押井守の世界に地下水脈として延々流れ、ときどきうる星の国とかパトレイバーの国とかに湧いて出る(もとをたどればタイムボカンの国にも流れていたらしい)立喰師たち。地下水脈であったからこそのアヤシゲな魅力が表舞台に発動したことで、押井世界の押し売りみたいに言われちゃったのが「立喰師列伝」という映画だったのだろう。

2006年に公開された前作「立喰師列伝」は、監督押井守が数々の作品で繰り返し描いてきた架空の職業、立ち食い蕎麦を始め飲食店での無銭飲食を生業とする"立喰師"を描いた、笑いどころのわからない黒いコメディ(に分類していいのかは不明)。出演者を数千枚の写真に納めた上で、紙に貼り付けて動かしたような動きをCGで作り出すスーパーライブメーションと名付けられた技法など、ビジュアル的にはかなり凝った作品だ。

あれって続編作るタイプの映画だっけ? と観る前に思ったのだが、よくあるいわゆる続編モノではなく、自らオトシマエをつける方向の作品だった。それが真実なのか虚構なのか策略なのかは、押井の映画と同じで明確に判別することができないが。

金魚姫 鼈甲飴の有理(ひし美ゆり子)

押井監督による1話目は、立喰師たちが各方面に衝撃を与えた前作からしばらく後という設定のようだ。立喰師にとっては生きにくい時代、ということなんだろうか。今回は普通に人間が演じているのだが、それを差し引いても個人的な視点の画面、個人的な視点のナレーションと、方向性はぜんぜん違う。だいたい、写真師坂崎が伝説の立喰師を探すのはその金魚の刺青をカメラに納めたいがためで、ゴトの真髄とかについての論説は皆無だ。

『ウルトラセブン』のアンヌ隊員役でおなじみ、ひし美ゆり子

立喰師が生きにくい世にあって、立喰師であることに徹したが故に表舞台から姿を消した"鼈甲飴の有理"。「立喰師」を冠した作品で、押井が立喰師を退いた人物を描いたのはなぜなのだろう。金魚は水中へ泳ぎ出したが、これで何かから解放されたのは本当は彼女の方だったのかもしれない。とかの変な深読みを誘うところがまた押井ブシが効いてる感じだ。

荒野の弐挺拳銃 バーボンのミキ(水野美紀)

「立喰師」という押井世界に住む人物について、大概の者はまず疑問を持たずにいられない。彼らは一体何者なのか? "師"として成り立つのか? そもそも何が目的なのか……。しかし、監督・脚本・撮影を一手に担う辻本貴則はその存在を認識・理解する過程を踏まず、疑問ごと一気に丸呑みにしてしまった。そして、そんなことより拳銃撃ちまくって呑み逃げする女ってカッコよくね? というフェーズにさくっと移行し、いかにして水野美紀をよりカッコよく見せるかという画作りに没頭したのだろう。

その美貌と華麗なガン裁きを武器に"幻のバーボン"を探し求める

このバーボンのミキにとって、押井世界に生きた伝説的立喰師たちや、その経た歴史や闘争すら何の関係もないものだ。立喰師が生きにくくなった日本とは別の世界に別の理を持って生き、ゴトというより堂々とご馳走になる彼女の姿は、立喰師史上最も活き活きしていると言って間違いないだろう。

Dandelion 学食のマブ(安藤麻吹)

前作で牛丼予知野屋、次いでロッテリアの店長に扮した神山監督が、ファミレスに転職して再び登場。しかし神山店長は外食産業の経営構造と社会的意義の変遷に興味を持つのであって、食べることそのものに対しては全く何の言及もない。加えて店長の前に現れた「学食のマブ」も、学食やコーヒー代のゴトより、お冷やにタンポポを挿すという行為においてその存在感を示し、立喰師vs店長の構図は不器用な女と鈍感な男の物語にすげ替えられる。

前作で立喰師たちと死闘を繰り広げた神山店長。転職した先でも立喰師に遭ってしまうのか

自らキャラを掘り下げることで押井立喰師との"地続き感"を演出しつつも、描かれないことで伝説たりえてきた存在「立喰師」の個人的事情に踏み込むという全く逆のアプローチを見せた作品。ライ麦畑に行きたかった店長は、恨むべき立喰師たちに今となっては喪失感を抱きつつ広大な外食の海を漂流し始めるが、物語は新たな伝説への予感という押井立喰師への地続き感で行儀良く締められた。

草間のささやき 氷苺の玖実 (藤田陽子)

昨年のぴあフィルムフェスティバル入賞、商業作品初監督となる湯浅弘章監督の描く立喰師は、この物語で一度も氷苺を食べていない。女を武器に、違うものを食べている。氷苺は、溶けてなくなってしまうものとして描かれるのだが、それは彼らが手に入れられなかった何かを象徴するものなのだろうか。

しかし、もうそんなことはどうでもいい。ただ美しい映像を美しいものとして見て、それに浸っていたい。つか、むしろ黙って見ろ、と思わされるほどの映像美が綿々と展開する。果てしなく広がる唐きび畑と、通り抜けるがさがさという音、走り去る白いブラウスの女、そして紅い氷苺……。一体彼女は立喰師だったんだろうか? ナレーションをする"誰か"の祖母になる道へどうやって歩き出したのだろうか? その祖父とは? いや、もうそんなことはどうでもいいのだ……。

歌謡の天使 クレープのマミ(小倉優子)

押井立喰師に真っ向から立ち向かってこれを消化し、唯一正統な系譜に属する立喰師を描いたといえる、神谷誠監督の作品。混沌の時代に現れた伝説の立喰師たちはなぜか皆反体制の匂いをまとっているが、体制側がより巧妙化した時代においては立喰師もまたその生態を一変させている……ということらしい。

アイドル予備軍かつ、無銭飲食の常習者のマミに隠された真実とは……?

虚構と現実を多層に重ねたその世界が、80年代の甘酸っぱい香りとやたら堂に入ったアイドル集団の歌謡にまぎれて、妙な現実味を醸し出している。アイドルによるキュートで鮮やかなゴトと、社会の裏に巡らされた陰謀。もしかしてその陰謀すら大がかりなゴトだったのでは? と疑う展開。自分がどこから嵌められているのか、振り返っても何も見えない。いや、それがすでにマミの術中に嵌っているということなのかもしれない。時代と立喰師がどんなに変わっても、それに翻弄される周囲だけはいつの時代も変わらない。日本はいま、何歳なのだろう。

ASSAULT GIRL ケンタッキーの日菜子 (佐伯日菜子)

このメカ、この武装、この会話、色や質感までが一体となって、瞬時に押井世界をそこに展開する。押井汁がダクダクにあふれ出すくどい世界に、「やっぱりトリはサブちゃん」みたいな奇妙な安心感を得た瞬間、自分が押井の手のひらの上で遊ばされていたことを突きつけられた。密室で展開していた物語を茶番だと思って見ていたら、実はそれを見ている自分こそが茶番的状況であったのだ。6本の作品の世界観も、見る側のどんな評価も飲み込んで、伝説はここに一方的に結着した。

押井と、押井が選んだ4人の若手監督が撮った6編のオムニバス。6人の女優それぞれの個性が際立った、多彩な要素を含みまくりの作品だ。確かに長いしバラバラだ。だがそこも監督の手のひらの上、素直に"特B+級"エンタテインメントとして楽しまなくてはソンだろう。

『真・女立喰師列伝』は11月10日(土)~11月30日(金)渋谷シネクイントにて特別限定レイトショー公開

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