7月から8月にかけて東京・大阪で公演が行われた舞台『道元の冒険』がWOWOWに登場する(10月3日22:20~放送)。現代日本を代表する演出家・蜷川幸雄が新解釈で大胆に脚色した同作。キャストに阿部寛、栗山千明、北村有起哉らの実力派を揃え、最高のキャストとスタッフを迎えた。『天保十二年のシェイクスピア』(2005年)、『薮原検校』(2007年)に続き3作目となる井上作品に、蜷川はどのような"改修工事"をほどこすのか? 注目の作品をレビューする。

かつて見たことのない「仏教ミュージカル」の迫力

『道元の冒険』(C)EP!

現代に生きる我々の中で、道元という存在を身近に感じている方は、少数に属するのではないだろうか。あえてそういう題材を選んだところに、蜷川の挑戦をまず感じ取ることができる。この日本曹洞宗の開祖である道元という男は、西暦1200年に京都で産声を上げた。そして、1231年、『正法眼蔵』という仏教史上でも有数の思想書を完成させ、座禅に打ち込むことこそが、仏教の真理に到達する方法だと説く。その簡潔で明快な教えは、慢性的な飢饉に悩まされていた当時の民衆の心をとらえたという。

『道元の冒険』で、この道元を演じるのが、阿部寛だ。芝居は鎌倉時代中期の寛元元年、道元が開いた宝林寺で、開山七周年記念として弟子たちによる余興「道元禅師半生記」が上演されようとしている場面からはじまる。気がかりなことに、道元は突然眠り込んでしまう奇病に侵されていた。しかも見るのは毎回同じ夢。それは、自らが怪しげな新興宗教の開祖となり、婦女暴行の容疑で警察につかまっている、という内容であった――。

こうして、鎌倉時代と現代を行き来する、壮大な物語が幕を開ける。初期の井上作品に魅せられた理由として、蜷川は「あばれ馬のような」激しさを挙げる。その言葉通り、とにかく圧倒される量のセリフが、怒涛のごとく渦巻いて観客に浴びせられる。過剰なまでのエネルギーが、言葉遊びや歌となって、波のように押し寄せてくる迫力はすごい。舞台音楽を担当した伊藤ヨタロウ氏の不思議なメロディーに乗せられ、謎だらけの歌詞が、観客の体にシャワーのように降りそそぐ。この舞台は、頭ではなく体で理解するのだ、というか、そうでないとついていけない。でも、なぜか気持ちがいい――そんな思いが、徐々に観客の中に生まれる。

全編にあふれる歌が最大のみどころ (C)谷古宇正彦

作品に血を通わせた、キャストたちの力

キャストたちは、10人で50以上の役柄を演じ分ける。舞台袖で早着替えをし、息を切らせて登場する姿が笑いを誘う。体力の限界に挑戦している姿が、観客の心を揺さぶる。

笑える場面とシリアスな場面に、メリハリが効いているのもいい。カベに習字をしたり、目玉で卓球をしてみたり、エキセントリックだが惹きつけられる面白い場面があるからこそ、シリアスな場面でも集中することができる。

過去と現代を行き来する男を演じる阿部寛 (C)谷古宇正彦

この雰囲気の転調にもっとも貢献しているのが、木場勝己の演技力である。笑いに流れ過ぎないようシーンをピリッと締めたり、逆にシリアスな場面では、確かな演技力で観客をひきつけ、飽きさせない。彼なしでは、この作品はもう少し冗長になったかもしれない。北村有起哉、高橋洋らの確かな演技力に裏打ちされた、若さ溢れる爆発力のある演技も素晴らしい。特に北村は、いくつもの役柄を力強く演じ分け、同一人物とは思えないほどだった。セリフにも力があり、あふれ出す感情が観客の心に突き刺さる。

一方で、阿部寛は主演にも関わらず、あまりに登場シーンが少なく残念であった。ほふく前進をするシーンなど笑いを誘う見せ場もあるが、すぐに眠りにつくという設定が、阿部の魅力的な演技をブツ切りにしてしまっている感が否めず、もったいない。また、少年道元を演じた栗山千明は、透き通った声に魅力を感じたが、セリフが一本調子になっており存在感がなかった印象。横山めぐみは、「日活ロマンポルノ風」に演じるよう言われたそうで、道元を誘惑するエロスを発揮できていた。観客も道元と同じくドキドキさせられる。 キャスト全体に言えることとしては、歌の歌詞が聞き取れない部分が多くあり、作品世界にひたっている観客の意識を醒めさせてしまったのが、反省点であろう。

不気味なラストに込められた思い

ラストシーンでは、あっと驚く演出が待っている。演出家・蜷川幸雄が、現代の息苦しい状態を視覚化した、見事な場面だ。観客はその唐突さにギョッと驚くだろうが、この場面に込められたメッセージを、はっきりと受け取ることができずに混乱するかもしれない。しかし、それでよいのではないだろうか。リフレインされる「夢は短い狂気 狂気は長い夢」の言葉――得体の知れない不気味さが、体全体を覆う。それこそが、言語化できない感覚を演劇人として可視化した、蜷川の狙いに他ならないのではないか。この居心地の悪さは、劇場を出た観客がそれぞれの生活において、徐々に「体で」実感していくものなのかもしれない。

『道元の冒険』はWOWOWで10月3日(22:20~)に放送される。