――「おもちゃ」のお話になったところで、デザインについても聞かせてください。特に形部一平さんのデザインは、視点やアングルによって形状がつかみにくく、ビビッドで、バラエティに富んで、楽しくなるデザインです。形部さんのデザインについてはいかがでしょう。

「まったくやってくれたな!」と思っています。人選は間違っていないでしょう。ただ、現場のことを考えると困ったことも起こっています。画を描くという意味でとても面倒なキャラクターなので、アニメーターが(画から)逃げています(笑)。それが地獄です。もちろん、バンダイの意識もしているから、従来の「ガンダムシリーズ」でやったように、つまりガンダムの類型はちゃんと出していきます。

形部さんのデザインは、色々なガンダムがあり、色々な敵モビルスーツがあり、全てリアルロボットもので統括されるデザイン論がある上で、バラエティ・ショーにもなっている。彼が靴もデザインしていることをわかっていながら、これだけでのデザインがある。並べて見るとすごくおもちゃ的な品揃えです。『機動戦士ガンダム UC』までならどうってことないメカって感じだけど、形部さんのデザインはメカの形をしていなくても、モビルスーツとして包括できるデザインに仕上がっているので、これはすごいことだよね。

――特に動かしていて面白いモビルスーツはありますか?

冒頭で出てくるカット・シーっていうモビルスーツがあるでしょう? はじめ僕は嫌いだったの。でも実際に動かしてみたら「こんなに面白いモビルスーツはない!」と感心しました。形部さんにそういう仕事をやってもらわなかったら、結局当たり前のデザインで統一してしまう自分がいるわけですから……。これまでのデザインが、いかにつまらないものだったのかということにも気づかされました。最初はね、形部さんのキャラクターはおもちゃ的で、漫画的で嫌だな思う部分もありました。だけど、実際に色がついて、動き始めたら、えっ……これは……化けるぞと信じています。

――子供に受け入れられやすいデザインとはどういうものでしょう?

おもちゃ的という重要な要素があります。子供は本能的に異なるものを識別していく能力があって、似たものは平気で排除していきます。子供に「カッコよくないよ、四角くって」と言っても「これとこれがあるからカッコいいでしょ!」と返される。欠点が関与しない感覚的なものです。形部さんのデザインには統一感がほとんどなくて、7、8体のデザインでそれが顕著に見えていた。おもちゃ箱的につくるというのがこういうことなのかと悔しいくらいでしたし、世界観も含めて面倒なことがマッチングする凄味はあります。

そうすると先ほどの話に反して、やはりキャリアが無駄ではないという部分もあるわけで、ここが大問題。キャリアは捨てられないんです。だけど捨てなければならない。だけど捨てられない(笑)。「おじいちゃん、どういう話ですか? ボケたんじゃない?」って言われそうだけどボケてない(笑)。一番ボケてない肝の話です。

――(笑)。真剣に聞いております。

これまで言ってきたことを今回の仕事の中で経験させてもらって、ようやく元に戻ります。欲を持って生きなければという言い方もできるけれども、僕の場合はそうじゃない。どうせ生かされているんだったら、死ぬまで元気でいたい。認知症になってしまったら看護する側が大変だろうから、用がなくなったら死んでいっていいような自分でありたい。そのためにはどうするのか。生きている間にできることはやっておきたい、できることをやらなければいけないということ。それをやらないのは、結局死にきれないという人生をおくることになるんじゃないかと思います。

「俺にはろくな能力も体力もなくて、朝一時間道路の端に立っている……」という人がいたとしても、それを学校がある間だけ、きちんとやらせてもらえるコミュニティがあって、そこにいる私というものが自覚できたら、それは生き方として変わるでしょう。そして、それだけではないということも考えて欲しい。

つまり、その街に出入りしている、地域に出入りしている人々というものを意識することで、防犯の役目を担っているのかもしれない――そういう可能性、絶えず私は一人ではないということなんです。マンションの一室で、クーラーも扇風機もつけずに呆然と死ぬまで続けることが暮らしなのか? と言われれば、やはりそうではないでしょう。だから、我々が「暮らしをする」ということを能動的に考えていきたいのです。