システムもまた人

第VII部では、システム構築の諸問題とその評価について述べる。データの取得に絡む諸問題、システム構築の具体的な手段、適正化の手段、スリッページの克服、取引システムの評価などについて問題点を明らかにしその解決策を探っていく。

その前にこの第1章では、システム運用であまり語られることが無いが、実は誰もが問題の核心だと感じている重要な要素について語って見たい。それは人である。

取引システムを構築するのは人、それを売るのも使うのも人である。人ほど分かりにくいものは無く、それは方程式でも、評価関数でも表現することが出来ない。システム取引の最も重大な局面で決定的な役割を果たす。しかしながら人はその重要な役割をうまく果たせずに、何故か間違った判断や選択をする傾向がある。まともな人間だからこそ誰しも犯す、決まりきった筋道があるのだ。

これから書く事は何の目新しいことでもなく、金融界なら繰り返して聞く平凡な話に過ぎない。しかし考えれば考えるほど、本質的な問題を教えてくれるように思えてならない。

70年代末、オランダの金融規制緩和

70年代の末、オランダ政府は欧州の先頭を切って金融制度の思い切った緩和を実施した。その成果は見事に実を結んだ。オランダは九州ほどの広さしかない小国であるが、その銀行群は欧州最強クラスにランクされている。

日経平均株価先物取引の失敗で崩壊の危機に瀕した英国のベアリング銀行を、800億円前後の債務の肩代りと引き換えに、僅か100円で買ったING銀行がその例である。

為替取引や先物取引の規制緩和も当時実施され、国民は自由に外国通貨の口座を持って、通貨の売買をしたり、ドルを買ってシカゴの先物市場に参加することができるようになった。

オランダの税制は非常に判りやすく、キャピタルゲイン(投資・投機による譲渡益)はそれがいくら高額であろうが全く無税である。たとえプロであっても、個人として投資をした場合は、プロの知識や経験をいくら生かしても、それがインサイダー取引でない限り、やはり無税となる。近年キャピタル税が数パーセント課せられるようになったが、以前はそれすらなかった。

もう一つオランダで重要な仕組みが有る。それは非常に進化した敗者救済の社会制度である。一言で言うと、大投資の失敗が人生の破綻に直結する可能性が他国よりも小さい。人は経済的に追い詰められたから投資に手を出すのではない。経済的に追い詰められてもやり直しが利くと言う漠然とした確信があるから思い切って投資をする事ができる。

そして失敗をした人を白い目では見ない。何度でもやり直せばいいさ、というような寛容の精神がある。自分も失敗することはあるのだから人の失敗は責めないほうが得だという社会的暗黙の合意がある。

こうした自由で寛容的リスク感覚を背景に、先物取引で大成功を手にするトレーダーが出てきた。

鋼鉄の神経を備えたトレーダー

1981年、私は米国コンチ・コモディティーズ社のアムステルダム支社長A氏に初めて会った。先物口座を開設しに行って引き合わされたのだが、いわゆるトレーダーという人種に会うのはこれが初めての経験だった。A氏はもともと銀行で貴金属の販売を手掛けていたが、先物取引で成功を収めて独立、コンチ・コモディティーズ社の子会社をアムステルダムに開くまでになった。新聞でも銀の取引で年収数億円相当を稼いでいるとインタビュー記事で述べていた。稼ぎを平気で公表するのは、課税の恐れが全くないからである。

(画像 : シルバーのチャート、大天井が79~81年。著筆作成)

A氏の成功の影には当時の銀市場を巡っての近代史上最大の貴金属仕手戦がある。ハント兄弟が仕掛けた銀の大規模買い占め事件で、世界中の投機家が主としてハント兄弟の買い方に堤灯(ちょうちん=追随者)を付け、銀の生産者側が売り方に回った。A氏はハント兄弟の売買に何らかの関係を持っていたらしく、アラブの資産家たちを主たる顧客として、ハント兄弟といっしょに銀を買いまくったと話していた。

(画像 : 実録ハント銀投機事件、ポール・サーノフ著、筆者蔵書表紙)

