新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。第7回目は、元「モデル」の田中麻衣美さんにお話をうかがいました。

  • 田中麻衣美

    第7回目は、元「モデル」の田中麻衣美さん

モデル体型を捨て、競輪の世界へ

いまだに選手に見られないことがあって。タクシーに乗って『選手宿舎まで』と伝えると、運転手さんに『何しに行くの?』って言われたりします(笑)

こう笑顔で話す田中麻衣美さん。キュートな見た目からは想像がつかないたくましい脚が、凄まじいトレーニングの成果を物語っています。

  • 元モデル 競輪選手

田中さんは、元モデルの経歴を持つ競輪選手。競輪とは無縁の人生を送ってきたという彼女は、どうしてモデル体型を捨ててまで競輪の世界に身を置くようになったのでしょうか。

突如現れた「競輪」の二文字。女子競輪48年ぶりの復活が人生を変える

  • 競輪 きっかけ

18歳の頃からエステティシャンとして働いていた田中さん。知人から誘われたのをきっかけにブライダルモデルに挑戦することになったそうです。

最初はアルバイト感覚というか、少しお手伝いをするだけのつもりだったのですが、専属のブライダルモデルとなって活動することになりました。

  • モデル時代 田中麻衣美

    モデル時代の田中さん

エステティシャンの仕事の傍ら、ブライダルモデルとしてファッションショーやイベントにも出演する日々。あるとき、田中さんの人生に「競輪」の二文字が突如現れます。

職場の後輩から『弥彦競輪場のキャンペーンガールが足りなくて困っている』という話を聞きまして。それまで競輪について全く知りませんでしたが、やってみようと興味が湧きました

  • 弥彦競輪場 元キャンペーンガール

2010年、弥彦競輪のPRユニット「すぴRits(スピリッツ)」に所属。エキシビジョンレースに出場するなどしてPR活動に奔走しました。そんな中、ある運命的な一報が田中さんの元に届きます。それは、女子競輪の復活でした。

  • 女子競輪 48年ぶり 復活

女子競輪が48年ぶりに復活することになり、志願者を集めるために“広告塔”の役割で参加してほしいとオファーを受けました

キャンペーンガールを始めてからというもの、競輪を盛り上げることに意欲的だった田中さんはこれを受諾。応募してきた3名の仲間とともに、プロデビューに向けて練習に励むことになりました。

  • 女子競輪 レース

プロの競輪選手になるには、日本競輪学校の入学試験に合格しなければなりません。仲間と汗を流すうち、“広告塔”として参加していたはずの田中さんの心に変化が訪れます

みんなが真剣に挑んでいる中、中途半端な気持ちでいちゃいけないなと思うようになりました。それに、いざ自転車で走ってみるとスピードが出て楽しかったので、私も競輪選手を本気で目指すことにしました

  • 田中麻衣美 競輪選手

高校時代、陸上に青春を捧げていた田中さんのタイムは順調に伸びていき、一次試験のタイム測定をはじめ、二次試験の面接と筆記テストにも見事合格。仲間と一緒に、晴れて日本競輪学校の門を叩くことになったのです。

皆勤賞で競輪学校を卒業。目の前のことに前向きにストイックに

  • 競輪学校での生活

10か月におよぶ競輪学校での生活は過酷なものでした。閉ざされた環境で、朝から晩まで自転車を漕ぐ毎日。心身ともに大変だったと田中さんは当時を振り返ります。

寮では決められたスケジュール通りに生活しなければならず、食事も早食いみたいでした(笑)

  • 競輪学校 過酷な毎日

身体づくりのために食べる量が増えたことで、この頃からモデル体型はどんどん変わっていきました。積み重なったストレスが原因となったのか、急性胃腸炎を発症したことも。それでも練習は一度も休みませんでした。

「まだ自分は何もできない。せめて休まずに訓練は受けよう」と決めていたので、何とか乗り切りました。

  • 競輪学校時代 エピソード

田中さんは、なんと皆勤賞で競輪学校を卒業。ついに女子競輪復活後の第1期生としてプロの競輪選手になりました。しかし、デビューからしばらくの間、勝ち星には恵まれなかったそうです。

練習ではできていることが本番のレースでは思うようにいかなくて。相手と接触しそうになると「落車させちゃいけない」という意識が強くなったりして、なかなか勝ち切れませんでしたね。

  • 練習と本番のギャップ

けれど、同期の仲間が初勝利を次々に挙げるのを目にしても、田中さんが焦ることはありませんでした。

追われる立場になるより追う方が楽ですし、全力でレースに臨めばいつか必ず結果は付いてくると信じていました

  • 焦らなかった理由

ヤジを飛ばされても、それすらパワーに変換する。「悩んでいても仕方がない」と持ち前の前向きさが功を奏し、徐々にレースにのめり込んでいくようになります。ヤジだけではなく、ジャン(打鐘)も耳に入らないほど集中力が極限にまで達するようになった田中さんは、プロデビューから約1年後、初の1着に輝きました

うれしいというより、ほっとした方が大きかったですね。

  • 初の1着

大好きな競輪を続けられる。そんな思いもあったのかもしれません。

最後まであきらめない。ゼロからのスタートでも努力し続ければ夢はかなう

競輪選手として8年目を迎えた田中さんは、現在の自身の調子に手応えを感じているそうです。体重が減らないように食生活に細心の注意を払い、健康管理を徹底しながら練習に取り組む今、最高のコンディションをキープできているのだとか。そんな田中さんが見据えるのは念願の初優勝です。

  • 初優勝

それから、もうひとつ。女子競輪をもっと盛り上げていきたい。と語ってくれました。弥彦競輪のキャンペーンガールに端を発した田中さんの競輪人生。当時の初心は忘れ去られたわけではなかったのです。優勝を果たし、自身が注目を浴びることで女子競輪の人気につながれば――。そこには競輪への恩返しの思いが垣間見えました。

  • 顔より太もも

競輪と出会ってから自分が生き生きとしていることに気づいたんです。それまでは「何が楽しいんだろう」と思いながら何となく生きていたように思います。楽しいから、つらいトレーニングもがんばれます。

  • 競輪と出会って気づいたこと

これまで何度か手術を経験したり、身体つきが変わっていくことに戸惑いを覚えたりするなど、笑顔の裏に隠された苦労は少なくありません。

でも、新しいことに挑戦するためには何かを捨てないといけないと思うんです。私の場合、体型や自由な時間を捨てましたが、競輪選手になれたことで人間的に強くなり成長できました。

  • 新しいことに挑戦するためには何かを捨てないといけない

レース終盤に一気に追い込む脚質が魅力の田中さんは、いわば同じスタンスで人生を生き抜いているのです。

こんな私でも競輪選手になることができました。たとえゼロからのスタートであっても、努力し続ければ夢はかないます

  • 田中麻衣美 努力

最後まであきらめないで、楽しくストイックに努力する。田中さんが魅せる走りには、夢を追い続けるために必要なことが投影されているように思えました。

  • 夢を追い続ける

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アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。


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