最後に、内田社長はあの時期に2年続けて『ガンダム』をやれたことで、他のロボットアニメが『ガンダム』の後継となることなく、『ガンダム』がシリーズ作品として土台を固められた意義は大きいと語る。さらに人間を描く上でニュータイプや強化人間というものを通じて人間とは何かを表現し、さらにロボットで戦うということも「人間を描くために利用するということをやった。それが今現在まで続くガンダムの、ロボットアニメで人間を描くことの基礎になっている」と語る。

福井氏は、近年のBD、DVDを売らなければ、というパッケージ販売主流のアニメの作り方より関連商品が売れればOK、という時代の方がモノ作りにはよかったのではないか、と語る。外国から見れば『ガンダム』、『Zガンダム』、『ZZガンダム』なんていうのは子ども向けアニメとしては無茶苦茶で、考えられない代物だと。それが許されたのはおもちゃが売れればよかったからで、同時におもちゃを売ることだけでなく、作品として真剣に作ってきたから今があるのだという。

小形氏は、先輩たちの作ってきたものがあって、今自分も『ガンダム』を作ることができていることに感謝したい、『ユニコーン』に期待してくださいと述べ、トークは終了となり、イベントは上映会へと進んでいった。

「サンライズフェスティバル2013星彩」

リアルタイムZZ派の補足

いかがだったろうか。『ZZ』のイベントらしい、破天荒なネタが飛び出すトークだったと思うものの、筆者のような『ZZ』派としては、踏み込みが浅いと感じる部分があるのも事実。来場したファンのうちの半数ぐらいが心の中で感じていたであろうじれったさを、筆者がフォローできればと思い、2点ほど補足しておきたい。

まず、プルについて。このキャラがなぜ生まれたのか、どういう位置づけなのかは、トークの中で内田社長が大きなヒントを残してくれた。『Z』、『ZZ』の仮想敵に宮崎駿氏が含まれていたということである。生々しい話になって恐縮だが、10歳の少女をより写実的に描いたのは富野監督と宮崎監督のどちらであるか、ということを考えていただきたい。さらに言うと、現在のアニメの世界で描かれる少女たちについてあえて富野的か、宮崎的か、と言えばこれは圧倒的に富野的だといえる。けがれ無きイノセンスではなく、女「性」としてのアイデンティティを持った存在として少女は描かれるようになったといえば、ご理解いただけるだろう。そして、プルがそう描かれていなかったとしたら、プルとプルツーの壮絶な物語にはリアリティが生まれなかった。デフォルメされすぎたキャラクターでは「私よ、死ねぇーっ!!」という叫びは響かない。このことは『ZZ』を語る上では忘れないでいただきたい。

それから、ジュドー・アーシタの存在意義について。これはリアルタイムで見ていた当時の少年にしか実感できないことかもしれない。5歳で『ガンダム』本放送を見て、小学校高学年で『Z』と『ZZ』を見た筆者にとっては、ずっと解けなかった問題の解答がジュドーだったからだ。アムロは、ア・バオア・クーから脱出後、どうなったか不明。続くZでアムロはダメな人になり、カミーユはああなってしまった。じゃあ僕らが見てきたニュータイプって何なのさ? どうすれば人は変わっていけるのさ? その答えを初めて見せてくれたのがジュドーだった。Zガンダムを盗んで売るとか、妹を助けにハマーンの戦艦にひとりで乗り込んでいくとか、ジュドーの行動は一見、無茶苦茶に見える。

ただ、ジュドーは逆に「そんなことしなきゃいけないのは誰のせいだよ」と、宇宙世紀の歪みそのものをズバリ指摘する。ジュドーにしてみれば敵だ味方だなんてのは関係ない。成り行きでエゥーゴに抱き込まれたものの、ジュドーはブレなかった。リィナのため、仲間のために行動する彼に、プルもプルツーも、ハマーンさえも惹かれていった。

象徴的なのは、カミーユがハマーンの心を覗いた時、ハマーンの憎悪にカミーユは引いてしまったのに対し、ジュドーは逆にハマーンに対して怒りで圧倒したこと。状況と環境の差はあれ、ハマーンのわだかまりと執着を「捨てろ」と一蹴したジュドーの強さは異常だった。プルが死に、リィナが死んだと思い込んでいたにもかかわらず、悲しみに支配されるどころか、ハマーンに憎しみを捨てろと言い切った。このことだけでも、歴代『ガンダム』登場人物の中でもジュドーはとびっきりのヒーローなのだと言える。同時に、戦争の道具ではない、大局に左右されぬ個としての意思を持ったニュータイプとはどういうものなのかを見せてくれた人物でもある。結果的にエゥーゴと連邦に駒として利用されたものの、新しい時代を作っていける人間とはこういう奴なんだな、というニュータイプのあるべき姿がアムロの登場からおよそ9年かけてやっと示されたのだ。

福井氏がどれほど意識しているか分かりませんが、『ガンダムUC』の主人公バナージ・リンクスにはジュドー的な行動と思考が見られます。少しぐらいは両者の共通性というものが語られるかな、という期待もあったのですが、それは『ユニコーン』が完結した後のお楽しみとしておきましょうか。来春のep.7、楽しみに待ちたいと思います。

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