映画監督でありながらかなりのグルメであり、長年にわたりサンデー・タイムズ紙にレストランの批評を寄稿していたマイケル・ウィナー (C)BANG Media International

1974年に公開された名作アクション『狼よさらば』や『メカニック』(1972年)で知られるマイケル・ウィナー監督が21日、ロンドンの自宅で亡くなった。77歳だった。

映画監督のみならず、プロデューサーや料理批評家としても活躍してきたマイケルは、肝臓病での長い闘病生活の甲斐なく77歳で息を引き取った。初めてのデートから55年後にあたる2011年にようやく結婚したという元ダンサーで妻のジェラルディーン・リントン‐エドワーズは「マイケルは聡明で、面白みがあり、とても心の広い素晴らしい男性でした。私の人生の灯火が消えてしまいました」と悲痛な胸の内を明かした。

チャールズ・ブロンソンが復讐に燃える男を熱演し、監督としてのキャリアで最大のヒット作となった『狼よさらば』に始まり、『ロサンゼルス』(1982年)『スーパー・マグナム』(1985年)と続いた『デス・ウィッシュ』シリーズだけでなく、マーロン・ブランド主演の1972年公開作『妖精たちの森』や、1978年のリメイク作『大いなる眠り』など、マイケルは1960年から1999年年にかけて30本以上の映画でメガホンを取っている。また、60年代に『ザ・システム』などに主演したオリバー・リードとマイケルは、その後も『ザ・ジョーカーズ』『明日に賭ける』(1967年)など5作品でタッグを組んでいる。

2007年にバルバドスでカキを食べたことでビブリオ・バルニフィカス感染症とよばれる細菌感染症に襲われ、死の淵を彷徨ったマイケルは当時、19回の大手術を受けて、足を切断する寸前までに至ったこともある。順調に回復したマイケルだが、その後さらにMRSA感染症を患っていた。さらに2011年には、体内の免疫システム低下によって医師団から食すことを控えるように指示されていたにも関わらず、生肉のタルタル・ステーキを食べて食中毒に陥ったマイケルは、4日間に渡って入院して集中治療を受けている。

マイケルは昨年、担当医から肝臓病により余命1年半から2年と宣告されていた。そんなマイケルは、スイスのディグニタス・クリニックで自殺幇助による安楽死をすることも考えていたようだが、その後に考えを改める。当時、マイケルは死を恐れてないとして「絶望的なのにも関わらず、なんで延命なんてしなきゃいけないんだい!? 自分の命は自分で断つことができる権利がある。僕は喜んで自分の命を絶つことができるさ。この世ではもう十分生きたしね。もし誰かが延命装置をはずしてくれればそんなうれしいことはないさ」と話していた。

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