――出身高校が自由な校風だったそうですね。両親の教育方針としては、谷田家と違って"自由"を重んじていたのでしょうか。
自由の森学園への入学を希望する親御さんの中には、明確な主義主張がある人が多いと思うんですけど、うちは本当に普通で平凡なんです。その学校に入るのも、自由の森学園に入学させることに強い思いを持ったリーダー的なお母さんがいて、親はそのお母さんに影響を受けた感じなんですよ。だから僕もその流れで、なんとなく入ったんです。
――大学まで行きなさいとか、進路のことで言われることはありませんでしたか。
大学は行ってほしかったと思います。ただ…なんか、そういうノリって親世代にはあると思うんですよ。あっ! さっきから全部親のせいにしてる(笑)。『学歴は大事だけど自由に育てるのが一番。その自由の中で大学まで行ってくれれば』みたいに、結局レールが見えてきたり。ただ、うちの親はぶっ飛んでたりとか、強い感じだとかそんなタイプの親ではないですね。
――音楽はもちろんのこと、最近では役者としての仕事も増えて来ていますね。ご両親は大喜びでしょうね。
ありがたいことに、僕もまだ自分の活動に満足できてないというか。いろいろ不満点もありますし、未熟だなぁっていつも思ってるんですけど。でも、両親的には『笑っていいとも』に出た時点で全部OKだったみたいです(笑)。この子の将来がどうとかじゃなくて、たぶん、地元で顔が立てばいいんでしょうね。作品も全部面白かったって言ってくれるし(笑)。
――その不満点というのは、いろいろなジャンルにおいてですか?
そうですねぇ…。なんていうんでしょうか、いいものに向かっていく上では違和感があってはいけないと思っています。こういうミュージシャンになりたいのになれていないとか、そういうことではなくて、なにかまだまだ足りない気がするんです。確固たる答えがないことはよくないことなのかもしれないんですけど。
――初めての演技となると、映画『ハチミツとクローバー』(2006年)になるんですかね。
いや! 『ハチクロ』は…何にも考えていませんでした(笑)。目立とうということしか考えてなくて。演技というものを違う感じでやってしまっていたんですかね。演技が音楽の現場とつながると思った瞬間に、ものすごく楽しくなりました。それを教えてくれたのが、吉高由里子さんと共演した『婚前特急』(2011年)ですね。そこで監督が熱心にコメディとはなんたるかを教えこんでくださいました。
――そういえば、高校時代は演劇やコントもやってたそうですね。演技の源はそこで養われたのかと。
高校では音楽以外にコントもやってました。ネタも書いていましたけど、コントと喜劇の違いもわかってなかったんですよね。今思うと、『婚前特急』とはまるで違う。
――その後は、さまざまな作品から声がかかっていますね。その経験を生かして、今、あらためてネタや脚本を書いてみようとは?
……無理ですね(笑)。コントをやってた時も、僕が書いた本ではあまりうまくいかなかったので、世界観を作っていくのは在日ファンクというバンドだけにしています。ほかでは無理です。大変すぎるから(笑)。
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