新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。第6回目は、元「聖飢魔Ⅱ」の古川徹さんにお話をうかがいました。
ダンディな社長は元“悪魔”!?
「お金(金融)の失敗を防ぐWebサービス会社」として、金融全般に関する情報やサービスを提供している保険マンモス株式会社。代表取締役を務める古川徹さんは、現在のダンディな風貌からは想像がつかない意外な過去を持っています。
その過去とは、なんと“悪魔”。古川さんは、ヘヴィメタルバンド「聖飢魔Ⅱ」のドラマーとして活動していました。当時の名は「ジャギ古川」。
地球征服を企む悪の教団から、保険の正しい知識を布教する企業のトップへ。異次元ともいえるほどの別世界に大胆にも転身することができた背景には、古川さんが徹底する鉄則があったのです。
ドラムに捧げた青春時代。聖飢魔Ⅱにドラマーとして加入するも…
古川さんがドラムに出会ったのは中学生のとき。始めてすぐにドラムの虜になったといいます。
音楽を始めたのは「女の子にモテたかった」というのが正直なところです(笑)。最初はギターをやってみたのですが思うように演奏できず、それからドラムに移行しました。すると、割と叩けたんですよね。 |
いとも簡単に8ビートやトリプレットをマスターした古川さんは、中学・高校とドラムの基礎トレーニングに打ち込みました。「自分にはドラムの才能があるのではないか――」。ハードロックを嗜むうち、次第にそう思うようになっていったそうです。
高校を卒業した古川さんは上京し、早稲田大学に入学。プロのミュージシャンを本気で志すようになりました。
プロを目指すにあたりジャズやフュージョンのドラムテクニックを学ぼうと、プロミュージシャンを輩出している大学公認の名門サークルに所属しましたが、周囲のレベルがあまりにも高く、自分の未熟さを痛感しました。 |
「1年後には、まずドラマーの第一関門であるバスドラを自由自在に操れるようになる」などと明確な目標を掲げながら戦略的に練習した甲斐もあって、2年生にはそれなりには通用するレベルに上達したそうです。3年生の頃には、学園祭で8バンドを掛け持ちするほどの人気ドラマーに成長しました。そんなとき、ある人物から誘われます。それが、のちの「デーモン小暮閣下」でした。
レコード会社のオーディションを突破した聖飢魔Ⅱのデビューが決まったのですが、そのタイミングでドラムの人が辞めたため、私に声がかかったんです。メイクしたりするのは好きではなかったのですが(笑)、プロになる近道だと思い加入しました。 |
古川徹からジャギ古川に。しかし、たった数か月で古川徹に戻ることになります。そのきっかけは、圧倒的なプロの演奏を耳にしたことでした。
スタジオで練習していると、尊敬するドラマーの演奏が隣から漏れ聞こえてきまして。私は練習量で才能をカバーしようと考えていたのですが、その方は凄まじい才能がありながら大量の努力を重ねていました。「自分はプロでは通用しない」。そう悟りましたね。 |
自身の可能性を見切ることは、誰にとってもつらいものです。けれど、当時を振り返り「早めにケリを付けられて良かった」と言い切る古川さんの清々しい表情からは、やり切った自負があるからこその充実感が見て取れました。
サラリーマンとFPを経て起業。マーケティングで保険業界に変革を起こす
聖飢魔Ⅱを脱退した古川さんは、一転、未練を断ち切るように安定を求めました。大学を卒業し、大手総合科学メーカーに入社。入社1年目から上司に鍛えられたそうです。
厳しい上司でしたが、高い営業力や職業人としてのスタンスを尊敬していました。資料の作り方から顧客対応など、音楽を夢見ていた若者だった私に「社会人とは何たるか」を一から教えてくれました。 |
古川さんが特に好きだった仕事が、消費者向けプロモーション企画の立案・提案。いわゆるマーケティングです。保険業界に特化したマーケティング・サービスを提供している保険マンモスの原点はこのメーカー時代にあったのです。
商品をいかに高い価格で流通させるか、消費者の需要動向を見つつ合理的に提案していくことに大きなやりがいを感じていました。 |
そんなある日、サラリーマンとして順風満帆に過ごしていた古川さんに転機が訪れます。大手保険会社からヘッドハンティングの電話がかかってきたのです。
今ほど転職が一般的ではなかったですし、かなり迷いましたね。でも、「保険のイメージを変えたい」という会社の理念に共感したこともあり、前向きに検討することにしました。 |
転職すれば、給与はフルコミッション(完全歩合給)制に。せっかく手にした安定を台無しにしかねない選択を前に、古川さんは慎重に考え抜いたそうです。
自分でも調べましたし、実際にその保険会社で働くファイナンシャルプランナー(FP)さんや上手くいっていない人も含め、複数の人に会わせていただき半年間かけてじっくり検討しました。 |
その結果、古川さんは転職を決意。30代半ばでの新たな挑戦でした。考え抜いて納得すれば、あとは前進あるのみ。古川さんは、貪欲に勉強し金融、保険、そして必要となる周辺知識をどんどん蓄積していきました。それは成果に直結し、7年目には専門職として最高位のエグゼクティブプランナーに上り詰めました。そして、本当に余裕を持って業界全体を俯瞰してみた結果、大きな疑問が湧いてくるようになったのです。
営業プロセスが近代化されておらず、コンサルティングとマーケティングという極めて専門性と難易度の高い業務を、一人の営業マンが両立させなければ成果に繋がらない状況にあったのです。そのため、離職率が高止まりの保険業界の現状を「もう変えなければ」と思うようになりました。 |
「マーケティングを仕組み化すれば、ファイナンシャルプランナーは今よりもっとコンサルティングに力を注げるようになる」。確信のもと、アメリカ発のネットマーケティングを研究し会社に提案するも、まさかの却下。諦めきれなかった古川さんが選んだのは起業の道でした。
当時、「自ら保険の申し込みをするような人は、何らかの理由で保険に加入できない曰く付きの人しかいない」と考えられていた時代なので、全く自信があった訳ではないですが、やらなければ後々後悔するだろうと思ったんです。それが自分の信条であると考え起業を決断しました。 |
ドラムから学んだ“備え”。何かに挑む前には慎重に考え尽くす
2005年に設立した保険マンモス株式会社は急成長。保険マンモスが始めたマーケティング業務は「募集関連行為」と法改正で定義づけられるなど、古川さんは保険業界に多大なインパクトを与えました。
今後は、従来のマーケティング業務に加え、ファイナンシャルプランナーの教育事業や顧客フォローに注力していきたいと考えています。変革の先頭に立ち、まだまだ足跡を残していきたいですね。 |
社会的な課題に対する解決策を立て、それが世の中の役に立ったときには大きな喜びを感じると目を細めます。
「思いをかたちにする」という意味においては、マーティングも音楽も変わりありません。ドラムで養われた全体を俯瞰する力やバランス感覚は、今の仕事にも存分に活きていると感じますね。 |
聖飢魔Ⅱを脱退し、音楽で生きていくことを断念してから数々の挑戦をしてきた古川さんですが、後悔しないための“備え”もドラムから学んだそうです。
一流のドラマーは、あらゆることをシミュレーションして備えています。それと同じように、何かに挑もうとするなら何が起きても自分の責任で対応できるよう、これ以上ないほど慎重に考え尽くすことが大切。 |
アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。
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