「屋根のない博物館」と言われるほど、街中に歴史ある個性的な建造物がひしめく小樽の街。そのシンボル的な存在であり、観光の中心とも言えるのが小樽運河だ。周辺には明治や大正に建てられた倉庫群が立ち並び、夕暮れになるとガス燈が灯る。荷物を載せた艀(はしけ)が往来したかつての面影を残しつつ、今は観光客が行き交う小樽運河とその周りをかなりよくばって歩いてみた。

倉庫群、ガス燈、石畳がノスタルジックな雰囲気を醸し出す、全長1,140mの小樽運河

在りし日の消防犬ぶん公も

JR小樽駅から海側に10分ほど歩くと運河に到着する。その手前に観光案内所のある建物があるのだが、なんと屋根にシャチホコがついているのだ。

この建物は元々、明治27年(1894)に建てられた小樽倉庫だった。現在は建物の南側が運河プラザとして物産販売所や観光案内所、カフェなどに、北側が小樽市総合博物館 運河館となっている。倉庫にシャチホコをつけてしまった商人の羽振りの良さはどれほどのものだったのだろうか。入り口横には昭和初期に火事場で活躍した消防犬ぶん公の銅像があるので、ぜひチェックしてほしい。

屋根に高さは1.5mのシャチホコを掲げた旧小樽倉庫。現在は観光案内所などに使われており、観光資料は豊富でスタッフも常駐している

消防犬ぶん公は、火事場でやじ馬を追い払ったり、ホースのもつれをほどいたりして活躍した。小樽市総合博物館 運河館にはぶん公の剥製がある

かつて小樽運河は海だった

ここでちょっと小樽運河の歴史を。運河の誕生は大正12年(1923)で、完成までに9年もの歳月がかけられた。小樽運河は海に岩を沈めて埋め立て一部を水路として残す「埋め立て方式」で造られている。つまり、小樽運河のある場所はかつて海だったのだ。

小樽運河は沖合に停泊した船から降ろした荷物を艀に積んで運河周辺の倉庫に運ぶために使われ、多くの労働者でにぎわった。しかし、程なく船が直づけできる埠頭が完成すると運河は徐々に使われなくなり、その後、本来の役目を終えた運河を埋め立てる案が浮上。

埋め立てに反対して保存運動が起こり、長い論争の末、運河の一部を埋め立てて道路や散策路にする案が採択され、昭和61年(1986)に現在の形に整備された。現在の観光の中心は広い散策路がある埋め立てられたエリアだが、最近は昔のままの姿を残す運河北部(通称、北運河)への関心が高まっている。

中央橋から南側の景色。運河の半分は埋め立てられ、散策路と自動車道路となった

大正時代の倉庫群を見ながら散策

小樽観光に話を戻そう。埋め立てられたエリアである中央橋と浅草橋の間は、多くの観光客が散策したり写真を撮ったりとにぎやか。運河の海側には石造りやレンガ造りの倉庫が立ち並び、水面に四季折々の美しい姿を映し出す。近年は人力車で運河界隈を観光している人たちも目立つ。

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