アムステルダムのA氏の社長室には、大型ヨットがカリブ海を巡航している写真が飾られていた。このヨットには10人倶楽部とか何とか言うトレーダーのグループが乗っている。毎年世界のコンチ・コモディティーズ関係のトレーダーたちの中で最大の稼ぎ頭10人に対する勲章を称えるためのクルーズである。A氏が選ばれるのは今年でもう2度目になると説明してくれた。その後何度かA氏にあった事があるが、オランダ人にしては珍しいほど笑わない人だった。にこりともせず、彼の神経は恐らくピアノ線のように冷たく、強いものなのだろうと容易に想像させる凄味があった。先物取引で成功した人を見たのはこの時が最初である。著名なトレーダーには音楽の名人と同じ様な強烈な個性が備わっているのを見て、トレーダーと言う人種に強い興味を抱いた。

彼は結局米国の大手に引き抜かれて米国内支社の社長を任される事になり米国に渡った。その後、銀と金の史上最大のバブルは完全に終焉し、「彼はその後どうなったかな」と思っていたら、いつのまにか帰国してロッテルダムの投資会社で課長程度に格下げで働いていると聞いた。金融界の浮遊の激しさを知らない私はしばらく理由が理解出来なかった。

システム選択に賭ける

(画像 : MAR香港大会にて講演中)

93年にMAR(マネージメント・アカウント・レポート社)が主宰した環太平洋デリバティブ・インベストメント香港会議に、私はパネリストとして出席していた。

この時、会場をうろうろしている妙な中国人C氏と知り合いになった。イタリア物のスーツが作業着というこの業界で、この若い中国人はなんとただ一人ジーンズを穿いて、おまけにポロシャツ姿だった。正式の参加者ではないらしく、会場の外にしつらえてあるロビー展示場に陣取って、トレーダーの成績評価をするコンサルタント業者であるスターク社やバークレー・リサーチの連中と話し込んでいる。休憩で人が出てきた混雑にまぎれて合間合間に会場に潜りこんでいる様子。

目が合ったのがきっかけで、「あなたのスピーチも聞いたよ」と向こうから話し掛けてきた。私も「あなたは参加者では無いみたいだが、いったい何をやっているんだ?」と聞きただすうちに、面白くなり興味津々と話し込むことになった。どうやらシステム・トレーダーを探している様子だった。

ともかく成績を見せろというので持参のものを見せたが、「あなたの成績のシャープ・レシオはいくつか?」などと、ちょっと素人離れをしたしつこいほどの質問を矢継ぎ早に出してくる。金持ち風とは言えない場違いな身なりをした人によくあることだが、大変な資産家らしい事も分かってきた。

ニューヨークで不動産業を営み大成功したので、その資金で生き馬の目を抜くという香港の不動産業界で今必死の商売をしているという。5分おきにかかってくるポケベル。何やら中国語で殺気立って売り買いしている様子なので、先物市場に注文を入れているのかと聞いたら、なんと不動産の売買をやっていると言う。超短期で回しているらしかった。

C氏は、成功した若い友人企業家同士で金を出し合って、私的先物ファンドを作り、それを自分で運用しているという。そして運用の意味は、先物を自分で売り買いするのではなく、優秀なシステム・トレーダー(=取引システム)を自分で探し出し、取引させることだという。自分でシステムを作る才覚も時間も無いので、システムもしくはシステム・トレーダーの選択に賭けているとの事だった。

私はそういうことを個人で実現している人に会うのは初めてであり、そのアイデアと企業家精神に感心し切ってC氏の話に聞き入った。自分で先物を売り買いするよりは、他人が作ったシステムに賭けて間接的に先物売買に参加するのだと言い切る。要するにトレーダーも取引システムも投資選択の対象、すなわち商品なのである。この考えは日本でも実現化が始まり、ブームの兆しを見せ始めているが、20年近く前の私には驚くべき新鮮で合理的な考えに聞こえた。

システム評価を誤る

(画像 : 香港、ホテルから筆者撮影)

