アール・ヌーヴォーを代表する芸術家、エミール・ガレ(1846~1904)。そして、19世紀後半にヨーロッパで巻き起こった「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブーム。この両者の関係を、国内外のガレ作品の他、ジャポニスムの作品、約140件を通して紹介する「ガレとジャポニスム」展が20日から、東京・六本木のサントリー美術館で開催されている。5月11日まで。なお、同展はサントリー美術館が東京ミッドタウンに開館して1周年の「開館1周年記念展」として位置づけられている。

東京ミッドタウンに移転して一周年のサントリー美術館。年間10万人だった来場者が75万人に増えたという

『北斎漫画』も真似た初期のガレ

エミール・ガレは1846年、フランス北東部のナンシーに生まれた。父シャルルはガラス器や陶器の製造販売業を営んでおり、ナポレオン3世から注文を受けたり、パリ万博で度々入賞するなど、腕のいい職人として知られた。そんな父親の後を継ぐ形で創作活動を始めたガレは、当時、大流行したジャポニスムから多大な影響を受けた。ガラス器や陶器、家具など、幅広いガレの作品には、さまざまな形で日本美術との深い結びつきが見られる。その傾倒ぶりは、当時の批評家に「ナンシーで日本人として生まれた運命のいたずら」とまで言わしめたほどであった。

約30年間に及ぶガレの創作活動の中で、日本美術への美意識が深まっていく過程を、この展覧会では4段階に分けて紹介している。会場入口を入ってまず最初のコーナー「Ⅰ コラージュされた日本美術─ジャポニスム全盛の時代」では、ガレが創作活動を開始した初期の作品が展示されている。

ガレは、日本美術の影響を受けて、自らも数多くの日本画風の絵画を描いている

19世紀後半、ヨーロッパでは海を渡った日本美術が驚きと賞賛をもって受け入れられ、絵画、工芸、建築など、さまざまな分野でジャポニスムという社会現象を巻き起こしていた。そうした時代のうねりの中で創作活動をスタートしたガレは、当然ジャポニスムの影響を強く受ける。とくに父シャルルに従って参加した1867年のパリ万博では、多くの日本美術を直接目にした。21歳の若いガレがどれほどの刺激を受けたか、想像するに難くない。 実際、1970年代に入るとガレは、自らも日本の美術品を蒐集しはじめている。いまではそのほとんどが散逸してしまって、全貌を知ることはできないが、陶磁器、金属器、漆器、版画など膨大なものであったらしい。

たとえば会場に展示された、鯉を大胆にあしらったガラス製の花器「鯉」。これは葛飾北斎の『北斎漫画』からモティーフを転用して作られたものだ。ガレがいかに北斎に刺激されたか。すぐそばには『北斎漫画』の実物も展示され、見比べることで、ガレの北斎への傾倒ぶりがよくわかる。こうしたガレ作品とその影響を与えた日本の美術品を並べて展示する展示法はこの展覧会の特長とも言え、実に分かりやすく直感的にガレと日本美術との関係を見せてくれる。

並んで展示されたガレの作品と、日本人作家の作品が、何の違和感も感じさせない

このコーナーには、この他にもガレが『北斎漫画』からモティーフを転用したガラス鉢「蓮に蛙」や、蒔絵を思わせるガラス花器「バッタ」をはじめ数多くの初期の作品が展示されているだけでなく、当時同じように日本美術の影響を受けて作られたロイヤルコペンハーゲンの皿「鯉」、ティファニー商会の水差し「蜻蛉」、ミントンの壺「日本女性像」など、ジャポニスムの息づかいを満喫させてくれる作品が数多く展示されている。

このように誰もがこぞって日本美術を取り上げた時代だが、そのほとんどが日本美術を切り取って転用、借用するという時代だった。ガレもまたその例に漏れず、日本美術に熱狂する一方で、モティーフの借用が目立ち、その理解はまだ表面的なものにとどまっていることをうかがわせる。