――監督の中でも燃えてくるものがあったのですね

三池監督「だって絶対に無理なことだらけなんですよ、本を読むと。まずパトカーがない。映画用のパトカーなんて、日本中から集めたって15~6台くらいしかないんですよ。だから、足りない分は全部作らないといけない。安い白い車を探して、色を塗って、パトランプを載せて。パトランプだって、あんな数を用意できないから、機材屋さんからのリースで、壊れたら払いますって。だから、撮影中でも下手に横転させられない(笑)」

――高速道路のシーンはかなり気合が入ってました

三池監督「ちょうど出来上がったばかりの高速道路があって、完成してから道路公団に引き渡されるまで、検査などが二週間くらいかかるんですけど、その期間は作った側の判断で使用することが出来る。そのタイミングで撮影したんですけど、タイヤの跡ひとつつけられないので、歩くのだって大変な状態。だから、派手なアクションシーンはまた別の場所で撮っている。高速の撮影だけでも、博多で空撮したり、岐阜で撮ったりと、けっこういろいろなところで撮影したものが混ざっているんですよ、実は」

――新幹線での移送シーンは台湾での撮影ですね

三池監督「日本だと、だんだん撮影できる場所が少なくなってきているんですよ。たとえば、パトカーの撮影だって、パトランプを回して一般道を走るのは基本NG。許可が下りない。だから、完全に封鎖できるような場所を探して、撮影可能な場所としてストックしていくわけですが、そんな中でも一番手ごわいのが鉄道などの公共の乗り物。私鉄なんかだと、それで話題になったり宣伝になったりするので協力してくれることもあるんですけど、お客さんがいっぱいいるようなところはなかなか難しい。でも、本来の業務として安全を優先したら、当たり前のことですよね」

――それで今回は台湾に足を運んだわけですね

三池監督「貸してくれるとしたら、国民性からいっても台湾だろうと。台湾の人たちはおおらかだし、話をする余地もある。日本だと、時間だけかかって結局ダメになることが多いですから。でも結局は台湾でも少し時間がかかっちゃって……。台湾のほうも初めてだったんですよ、映画に貸すのなんて。だから、何度も行って打ち合わせをしました。こういう画が撮りたいんだって。結局、12両くらいある電車をまるごと貸し切って、内装から日本仕様にして、一週間ぐらい撮影で使わせてもらいました」

――台湾とはいえ、楽ではなかった

三池監督「でも楽しかったですよ。Vシネマを撮っていたころからの仲間が台湾にいて、十年ぶりくらいに協力してもらったんですけど、日本だと絶対に無理ですからね。日本で撮影したら、絶対にどこかで妥協しなければならない。でも今回、台本の段階からできないというのはやめておこうと思ったんですよ。できるかどうかはわからないけど、最初から削るのはなしにしようと。最初に削ってしまったら、その先の可能性がゼロになる。そのおかげで、いろいろなアイデアも出てきましたし、実際に台湾に行って頼むときも、目の色が違っていたと思います。とりあえず台湾に行って、何かあるだろうくらいの感じだったら、向こうの人も『この目つきじゃ貸せない』みたいなこともあったかもしれない。でも今回は、みんなの目が血走っていたので、可哀想になって貸してくれたのかもしれません。それぐらいの迫力があったんじゃないかな(笑)」