新国立競技場問題と観光都市の態度

ーー新国立競技場については、様々な視点から議論されてましたよね。

新国立競技場を巡る議論は、まさに東京の都市住民がこの街の未来をどう考えているかを真っ二つに分けるテーマとしておもしろかったと思います。片方には、東京の発展を見据えている人たちがいて、もう片方は東京は成熟都市として脱成長路線に向かうべきだと考えているということです。成長か成熟かの二択は、都市住民の政治意識として明確に分かれていますよね。

ーーザハ・ハディッドのプランに関してはどう考えていますか?

ザハの計画に反対という人の意見は大きく分けると、まずはコストの問題。そんなに金かけてどうするんだと。もうひとつは付近の住民環境と文化を守れということ、景観にそぐわないという問題もそれに含まれます。でも僕は、それ以前に、国際的なコンペで外国人の建築家に決まった計画案に対して、日本文化を理解してないからダメだという圧力を、世論・国論として盛り上げて引きずり下ろそうという運動自体、とても筋が悪い気がしています。少なくともアンフェアです。古い話ですが、バルセロナオリンピックの時は、バルセロナのオリンピック体育館を磯崎新が設計して、開会式では坂本龍一が作曲した音楽が演奏されたんです。「日本のオリンピック」だから我が国の中でというドメスティックな発想がずれていると思うんです。

ーーしかし、反対派も支持されています。

そうだと思います。むしろ、反対派が多数派にも映りました。それは成熟した先進国の都市住民では当然の反応です。ロンドンでも、五輪開催前の開発への反感は同じような感じでしたし。象徴的だったのは、この問題を提起した建築家の槇文彦さんの論文の中で、「人口減少」に関するものがありました。つまり、これから縮小する都市に、ザハのプランはそぐわないという批判です。それに賛成する人は多かったはずです。僕はもちろんそこに疑問があります。僕は、現在、そして未来の東京に大規模なコンサートホールのニーズも、大型スタジアムのニーズもあると考えています。

いまの東京では5万人規模以上のコンサートのニーズは増えているのに、それが実現できるコンサートホールが東京ドームくらいしかないんです。旧国立競技場はもう使えないし、東京近辺に広げても、さいたまスーパーアリーナ、横浜アリーナもこれから改修に入ります。さらに、「2016年問題」と朝日新聞が呼んでいる問題ですが、東京厚生年金会館、渋谷公会堂、中野サンプラザと、中規模のコンサートホールの閉鎖が続きます。CDが売れないからライブだと言っている矢先にこれでは、産業としての音楽は危機を迎えると思います。いまの日本で5万人以上の規模のコンサートホールを埋められるミュージシャンって、かつてないほど存在しますよ。ジャニーズとEXILE一族とAKB48だけでも、年間50日くらいは独占できるんじゃないですか。それ以外にも、サザンオールスターズにMr.Childrenにってきりがないでしょう。

サッカーのスタジアムにしても、東京には代表戦が開催できるスタジアムはないです。だから埼玉スタジアム2002か横浜国際総合競技場を使うんですけど、やっぱりヨーロッパの都市のように、都心にスタジアムが必要だと思います。

ーー大きなスタジアムをつくっても、運送力の面で東京は耐えられるのかという疑問も持ち上がってます。

運送力って、2020年にどーんと来日旅行者が増えるからっていう想定の下に進めるものではないですよね。昨年は訪日外国人旅行者数が1,036万人と過去最大を記録しました。ここ10数年前に比べると2倍以上という急増です。その間、リーマンショック、東日本大震災と、観光客数が激減する要因が大きく2度ありましたが、それをはるかに乗り越えてしまっているんです。銀座の街はあまり日本人が歩いてないとか、そういう劇的な変化は、この10年で明確に起こってますよね。ここから5~6年の間に、観光客はますます増えますよ。その状況を受け入れざるを得ない。でも、日本人、東京人って外から見た東京というものを意識したことがなかったと思うんですよ。世界の観光都市ってパリやNYもだけど、観光客が行くところと地元の人しか行かない場所が分かれている。最近の東京って、そうなりつつある気がします。

大都市での都市コミュニティ再編

ーーそろそろ生活の話に入っていきたいと思います。『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』の中で、ファーマーズマーケットなどが増えていくと都市市民の新しい連帯が生まれるんじゃないかという話がありましたよね。都心に人が増えていくという今までのお話を踏まえると、都市市民どうしの関わりはこの先どうなっていくのでしょうか?

パリやNYなど、世界的な大都市で"都市コミュニティの誕生"が、同時多発的に生まれています。ニューヨークだと、2003年大停電で帰宅難民が出たときに自分の家を解放して「ちょっと休んでいきなよ」と薦めたり、近隣の人たちでワインを持ち寄ってローソクを囲むパーティが始まったりしたんです。都市住民同士のコミュニティみたいなものの萌芽の事例として知られている。一方、パリでもかつての大熱波を期に都市住民のコミュニティの重要性が言われるようになって、1999年からご近所さん同士でワインを持ち寄ってパーティをやる「隣人祭り」が行われるようになるです。これらが、停電や大熱波がきっかけになったように、大都市には何かきっかけが必要なんです。

東京では、3.11の帰宅難民ですよね。ホイチョイ・プロダクションズの『新 東京いい店やれる店』(小学館/2012年)では、今のバルブームは震災以降の都市生活者のライフスタイルの変化が生んだという話が書かれてるんですよ。会社の近くで飲んで、終電で自宅に帰るというのが日本のサラリーマンのライフスタイルだったのに、3.11以後、自宅の近くに行きつけの店を作るといったスタイルに変わったということは、駅消費研究センターによるアンケートデータにも出ています。これは、都市コミュニティの再編と隣人祭りみたいなものが近いということだと思います。帰宅難民化したときに、一人で住んでいる家に帰るのが嫌だから近くに友達が来るような場所を見つけるとか、会社よりも家の近くで飲むというような大きい嗜好(しこう)の変化が生まれている。街コンとかもその前後から出てきたんですよね。

ちなみにホイチョイ・プロダクションズの『新 東京いい店やれる店』は、都市論としておすすめです。1994年のバブル直後の時代にオリジナル版が大ベストセラーになったんですが、新版では、十何年たっていかに東京という都市、そして女性をデートに誘う際のルールが変わったかという話が書かれています。