会議の後は香港の中華料理屋で、これもリスク・テイクと注文したヘビ料理のゼラチン質の舌触りに辟易しながら、熱のこもったシストレ議論を交わした。C氏がいきなり二つの表をテーブルの上に並べて私に聞いた。「これはあなたの成績だ。こっちはコロラド・コモディティーズだ。どちらかに投資するとしたら、正直言ってあなたならどっちを選ぶ?アドバイスしてほしい」。

私は唸りながら言った「うーん、これは厳しい事を聞く。コロラドは10年以上平均20%から30%で回っている。自分はわずか数年、統計学を信じるならこれはコロラドしかないな」。

その後オランダに帰国してしばらくしてC氏からは「あなたの言う通りやっぱりコロラドにした」という連絡が入ってきた。

(画像 : 最盛期のCC社パーフォーマンス、筆者所有の開示文書より)

ところが、コロラド・コモディティーズは丁度その直後、運用成績の破綻に見舞われ、資産が大暴落し米国の先物ファンド業界を震え上がらせた、1年で 50%(その後一時70%)の資産減少という損失を被ったのである。なぜそうなったのかネットも無かった時代で理由ははっきりと分かっていない。

1年後C氏から別の件で突然ニューヨークから電話があり、50%までファンドが下げたとき損切ったという話が出た。この時は「あなたのアドバイスに従ったのに」とはさすがに言われなかったが、プロであるはずの私もC氏もコロラドの評価を完全に誤ったのである。 (詳しくは第III部第2章「移動平均線で成功し、そして破綻したCTA」を参照のこと)

今なら私はどのように評価するだろうか?この20年で少しは賢くなったのだろう、上記のようなパーフォーマンスは良すぎて誰にも薦めないだろうと思う。

D氏のシミュレーション

一昔前のことになるが、アラブ風の聞き慣れない名前を持つトレーダーD氏からファクスが入ってきた。それはシカゴS&P株価指数先物を取引するシステムの売り込みの手紙で、システムを買い取るか自分に取引をさせて欲しいというものである。見ず知らずの人なので、大抵この手の宣伝は無視してごみ箱行きが普通なのであるが、彼が住んでいるパリに電話して話を聞きたくなったのは、その取引手法が非常に変わっていたからである。私が知らない特殊なロジックで出来ていた。

このD氏は、話すと直ぐにそれと分かるとても真面目な性格で、相当のシステム取引経験者である様子だった。その取引手法は確かに独創的なアイデアで出来ていることが分かってきた。独特の上品なアクセントから、米国東部の一流大学を出ている知識人だろうと推察がつき、「あなたは米国東部大学の出身だろう?」と鎌をかけてみたら、案の定超一流のプリンストン大学を出ているれっきとしたイラン系の米国人だった。当時私が主席チェリストを勤めていたオーケストラの、これまた珍しいイラン人バイオリン奏者の知り合いで、私の事を聞いたという。

その手法とは次のような原理でできている。

カジノ・システム

相場を赤と黒に賭けるルーレットのようなものであると見なす。トレンドを追求するのではなく、相場が次の10分間ほど上がるか下がるかだけに、賭けを絞りこむのである。指数が1フルポイント(100ティック)の利益になったら利食う。損切りも100ティックにする。このようにして相場に賭けてみると、ルーレットの赤黒当てと同じ賭けをしているので、期待素利益はとんとんになる。そしてこの賭けを長く続けると手数料がかかるので、当然負けてしまうはずである。

しかしルーレットと相場は違う。相場にはランダムでは説明できない癖がある。もしも次に値段が上がるか下がるかの可能性が五分五分ではなく、どちらかに傾いている事が予想できる時にのみ、その癖の方向に賭けると勝てる可能性は高まる。問題はそういう特殊状況をどうやって発見するか、そのノウハウである。彼はそういう手法を発見したらしく、証明してみせると言った。

D氏の話では、取引する資金がないので過去半年間リアルタイムのモニターの前に座り込んで根気よくペーパー・トレード(お金を賭けない模擬取引)を続けた結果、2度連続して負けるということは一度もなかった。大体70%の確率で勝てるということで、そのペーパー取引の経理記録も送ってきた。

