映像作品は撮影が終わったあとでも膨大な手間がかかる。素材の編集作業である。この時、スタッフを支えたのが編集マンだった。陰で作品作りを行う彼らの苦労が、『ヤクザと憲法』の形を決定したといっていい。ようやくタイトルも決まった。放映のわずか10日前のことだった。


土方 僕らは中に飛び込んで現実を見てきてるから、いいか悪いかはさておき、もう一段階熱が入っています。でも編集は一歩引いてるから冷静なんです。たとえば、川口(和秀 清勇会会長)さんが運転中、怪我をした鳥を助けたことがある。車から降りて、傷ついた鳥を動物病院に届けた。それまでの撮影で、川口さんの人間的な部分に触れることが出来なかったんで、会心の画が撮れたと興奮したんです。でも編集マンは冷静に「川口さんが優しい人かどうかというのは、今回の取材に関係ないよね」と譲らない。カメラマンも現場でもうひとりのディレクターのような役割を果たす。別の自分が現場にいるような感じです。単なる職人じゃないんです。すいぶん助けてもらいました。

阿武野 編集が始まっても、なかなかタイトルが決まらなかったんです。「東海テレビは一生懸命こつこつドキュメンタリーを作ってきた。映画もこれが8作目だ。ドキュメンタリーの東海テレビという評判がやっと出始めたところなのに、わざわざヤクザで足下をすくわれ、傷まるけ(だらけ。名古屋弁)になる必要はないんじゃないの?」報道の一番中枢で、いつも仲良く論議している、言ってみれば一番信用できるところでもこんな議論が最後まであった。その中で集団的自衛権のニュースが放映されたんです。

そうだ! 憲法だ! 弁護士も出してある!

本当にポンと思いつきました。強面ではあるけれども、暴力団はカナリアなのかもしれない。ギィギィとがなり、綺麗な声では鳴かないので、その声をみんなは聞こうとしないけど、社会に警告を発しているのかもしれない。川口さんと最初に話した時、

「ヤクザなんてなくなればいいんです。ないほうがいいですよ」

と言われたことがあるんです。「無くなったらどうすんですか?」と聞くと

「いま存在しているものを、どうするかが問題なんですわ」

物事にはプロセスがあるけども、ヤクザについては不要と断じているのがいまの日本です。終わってみると、土方がすごく信用されていることを痛感しましたね。テレビ局員とヤクザの間には暴排条例という大きな河が流れているけれど、やっぱりちゃんと心の交流は出来ている。その上で距離はちゃんと保っている。その感じが切ないくらいです。そもそもテレビマンというのは、本来、人が行けない風景の場所に行って、誰も行ったことのない岬からこんな風景が見えたっていうのをカメラに収め、それを見せてあげる仕事で。世界の秘境みたいなものをみるとワクワクするじゃないですか。掛け値なく面白いんです。暴力団も社会の秘境です。ヤクザ取材は報道のど真ん中なんです。


マスコミ向けに行われた試写会では、時折、笑いが起きていたという。もちろん制作側は意図的に笑わそうと考えていない。皮肉なことに、真剣な人生にはところどころ喜劇も生まれる。『ヤクザと憲法』は人間ドラマなのである。ヤクザの現実を知りたいなら、百冊の書籍を読むより、本作を観た方が早い。ヤクザ・ドキュメンタリーの最高傑作であることは保証する。

『ヤクザと憲法』は1月2日より東京・東中野のポレポレ東中野にて公開。

鈴木智彦

1966年北海道生まれ。日本大学芸術学部除籍。雑誌『実話時代』編集部、『実話時代BULL』編集長を経て、フリーに。以後、ライターとしてヤクザ取材を精力的に行い、週刊誌、実話誌で活躍する。著書は『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文藝春秋)、『ヤクザ500人とメシ食いました!』(宝島社)、『ヤクザ専門ライター 365日ビビりまくり日記』(ミリオン出版)などがある

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