日本でも“養子”という制度は古くから行われてきた。ただし、そのほとんどが「普通養子縁組」。一方、養子には「特別養子縁組」もある。4月4日、渋谷ヒカリエのヒカリエホールBにて、特別養子縁組についての理解を深めてもらうためのイベント「4月4日養子の日キャンペーン ~大人たちから子どもたちへ 『家庭』という贈りもの~」(主催:日本財団)が開かれた。会場には約250人の参加者が訪れ、出演者の熱いメッセージに耳を傾けていた。

冒頭の主催者挨拶に立った、日本財団理事長の尾形武寿氏

イベントは午後1時、一般社団法人ベビー&バースフレンドリー財団代表理事の大葉ナナコ氏の総合司会でスタート。まずは当イベントの主催団体である日本財団の理事長・尾形武寿氏が登壇し、「子どもは両親と一緒に生活するのが望ましい。しかし、何らかの事情で親と一緒に暮らせない子どもたちもいる。いま日本では、こうした子どもたちが約4万人いるが、養子縁組を経て一般家庭に引き取られたのは(2012年時点で)わずか1%、400人程度にすぎない。日本中でこうした子どもたちを大事にしていこうという大きなうねりを起こし、子どものための社会をつくっていきたい」と挨拶した。

ところで、いわゆる養子の制度には「普通養子縁組」と「特別養子縁組」があるが、両者はどのようにちがうのか? 一般的にいう“婿養子”や家の跡取り、再婚に伴う連れ子の養子などは普通養子縁組に該当する。一方、特別養子縁組は、養子にできるのは6歳未満とされており、これは何らかの事情で産みの親の元で暮らすことができない子どもに永続的な家庭を提供するための「子どもの福祉」を目的としている。 このほか、普通養子縁組は、戸籍に「養子」あるいは「養女」と記載され、親子関係も産みの親・養親ともに認められている。一方、特別養子縁組の場合、戸籍には実子と同様(たとえば「長男」「長女」など)に記載され、養親のみが“親”となり産みの親との法律上の関係は消滅する(ただし、戸籍には「民法817条の2による裁判確定日」などが表記され、子どもの出自を知る権利は守られている)。特別養子縁組という制度は、残念ながらこの日本でまだまだ浸透しているとはいいがたい。それを周知させ、理解を深めようという目的で開催されたのが、今回のイベントなのである。

施設で暮らし、養母と出会ったイランでの子ども時代、日本での思い出、日本の社会的養護の現状などを語るサヘル・ローズ氏

次いで登壇したのは、女優・タレントのサヘル・ローズ氏。「かぞくに、なる。」と題して講演を行った。サヘルさんは、まず“戦争孤児”として暮らしてきた自らの歴史を語った。イラン・イラク戦争(1980~88年)のさなかにイランで生まれたサヘルさん。12人きょうだいの末っ子だったが、空爆により両親ときょうだいをすべて亡くしている。「戦争や紛争で親を亡くした子は、私もそうですが、自分の本当の名前を知りませんし、本当の年齢、誕生日も知りません」とサヘルさん。4歳で養護施設に入った頃は、「お母さんみたいな人を求めていた」という。

7歳のとき、サヘルさんの前にひとりの女性が現れた。「天使だと思った。初めて見た彼女のことを、お母さんと呼んでしまった」。その瞬間、女性はサヘルさんを引き取ろうと決意。サヘルさんは、“血のつながりがない母”の子になった。「ほしかった家族を、やっと手に入れることができた」とサヘルさんは振り返る。その後、母とともに来日。サヘルさんいわく“給食のおばちゃん”をはじめ、さまざまな日本人と出会い、支えられて、今日に至る。家族を求め続け、7歳にして養子という形で家族を手にしたサヘルさん。「日本もひとごとではない」と続ける。

「母とは血のつながりはないけれど、心と心がつながっている。彼女と出会ったことによって、帰れる場所ができた。ただいま、おかえりなさいと言ってもらえるのは幸せなこと。いま施設で生活している子どもたちひとり一人に、血のつながりはなくても家族として生きることができると伝えたい」と語った。

イランの施設で撮影した子どもたちの写真を前に語るサヘルさん

2013年時点で、児童養護施設・乳児院で暮らす児童の数は3万人を超えていることを説明するサヘルさん。「日本もひとごとではない」という