──昨今、ネットワーク環境やデジタルデバイスを活用した「ノマドワーキング(オフィスなど場所に拘束されないビジネススタイル)」が広まりつつありますが、モバイルの開祖として名高い山根さんから見て、最近のデジタルデバイス事情はどのように映りますか?

山根氏 個人的にはちょっと食傷気味なところがあります。私のイメージ的に、新しいデジタルデバイスが出たら何でもかんでも手に入れて、スペック表の数字にこだわって……みたいな印象を持たれていることも多いんだけど、決してそんなことはない。

──単なる"デジタルガジェットフリーク"ではない、と

山根氏 ええ。新しいデジタル製品をあれこれとコレクションするような興味はないんです。ただ、筋金入りのマック愛好者なので、アップル製品についてはちょっと怪しいですけどね(笑)。「iPhone」が発売されたらその日に手に入れたり。古いところでは、マック専用のデジカメ「QuickTake」(1994年発売)なんかも即入手でした。とはいえ、基本的にはスペック志向でもありませんし。新しいデジタルデバイスは何でも欲しい、というわけでもない。いまは「iPad」があればかなりのことがこなせるから、ノートパソコンを持ち歩くこともだいぶ少なくなりましたね。

"元祖モバイラー"としても知られる山根氏。現在はiPadで事足りているという

大事なのは、「これまでやりたかったのにできなかったことが、できるようになる」ことと、「自分自身の能力をどれだけ拡張できるか」ということ。端的には「正確に記録できること」を重視しています。記録のためのツールとして役立つかどうかがポイント。たとえば、いま使っているコンパクトデジカメ(DSC-WX5)はフルハイビジョン動画とパノラマ写真を撮影できる。フルハイビジョン動画が必要なのは、高解像度の動画だとひとコマを写真クオリティで切り出せるから。パノラマ写真も大事で、人間の視野ってパノラマ的じゃないですか。私は、できれば自分が見たとおりに記録しておきたいので、一般的な画角では理想的な記録写真にはならないんです。それを解消したかった。

究極的な理想は、見たまま、聞いたまま、感じたままを記録できること。だから、脳にカードスロットやコネクタがつながっていて、直でデータを取り込んでおけるようなスタイルが実現するとうれしいんですけどね。

デジタルの利点は、曖昧さを排除できること。たとえば、ノンフィクションで「寒い朝だった」というような書き方では説得力がありません。「午前○時、どこどこの気温は何度で、湿度は何パーセント、風力は何メートルだった」と客観的事実を積み上げていくことがノンフィクションには不可欠だと考えます。だから私はコンパクトなデジタル気象計も持ち歩く。これが本来の意味での「デジタル化」だと思うんです。

──山根さんはインターネットがなかったころから衛星電話を常に持ち歩き、アマゾンの奥地やロシアの僻地からもノートパソコンで通信回線に接続して……という印象が強かったので、ちょっと意外です

山根氏 確かにいろいろなデジタルデバイスに手を出してきましたね。いま思えば無駄だったなと感じるアイテムも少なくない(笑)。でも、ふり返ってみると興味深いものでもあるんです。

1997年から2007年まで日本経済新聞で『デジタルスパイス』というコラムを連載していました。さまざまなデジタルデバイスの話題に触れながら、デジタル世界との付き合い方などをつづったものです。この連載の書籍化の際(タイトルは『賢者のデジタル』マガジンハウス 刊)、加筆修正のために500回以上の連載すべてに改めて目を通しました。そこで痛感したのは、デジタルの世界がどれだけもがきながら、ときには無駄なことに取り組みながら、ここまで歩んできたのかという事実。その10年という歳月の流れを追っていたら、「デジタル」という人間の営みがひとつの文明として形作られていくイメージが浮かんできたんです。「10年前のデジタル機器の話なんて、誰が読むんだよ!」とも思ったけど、一冊の書籍にまとめるとデジタル文明の系譜が概観できた。これはなかなか興味深い発見でしたね。

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