何らかの対象について知識を得たり、知的好奇心を満たしたいと思うのであれば、本を読むというやり方はもっとも優れた方法のうちのひとつだと言える。知識を得たり知的好奇心を満たす方法は読書以外にもいろいろあるが、本は入手も容易で価格も安い。異論もあるだろうがあえて言い切ってしまうと、本は読めば読むほど自分の力となる。最近は本をまったく読まないという人も見かけるが、それは非常にもったいないことだと思う。

「速読」は量の読書

平野啓一郎『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書/2006年9月/720円+税)

もちろん、読書にも弱点はある。それは、本を読むには相応の時間がかかるということだ。マンガや映像に比べると、活字を追うのにはどうしても時間がかかってしまう。普通にフルタイムで仕事を持っていたりすると、読書時間を捻出するのは必ずしも簡単なことではない。本を読んでいて、「もっと早く読めるようになればいいのになぁ」と思っている人は結構多いはずだ。

そういう心理が反映されているのか、「速読」を謳った読書術の本がよく出版されている。「今の10倍の速さで本が読める」などと言われると、ついつい心が動いてしまうが、その本を読んで実際に10倍の速さで本が読めるようになったという人を僕自身は見かけたことがない。もしかしたら中には本当に効果が出るものも含まれているのかもしれないが、この手の「速読」を謳った本の中にはかなりあやしいものも含まれているのは間違いないだろう。

本書『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(平野啓一郎/PHP新書/2006年9月/720円+税)はこういったあやしい速読術とは無縁の本である。本書は明確に「アンチ速読」の立場を取っており、速読の逆である「スローリーディング」による読書を推奨している。言わば「量の読書」から「質の読書」への転換だ。自分では本をたくさん読んでいつるもりなのに、いまひとつ自分の身になっている気がしないという人は、もしかしたらこの「質」の視点が欠けているのかもしれない。

速読のあとに残るのは、単に読んだという事実だけ

本書は最初から最後まで、一貫して徹底的に「アンチ速読」の態度を貫いている。たとえば、本書で筆者は「速読家の知識は、単なる脂肪」であり、「無駄に頭の回転を鈍くしているだけの贅肉」とまで言い切ってしまう。

これはだいぶ過激に聞こえるが、実感としてわからないこともない。たまに「今月は◯冊読んだ!」「今までビジネス書を◯冊読みました!」などと言っている人を見かけるが、こういう人たちに「では、そうやって大量の本を読む中で何を学びましたか?」と尋ねてみると、おそろしく薄っぺらい回答が帰ってくることが少なくない。対して、それほどたくさんの本は読まないが、何度も繰り返し読んでいる本が1・2冊あるという人に話を聞いてみると、何度も読んだ人だけがわかる深い考察が聞けたりする。

こういう事例を元に考えてみると、「たくさん読みさえすればいい」といった「質より量」の読書は無意味ではないものの、読書のすべての利点を得られているわけではないことがわかる。「速読」を身につけさえすれば、読書はすべて速読で置き換えると考えている人は少なくないが、それは正しくないだろう。普段は「速読」で本を読んでいる人でも、質を求める場合にはスローリーディングが必要だと言えそうだ。

多くの情報に触れることができるからといって、知的生活が豊かになるとは限らない

現代は、有史以来もっとも多くの情報を入手できる時代だと言っても嘘ではないだろう。数十年前に比べると、出版点数も本の入手しやすさも格段に向上した。触れられる冊数だけで言えば、数十年前の読書人よりも現代の読書人のほうが圧倒的に有利だと言える。

もっとも、ではそうやって情報へのアクセスが向上した分、我々の知的生活の豊かさが向上したかと問われるとあやしいと答えざるを得ない。本書で筆者は「カントやヘーゲルが生涯に読破した本の冊数が、今から考えれば意外なほど少なかったからといって、彼らを無知で愚かな人間だと思う人はいないだろう」と書いているが、この指摘にはだいぶ考えさせられる。結局のところ、知的活動を豊かにしたいのであれば「質」を高くする努力を怠ることはできない。「速読」を中心とした物量一点主義の読書だけでは、知的生活は豊かにならないと言えるだろう。

スローリーディングで楽しい読書を

本書の後半では、スローリーディングの実践編として夏目漱石の『こころ』、フランツ・カフカの『橋』、三島由紀夫の『金閣寺』などを題材に、実際にどのような点に気をつけて読書をすべきなのか具体例と共に解説されている。もちろん、これが唯一の読み方であるなどと言うわけではないが(スローリーディングにおいて自由な「誤読」は重要な役割を果たしている)、ひとつの実践例としてきっと参考になるはずだ。

スローリーディングの最大の利点は、読書を楽しいものにできることである。本書を参考に、ぜひ読書の楽しみを見出していただければと思う。


日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。