──タイトルに「企画書」とあるように、本書にはARを活用したさまざまな企画案が紹介されています。たとえばテレビ拡張の企画で「AR劇空間プロ野球(仮)」「ARトレンディドラマ(仮)」「AR国会中継(仮)」など、どれも実現したら非常に面白そうです

川田 絶対に面白いですよ。読んでくれた方の感想で「確かに面白いが、いまの技術では実現不可能」といった指摘もあったりするのですが、僕が本書の中で描いた企画は、いますぐにでも実現可能なものばかりなんです。この本には、僕が今後数年で実現しようと考えていることを隠さず書いてしまいましたから。

──企画を読むと、ARマーカーの上に3DのCGが表示される、という昨今よく見かけるパターンのARばかりではない……というか違うものばかりです

川田 ARマーカーは、いわば補助輪だと思っています。まずはARを人々に認識してもらおうと、端的なシンボルとして僕らのヘルメットにARマーカーを貼り付けたりしていますけど、近い将来、これは剥がされることになるでしょう。いまの技術ですでに、ARマーカーがなくてもARを利用することはできるんですね。要は、トリガーになるものさえあればいい。それは、人の声でも、手や指の動きでもいいし、目の網膜や虹彩認証、指紋認証、遺伝子の情報でも構わない。人間は、いろいろなマークをすでに持っているから、ARマーカーがそれらに置き換わっていくことになります。

──それにしても、本書を読んだり、お話をうかがったりすると、川田さんの明け透けさというか、ご自身のアイデアなどを包み隠さず見せてしまう姿勢が、とても印象的です

川田 さっきお話しした「日常と物語の境界線」とか「現実と虚構のズレ」といった視点でいうと、子どものころからそうした事柄を意識してしまう感覚とか、他の人が感じていないらしい違和感とかを、口にしたり表現してしまうことがずっとできずにいたんです。むしろ、自分の感じていることが露見してしまうのを恐れていた。社会は特異性を認めない、自分の感覚は隠しておかなければならない、みたいな認識がどこかにあって。「自分はどこか変だ」「自分の考えていることが外にバレたら気持ち悪がられる」……学生時代とか、ずっとそういう意識でいましたね。

ただ、社会人になって、いまのようなスタンスで仕事をするようになってみると、特異性を出しても大丈夫らしい、というか特異性を出していかないと食べていけない、みたいなことに気付かされて。なんていうか……フルチンでもいいじゃん、と達観した(笑)。むしろ、フルチンでぶつかっていくくらいの気持ちじゃないと、どんな表現でも言葉でも、人々に届かないし、刺さらない。受け手は「あ、これってウソだな」と認識すると急に醒めるし、たとえば虚構への没入感も急激に薄れてしまうんですよね。

だから僕は、気持ち悪いと思われるかもしれないけど、自分の考えをカッコつけずに見せていくことにこだわっているつもりです。それは、「AR三兄弟」の活動にも通底していることですね。