──本書の中で、妹さんと「かめはめ波(もちろん『ドラゴンボール』のアレ)」を出す練習を真剣にしていた、という子ども時代のエピソードが紹介されています

川田 いまだから笑い話にできますけど、当時は、真剣に朝練でランニングとか息止め練習などをしていて、本気でした。修行すれば、本当にかめはめ波が出せると信じていましたから。ちょっと大げさにいうなら、『ドラゴンボール』の世界観に完全に没入していたんです。

実はこのような没入感って、いまの自分の仕事でやろうとしていることに大きく影響しています。一見バカげたことでも、本気でやってしまったもの勝ちというか、ある世界観に没入すると見えてくることがあるんです。そこで感じる、日ごろ自分が「現実」と思っている世界と物語世界とのズレ、さらには当たり前の日常の中で覚えるかすかな違和感みたいなものは、それこそ物心ついたころからあったかもしれません。

ちょっと観念的な話になりますが、僕には「現実と虚構の境界」のことを常に考え続けているようなところがあるんです。日常と物語を隔てている境界線を曖昧にするにはどうしたらいいだろう、とか。たとえばロールプレイングゲームのような物語との接し方からさらに一歩、二歩と突っ込んで、もっと現実的な質感をともなった仮想世界の広がりみたいなことでしょうか。物語と現実がときには共に影響しあい、浸食しあったりしながら、どちらも違和感なくつながっている世界……みたいな話をすると、人によっては「気持ち悪い」と抵抗感を示す人もいるんですけど(苦笑)、僕の手掛ける仕事では、意識的にこのような感覚を持ち込んでいるところがあります。

──いま話されたことは、今回の本の中で「ARG(Alternative Reality Game/代替現実ゲーム)」という手法との出会いなどと絡めて、詳しく語られていますね

川田 ええ。「ARG」については、それこそこのまま朝まで語れてしまうくらい奥行きのあるトピックなんですが、簡単にいうと物語世界を現実世界に拡張してしまう考え方なんです。具体的な例では、映画『ダークナイト』(アメリカ・イギリスの共同制作で2008年に公開されたバットマンシリーズの作品)の宣伝の一環として、アメリカの大型スーパーチェーンのレジに悪役のジョーカーが落書きした(という設定の)1ドル札を大量に忍ばせておき、おつりにまぎれてお客さんに渡す、といった企画が話題になりました。お札にはURLも落書きされていて、そのページを開いてみたお客さんは映画の宣伝だったことを知る、という具合です。

現実と物語の境界が薄れて、日常の中に物語が潜み、物語の中に日常が潜んでいる、というような世界が、実はもう、目の前に存在しているんです。そしてそれは、AR技術を活用すればいくらでも実現可能です。たとえば、音楽の聴き方ひとつにしても、さまざまな展開の仕方があるでしょう。目が覚めると音楽が鳴り始めて、家の玄関を出た瞬間にテーマソングがかかり、時間帯やシチュエーションに応じて次々に音楽が変わっていき、一日の終わりにはエンディングテーマが奏でられる、というような。まるで自分の日常生活が映画の中に組み込まれたような感覚で音楽を楽しむ、なんてことができる。

ARを使うと、もちろんトリッキーな表現もいろいろできますけど、さりげなく日常生活に溶け込み、これまでの現実を違和感なく拡張してくれるような取り組みにも幅広く応用できるんです。その結果、日常生活がもっと便利になったり、楽しくなったりする。もっと言うなら、ARはごく近い将来、重要な社会インフラとして定着して、当たり前の技術として生活に組み入れられていくと確信しています。僕の使命は、そんなARがもたらす未来をプロトタイプとして、常に先へ先へと進みながら人々に見せていくことだと考えているんです。……次のページへ