これは試して見る価値があるということになり、私の口座で実験取引をすることになった。注文を入れるスピードが重要だということで、大体10秒以内で注文が実行できるブローカーを選び、電話を2台並べてD氏から注文があれば、それを聞く前にブローカーに電話を繋ぎ、D氏の注文を聞きながら同時にオウム返しで、私がそれをブローカーに伝えることになった。

こうして私の相場体験で最も忙しく神経のスリ減った3週間が始まった。下記の画像は、その時手書きで記した取引覚書きの一部である。

(画像 : カジノ・システム手書きメモ、筆者作成)

リアルタイム・シミュレーションと実際取引

まず最初のトレードは負けに終わった。そしてしばらくしないうちに、絶対発生しないはずの2度連続負けが発生した。この時は私もびっくりしたが、もっとびっくりしたのはD氏で、どうしてこういうことが起きるのか説明がつかないと、30分も自分の取引理論とシミュレーションのやり方を詳しく語るのだが、ショックを隠しきれず声はぶるぶると震えていた。

私は「絶対なんて言うから、その絶対が起きたのだと思う。あなたはマーフィーの法則を知っているだろう?」と慰める。3週間ほど取引を続けたが、その後2度負けは確かになくなったが、資産は全く増えずじわじわと減りだした。1枚につき600ティックまで負けたときに、これはD氏の言っている通りにはならないことを両者とも認めざるを得ず、運用中止となった。

スリッページ

負けるたびに詳しい調査をしたのだが、要するに予想通り勝てない第一の原因はスリッページにあると分かった。つまり逆指し値と成り行きで注文を入れる場合は、実際の約定値と理論値がずれてしまう。スキャルピングのシステムは数ポイントでも約定値がずれると、成績に驚くほどの悪影響が出る。

そこで指し値を使うこともあるのだが、入れた時には数秒前にその指し値から相場は飛び跳ねてしまって2度と指値に戻らない。このシステムが取引する市場の分岐点は、他のトレーダーも分岐点と感じる要所なので、取引が売りか買いかに極端に傾き、競争が激しく勝負が早過ぎるのである。これはリアルタイムのシミュレーションの段階で気付くべきことであったのだが、D氏は「自分の都合の良い方に全てを解釈する」という単純な誘惑に勝てなかったのである。

トレーダーは、しばしば自分自身により自ら殺されてしまうのである。相場世界ではいかなる立派な理論といえどもそれを実際に取引しない限りは現実であると考えてはならない。ベテランでも見逃してしまう落し穴が無数にあるからだ。

敗者復活戦

その1年後、同じD氏から又ファックスがあり敗者復活戦をやらしてほしいと言う依頼だった。今度こそ、現実をしっかりと見据えたリアリスティックなシミュレーションをしたし、取引手法も進化したと言う。説明も興味をそそるものだったので、又同じ事をやる事になったが、注文を私が入れるのが大変なので、小さな口座を創設し取引を委任した。

暫く好調が続いている最中、私が 東京に出張することになった。この間は、1枚に付き元本割れ500ティック発生で直ちに運用を中止と言う約束を文書で交わして運用を続ける事になった。

運用中止のストップ

メールの無い時代で、出張を終えてオランダに帰国するまで運用がどうなっているのか分からなかった。忙しかったので、ただ楽しみにして帰国したわけだが、その口座はなんと損失が1枚に付き1000ティック以上にもなって放置されていた。

不在の間に、突然のドローダウンにうろたえた彼は、直ちに取引を中止すると言う約束を破ったのだ。損失を取り返そうと取引額を倍にして次々と勝負に打って出たのである。何故その様なときに限って負けが連続するのか私にも分からないが、あるはずの無い負けの連続が出現したのである。

彼は、二度と回復できないのではないかと言うほどに憔悴しきっていた。損失額にではなく、約束を破る選択をした自分に打ちのめされているようだった。これほど聡明で真面目な人が、何故このようになってしまうのか? しかし、ほとんど全ての人はそのように出来ているものだと、私も気が付き始めていた。

田中雅氏のプロフィールはこちら

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