アメリカンホーム保険会社は10月17日、東京都墨田区の東京スカイツリータウン スカイアリーナで、日本一周駅伝プロジェクト「みんなのMAEMUKI駅伝2013」ゴールイベントを開催した。同駅伝は、一般のランナーがたすきをつないで日本一周するプロジェクト。今年4月6日に東京を出発し、全国47都道府県、約8,000キロを、1,500人の一般ランナーや間寛平さんや中山雅史さんらの著名人がたすきをつなぎ、約6カ月間にわたり走行した。今回は、感動的なゴールイベントの模様をお伝えしたい。

"がんを克服した人"とその家族が参加できる日本一周駅伝として開始

この『みんなのMAEMUKI駅伝』は、昨年、"がんを克服した人"とその家族が参加できる日本一周駅伝として始まった。口コミやネットコミを通じて広まり、今年から「さまざまな困難を乗り越えた人とその家族」が参加をして、一本のタスキを継いでいった。

この『みんなのMAEMUKI駅伝』は、アメリカンホーム保険会社が主催、運営をしている。アメリカンホーム保険では、2012年4月から、『ガンになったことがある方も入りやすいみんなのほすピタる』という新しいタイプの保険商品を発売。「みんなのMAEMUKI駅伝」は、この保険商品の認知度を広めるためのプロモーションイベントとして企画されたものだが、「がん保険」という枠を超えて、多くの人が参加し、楽しめるイベントになっている。

間寛平さんや東ちづるさんら著名人が、最終ゴールを盛り上げ

10月17日、東京都墨田区の東京スカイツリータウン スカイアリーナで開かれたゴールイベントは、元日本テレビアナウンサーでフリーアナウンサーの山本舞衣子さんが司会を務め、東ちづるさん、間寛平さん、中山雅史さん、一昨年ろ胞性リンパ腫を乗り越え、自身も昨年この駅伝プロジェクトに参加、CM楽曲「明日へ」を提供したロックバンドSOPHIAのキーボード・都啓一さん、歌手で都さんの妻、久宝留理子さんらの著名人のほか、バリアフリーロックバンド「サルサガムテープ」の皆さん、2012年「モナリザを描くII展」瀬戸内美術館賞を受賞した佐々木卓也さんらが参加した。

左から、山本舞衣子さん、東ちづるさん、間寛平さん、中山雅史さん、都啓一さん、久宝留理子さん

ゴールイベントの冒頭では、東ちづるさんも参加したサルサガムテープによるスペシャルライブや、佐々木卓也さんによるMAEMUKI駅伝アートの披露が行われ、大いに盛り上がった。

バリアフリーロックバンド「サルサガムテープ」のライブ演奏

佐々木卓也さんによるMAEMUKI駅伝アート

この日は、全国を一周してきた駅伝の最終日で、川崎駅を出発、池上梅園公園、東京メトロ目黒駅、神宮球場前、東京メトロ後楽園駅を経て、東京スカイツリーに向かうというルートをたどり、ゴールイベントの間は、最終ランナーの深尾忠三さん(55歳)が、スカイツリーに向かっていた。

最終ランナーの深尾忠三さんがついにゴール! 「タスキへの想いひしひし」

ゴールイベントが中盤にさしかかる段階で、この日ランナーを務めた3人が登壇。第一走者を務めた神奈川県在住の山口良和さん(46歳)は川崎駅~池上梅園公園、第三走者を務めた神奈川県在住の宮脇匠さん(46歳)は目黒駅~神宮球場、第四走者を務めた東京都在住の光来出和義さんは神宮球場~後楽園駅を走った。

山口さんは、「日本を一周してタスキをつなぐ駅伝の最後の一部分を担ったということでものすごく感動しています」とその感動を率直に表した。宮脇さんは、応募したきっかけを問われ、「父親ががんで亡くなったことがきっかけで駅伝に参加しました」と話し、「実際走ってみて、走った仲間達の思いを感じることができた」と、タスキに込められた思いへの感動を語った。

