広島で生まれたことが多分に「影響している」と語る原田。平和への祈りをこめて、常に「優しさ」を胸にたずさえて歌うのが使命だとも。2000年から始まった神社での「鎮守の杜コンサート」はもとより、2005年に設立したNPO法人「ジェントルアース」の活動も、また校歌制作も、活動内容は幅広いが根元の思いは一緒だ。

「僕は5年後ぐらいのことしか考えられないんですけど、これからの5年でやらなくちゃならないことはいっぱいある。地球の環境問題もそうだし『今からの5年が勝負だ』という危機感を持って僕は過ごしています。1人では何も変えられないし、僕は音楽で『優しさの火種』をまくぐらいしか出来ないかもしれないけれど、それでも何もせずにいるよりはイイ! 各自みんなが1歩でも踏み出せばこの世の中は確実に変わる。1人の人間ができることって実はいっぱいあるんですよ。立ち上がったあなたが周りへの思いやりや優しさを持てば、必ずパートナーや家族や友達に伝わる。そんな思いがどんどん広がっていけば世界は激変しますよね。僕の音楽の永遠のテーマでもあります。いつも心に優しさを持っていたいじゃないですか。それを伝えるためだったら僕は世界中どこへでも行って歌います。バンドと一緒でもいいし、たった1人でギターやキーボードを抱えて行ってもいい。今も各地で講演なんかもしてますし、もう何でもしますよ。記念アルバムを聴いて下さった方やライブにきていただいた方たちに、少しでもその思いが伝わればうれしいですね」

広島が僕に与えた影響

「僕が初めて詞を書いたり曲を作り始めたのは中学~高校のころなんですけど、その当時から筆をとればいつもそんな思いの丈をぶつけていました。18歳でデビューした時も、気持ちは一緒でした。原風景はやっぱり……広島。そう、広島生まれということが多分に影響しているんでしょうね。僕が通っていた小学校は、原爆が投下された場所の目の前なんですよ。最も爆心地に近い学校と言われていて。小学校の建物は原爆資料館になっているんです。当時では非常に珍しい鉄筋の建物だったので焼けずに残ったんですね。歴史が刻まれた小学校に通っていて、自然と平和についても考えるようになっていきました。吉田拓郎さんがメッセージ色の強いフォークでデビューして、僕のデビュー後にはメッセージ性が少ないニューミュージックやフュージョンが流行った。僕はその狭間にデビューしました。でも僕の中には何をみんなに伝えるべきなのかが明確になっていたので、アイドル的な扱いを受けていても、そんなに戸惑わなかったんです」

周りを思いやる気持ちを持とう

「平和へのメッセージで何が一番、重要なのか? 考えて突き詰めていったら、それは『愛』という言葉で表現されたり、また時には『ハピネス』という言葉に置き換えられたり、思いやりだったりしましたが、僕が一番ピンと来たのはやっぱり『優しさ』というキーワードでした。優しさ=愛。だから自分だけよければいい……なんていう考えは排除して、周りを思いやる気持ちを持とうと。それこそが平和を作り出す一番の原動力だと、子供の時から考えていたんだと思います。周囲とバランスを取ることを忘れたくない! 優しさや思いやりを持てる人、周りと調和を保とうとしている人はどんなに素晴らしいか、いかに豊かか。それをみんなに感じて欲しいと思います。さっきも言いましたけど、大和の和って平和の和で調和の和でしょう。世界に平和をもたらすにはグローバルハーモニーが必要なんですよね。この2~3年はニューヨークでのコンサートもあって、広島・長崎をアピールできましたので、これからも活動の場を広げたいと考えています。今まではタブー視されている部分もあって広島展などが休止されることもあったりしたんですが、"9・11事件"以降はだいぶ変わりましたね。テロもあってはならないことですが、正義という名のもとの戦争も絶対にあってはならない。アメリカの多くのミュージシャンたちも同じ思いでコンサートを開いていますからいろいろ刺激を受けますね」