落合氏:「TOKYO INTERNATIONAL FILM FESTIVAL」と言いつつ、もうフィルムは使われていないですからね。

富野監督:僕は、それは歴史を背負っているものだから、「フィルム」という名前を残してもいいと思うんです。習字の筆と同じようなものなのですから。でもこれ以後「フィルム」という言葉を使っていいのかというと、もうとっくにフィルムはなくなってしまっているんですね。フィルムを今プリントアウトしようとしたら、変換してということをやった上でないとできないですから。そういうものの呼称を考えていくということを含めて、我々はもう少しフレキシブルに物事を考えなければならない。その時に、30代以上のお父さんやお母さんとかは社会人の感覚をもっているので、なかなかそこに行き着かないんです。

落合氏:最大の敵は親ですからね。

富野監督:えっ?

小形氏:監督のアニメ見て育つと、みんな親は敵だと思うみたいですよ。

(客席から大きな拍手)

富野監督:なんでここで拍手なの(笑)。はたと考えたら、私でさえ孫がいるってことはものすごい強大な敵になっているってわけですね。

落合氏:孫は一度変換されて味方になるんじゃないですか?

富野監督:でも、だからこそ逆に言えば、敵になった立場から見た時の問題点が見えてくるわけだから、その問題点をきちんと開示しておきたいですね。僕には手書きのアニメがあるのだから、それで死ぬまでもう少しなんとか形にしたいなと思いますので、皆さん今後とも重厚な支援をよろしくお願いします。

実を言うと、落合先生のような方をお呼びしていいのかどうなのかというのは、「東京国際映画祭」という舞台を考えた時に、問題もあるのかなとも思いました。でも、僕自身が1週間ほど前に落合先生のゲラを読ませていただいて、本当に勉強になりました。コンピューターの発達うんぬんの問題ではなくて、コンピューターを発明した人類という種が、今後どうしていくべきなのか、コンピューターと寄り添っていけるだけの、我々が本当に「ニュータイプ」にならなくちゃいけない時代が来たんだなということを痛感しました。

その一方で年寄りが懸念しているのは、ただ意識が拡大していった時に拡散するだけでコアがなくなっていってしまうのではないかという問題です。だから、そういう意味ではやはり求心力があるものなんだよ、そういう力を持てるんだよという言い方もしていきたいと考えています。ものすごく怖い言い方をすると、人はいまだに独裁者になりうるんですよ。だけどそれも求心力の一つの側面で、そういう求心力を持たなければならない時代になってきたという印象があります。しかし、あくまで21世紀の独裁者というのはかつての独裁者とは違うものです。我々は、そういうヒーローやヒロインも手に入れなくちゃいけない。そう思っています。

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