光来出さんは、この日だけでなく、駅伝がスタートした2日目と3日目も走ったといい、「走り始めた時は50代でしたが、今日は60歳ですでに還暦です」と披露。そこに間寛平さんが「え、60歳! 見える~」と突っ込みを入れると、会場はどっと沸いた。

この日ランナーを務めた3人が登壇

そこで最終走者の深尾さんの周囲から実況中継で、すでにスカイツリーの階段を上っていることが伝えられると、盛り上がりは最高潮に。

その数分後、深尾さんはイベントの通路を、参加した仲間達とタッチしながら、ゴールテープのある壇上へ登壇、東さんや間さんらともハイタッチしながら、ゴールテープを切った。

最終ランナーの深尾忠三さんが参加した仲間達とタッチしながら、ゴールテープのある壇上へ

ついにゴール!

深尾さんは、「タスキをつないできたのは1695人の方だという、その数を知らされて、タスキにかかっている想いが走りながらひしひしと伝わってきました。ゴールが見えてくるとだんだん気持ちが高ぶってきて、無事にゴールできて本当に良かったと思います」とその思いを吐露。

MAEMUKI駅伝に参加したきっかけについて聞かれると、「実は家族が応募したんです。以前血液のがんにかかったのですが、その時は家族に大変に心配をかけながら、骨髄の治療をしてなんとか病気を克服しました。ただ、克服したとはいえ、普段の生活の中でくじけそうな時もあるのですが、それでも前向きに進めるようにとの思いで、家族が応募してくれたんだと思います」と家族への感謝の思いを語った。

アメリカンホーム保険との関わりについては、「普通こういう病気にかかると保険には入りにくいのですが、アメリカンホーム保険の場合は、がんの入院・手術を受けて2年後から入れる保険があって、それが患者と家族にとって大きな希望になっているんです」と話していた。

間寛平さんも、「お母さんがずっと泣いてて、もらい泣きしそうになった」と感動のゴールシーンについてコメント。深尾さんの妻は、「こうやって無事に帰ってきてくれて、皆さんの思いがこもったタスキをつないでしっかりゴールできて、本当に良かった。本当に皆さんのおかげです」と家族としての思いを述べた。

深尾さんのご家族もインタビューに応じた

アメリカンホーム保険会社 社長兼CEOの橋谷氏、「来年もやります!」と宣言

家族に見守られての深尾さんのゴールの後、アメリカンホーム保険会社 社長兼CEO 日本における代表者の橋谷有造氏があいさつ。米国出張中にこのイベントのために日本に帰国したという橋谷氏は、「昨年から開始したこの駅伝は、2年で約2,700人の人が、1万4,000kmを走破し、本当に多くの人の思いをタスキにつないできました。これからも保険を通じて、困難に陥っている方をサポートしたいです。来年もぜひ、駅伝をやります!」と来年の実施を高らかに宣言した。

アメリカンホーム保険会社 社長兼CEO 日本における代表者の橋谷有造氏

イベント終了後は、全国からゴールイベント会場に集まったランナー同士の交流会も行われた。

茨城県を走ったという上坂実さん(45歳)は、「1本のタスキをみんなでつないで日本を一周できるのがこの駅伝の魅力。これだけボロボロになったタスキをつなぐのは初めてで、タスキの重みを感じます。来年もぜひ参加したい」。静岡、福井を走った榛葉光夫さん(61歳)は、「がんを経験したが、それに負けないという思いで参加したが、お互いに勇気付けられる。来年も参加したい」。

昨年は愛知、福井、大阪、今年は大阪、滋賀を走ったという井上篤史さん(42歳)は、「友達が昨年尿道がんで亡くなってのですが、私が頑張っている姿を見せたくて、この駅伝に参加しました。この駅伝に参加すると、周りの人たちとすぐに仲良くなれる。来年も参加したい」。

「この駅伝に参加すると、周りの人たちとすぐに仲良くなれる」と話した井上篤史さん

話を聞いた全てのランナーが、「来年も参加したい」と話す、MAEMUKI駅伝。皆さんに話を聞くと、この駅伝の魅力がひしひしと伝わってきた。関心のある方は、ぜひ来年、参加していただきたい。