それでも、リアルタイムで見た人の反応は好意的なもののほうが多かったのではないか。そもそもチャリティーが目的の番組が希少な上に、長時間生放送番組ならではの大型イベント感や臨場感もあって、コーナーの多くが「『24時間テレビ』でしか見られないコンテンツ」となっていた。

とりわけ走り切って募金額を聞き、安堵の表情を浮かべたやす子の姿を見て、「やる意味はあった」と感じた人は多かったのではないか。やす子は無報酬で走ったことを明かしたが、チャリティーに懸けるウソのない思いが視聴者の心を動かしたのかもしれない。

いかにも日テレらしかったのは、やす子やオリンピアンの好感度を前面に押し出しつつ、能登復興や障害者支援の企画を散りばめたそつのない構成。「チャリティーマラソン」と「ダーツの旅」という力のあるコーナーに最も時間を割いたことも含め、「着実に数字を得る」という点でシビアなマーケティングに定評のある日テレの強みが表れていた。

クライマックスで「サライ」が流れる中、総合司会の羽鳥慎一が「今年は番組第1回からの大テーマ『愛は地球を救う』にクエスチョンマークを付けました。『原点に立ち戻り、番組の意味を考え直し、チャリティーの本質を見つめ直す』という決意と覚悟を持って臨みました」と制作サイドの思いを明かしつつ、「どれだけの方にご理解を頂けたかは分かりません。ただ、『放送しないことでチャリティーが届かなくなってしまうところもある。継続することに意味があるのではないか』という思いで私たちは今年の放送を決断しました」と正当性を主張した。

これをやす子の奮闘とゴールに絡めて出演者に言わせてしまうところに、『24時間テレビ』と日テレが批判される要素を感じてしまう。これを伝えるとしたら、エンディングではなくオープニングであり、出演者ではなく局か制作のトップが「その決意と覚悟を見てください」と語っていたら、「日テレと『24時間テレビ』は変わった」という評価に一変した可能性はありそうだ。

  • 国技館でゴールに向かうやす子 (C)日テレ

進行形の被災をピックアップできず

今回の『24時間テレビ』を振り返るとき、台風と大雨のことを語らないわけにはいかないだろう。いくらか変更や中止を余儀なくされたことこそあったものの、主な企画は問題なく放送されていた。

ただ、日テレは「最大のピンチを最高のチャンスに変えられなかった」ように感じてならない。今回のチャリティーは主に児童養護施設と能登の2つをピックアップして行われたが、台風や大雨によって現在進行形で各地に被災者が増えていた。

つまり被災地は能登のみではなく、緊急性はむしろ他のほうが高い状況だけに、その支援も呼びかけたらチャリティー番組としての存在意義を示し、生放送らしい臨場感を醸し出せたのではないか。しかも今回の災害は予期しづらい地震などではなく、事前にリスクがわかる台風と大雨だけに、「児童養護施設と能登+台風と大雨」というチャリティーを打ち出せなかったところに、もどかしさを感じてしまう。

逆にやす子が番宣出演した生放送の情報番組では、「台風や大雨の情報を扱っているのに、『24時間テレビ』の話題になると一切ふれない」という対応で視聴者に不信感を抱かせていた。長い時間をかけて準備してきたものや収録済みの映像が多く、構成は変えたくないとしても、生放送でメッセージを送り、支援を呼びかけることくらいはできただろう。

その他の話題としては、「画面に募金を促すQRコードと『現在の募金額』を表示し続けることの賛否」「なぜ現在開催されているパラリンピックのアスリートをスルーしたのか」「やす子がゴール直前、観客に胸をさわられたことへの怒り」などがあった。これらは今後に向けた検討課題になっていくのではないか。

番組全体やネット上のコメントを見続けた結果、「これまでのやり方を変えずに何とか乗り切れた」という印象が残った。これまでの出演者報酬や感動ポルノなどの批判に、募金横領や台風と大雨が加わって過去最大の危機を迎えていただけに、「今年は乗り切れた」というレベルの成功だったのではないか。

しかし、これ以上ないリスクの中、放送が強行されたことで「こういう構成・演出が好きな人が見る番組」という見方や、「そうでない人は勝手にやれば」というスタンスが一歩進んだ感もある。

もし制作サイドが「視聴率や募金額で成功した」と感じているのなら「来年は危うい」と言わざるを得ない。むしろ昭和時代のように国境を越えた企画も交えるなど、海外配信での再生も視野に入れたグローバルなチャリティーを見せてもらいたいところだ。