだろう。

瓦が落ちて下地があらわになった天守。2019年の復旧を目指して、まずは天守の復旧工事から着工される

実際の被害はどの程度のものだったのだろうか。熊本城復興を受け持っている熊本城総合事務所によると、被害を受けた石垣は64カ所あり、全体の3割以上にのぼる。さらに、重要文化財に指定されている建物(全13棟)は全てが損傷を受けたということだ。

貴重な現存建造物である宇土櫓も、解体工事される予定だ

鯱が飛び瓦が落ちた天守や、残った一筋の石垣だけで支えられた建物の姿は地震後のニュースで何度も流された通りだが、被害はそうした目に見える部分だけではない。例えば、現存する日本唯一の五重櫓である宇土櫓は、外観こそ一見無事に見えるが、内部は壁に亀裂が入っていたり建物に接続する続櫓が倒壊したりしていることから、解体する必要があるという。2008年に木造復元されたばかりの本丸御殿も、状況は同じだ。

まずは石垣の点検と改修から

城というと上物である天守などの建造物に注目が集まるが、その土台となるのが石垣である。建物が建つその下の石垣にダメージがあった場合は、いったん建物を他の場所に移し、石垣を修復したのちに建物を元の場所に戻す作業が必要になる。

戌亥櫓下の石垣。四隅の石垣(隅石という)のみで支えられている状況だ

こうした石垣の修復作業にはどれほどの時間がかかるのだろうか? ケースが違うので単純な比較はできないが、現在青森県の弘前城で行われている石垣修復作業がひとつの参考になる。弘前城では現存する天守の下の石垣に「はらみ」(内側からの圧力により石垣が外側に膨らむこと)が生じたため、崩落する危険性が高まり、その修復工事が決定した。作業はまず石垣の上にのる天守を本丸内に移動し、石垣を修復後に移動した天守を元に戻すという工程になる。

天守の移動工事は2015年5月からスタートし、最終的に全ての工事が完了するのは2023年を予定している。天守をどかして石垣を修復し、天守を戻すまでに8年もの歳月がかかるわけだ。熊本城の場合は石垣の修復に加えて、建造物の修理や解体・建て直しが必要になる。そして、修理を要する箇所は文化財となる建造物だけでも10カ所以上にのぼる。このように比較してみると、熊本城の修復・再建には途方もない時間と労力がかかることが想像されるだろう。

隅石のみで支えられている姿が何度も放映された飯田丸五階櫓。現在は鉄骨の架台で固定されて復旧工事を待つ状態

城内には、崩落していなくても「はらみ」を起こしている石垣も相当箇所存在している。まずはそうした石垣の点検と改修がすまなければ、建造物の本格的な工事はスタートできないというのが実状なのだ。

変わり果てた熊本城の姿を見る意義とは

熊本市によると、熊本城の復興までには約20年間を見込んでおり、総費用を634億円と試算している。ただし、あくまで前段階の試算にしか過ぎず、どれほど予算が膨らむかは予想できない。文化庁によると災害復旧事業の場合は文化財に対して90%、石垣に対しては75%が補助対象になるが、それでも途方もない金額にはかわりがない。

全面的に崩落した西出丸北側の石垣。なお、一部で「400年前の石垣は崩れず、復元された石垣は脆かった」という報道がされたが、古くても崩落した石垣はあり、一概には言えないという

地震発生の5日後から受け付けをしている熊本城災害復旧支援金は、現在までに13億円を超えた。また、11月1日からスタートした「復興城主」には、11月8日までに6,126人から申し出があり、8,660万円の寄付が集まった。「復興城主」は1口1万円から受け付けており、城主に名を連ねられるほか、関連施設の無料入場などの特典が与えられる制度だ。

熊本城復興に向けて、支援の気持ちを支援金で表すことはもちろん重要だ。それとともに、熊本市や熊本城の人たちが異口同音に呼びかけていたのが、「一目、現在の城を見てもらいたい」ということだった。地震から半年が過ぎて、二の丸から加藤神社にいたる歩行エリアが整備され、天守などの建造物や石垣を外側から見ることが可能になった。お城観光の拠点となる城彩園でもさまざまなイベントが催され、観光客も着実に戻ってきているという。

さらなる崩落を防ぐため、崩落部分は防護シートに覆われ、通路沿いには土嚢が積まれている

大変不謹慎な言い方になるが、このようにダメージを受けた文化財や、崩落した石垣を見られる機会はそうはない。現地でも、惨状を憂う声や嘆息に交じって、「戦争が起こった後の城ってこんな感じなのかな」「荒廃したお城って何か雰囲気があるね」という声を多く聞いた。誤解を怖れずに言えば、目の前にリアルに崩れた城があるというのはとても貴重な経験だし、それを見ることで他の城や文化財に対する思いも新たなものになるだろう。

観光支援・飲食エリアである城彩園。無料ライブなどさまざまな復興イベントが行われている

熊本城復興は長く険しい道のりである。拙速な復旧を望むのではなく、崩れた城・再建しつつある城を愛でる気持ちを持ち、暖かく見守り続けることが大切だろう。

(文・かみゆ歴史編集部 滝沢弘康)

筆者プロフィール : かみゆ歴史編集部

「歴史はエンタテインメント! 」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで、歴史関連の編集制作を行う。ジャンルは日本史を中心に、世界史、美術史・アート、宗教・神話、観光ガイドなど幅広く手がける。最近の編集制作物に『戦国の名城』(スタンダーズ)、『あなたの知らない戦国史』(辰巳出版)、『「山城歩き」徹底ガイド』『新選組 10人の隊長』(ともに洋泉社)、『必ず一度は訪れたい! 日本の世界遺産ガイド』(彩図社)、『ゼロからわかるギリシャ神話』(イースト・プレス)など。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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