・2001年の日大三・近藤一樹は、近鉄バファローズに入り、ヤクルトスワローズなどでも活躍し、昨年から独立リーグに所属。
・2000年の智弁和歌山・中家聖人は、大学で野球を辞めて造園会社勤務。
・1999年の桐生第一・正田樹は、日本ハムファイターズに入り、現在も独立リーグに所属。
・1998年の横浜・松坂大輔は、西武ライオンズに入り、昨年引退。
・1997年の智弁和歌山・藤谷俊之は、大学、社会人と進んだがプロ入りせず。
・1996年の松山商・新田浩貴は、社会人と進んだがプロ入りせず。
・1995年の帝京・白木隆之は、社会人に進んだがプロ入りせず。
・1994年の佐賀商・峯謙介もプロ入りせず、3人目の「プラチナストーリー」が始まった。佐賀の英雄になり、社会人野球に進んだが、「プレッシャーでした。肩も壊し、腰も痛め、プロはあきらめようと思いました」と語った。

ただ、VTRはこれで終わらず、中学野球のコーチも務めていることを紹介。さらに、教え子である長男が中学で全国準優勝し、今春に強豪校の横浜高校に進学して、1年生で夏の甲子園メンバー入りしたという。優勝を目指している息子の存在もあって峯は「いろいろアドバイスできますし、今思えば『優勝投手になってよかったな』と思いますね」と語った。

結局、「甲子園優勝投手30人中12人がプロ入りした」という結果だったが、制作サイドはもう1つのデータを提示。それは「夏の甲子園ベンチ入り選手で高校卒業後にプロ入りできるのは約1.8%」であり、出場49校×ベンチ入り18人=882人のため、プロに行けるのは15人程度というものだった。もちろん「プロ入りして活躍できたか」は別の話であり、スタープレーヤーたちへのリスペクトを感じさせる。

■中居が「幸せの物差し」をフォロー

2つ目のリストは、今宮戎マンザイ新人コンクール。出場資格が「他の大会で受賞歴がないこと」のため、テクニック以上にお笑いのセンスが問われ、「ネクストブレイクの特急券」と言われているという。

2020~2022は開催なしで、2019年のコウテイは現役。2018年のたくろうは現役。2017年のさや香は現役。2016年のからし蓮根は現役と、ここ数年の優勝コンビはすべて現役だった。

しかし、2015年のイブンカは2年後に解散。「プラチナストーリー」で、3人の育った環境が違うほか、東京進出の時期や考え方の違いが原因となったという。番組は彼らの「5年越しの再会」を作り、謝罪や和解の様子を映した。

2014年のパンダユナイテッドは昨年解散、2013年の八福亭は2年後に解散して3歳から幼なじみなどの「プラチナストーリー」を放送。2012年のにわとりヘッドは3年後に解散。2011年のミミズ大臣は1年後に解散。2010年のD-ハツラツは、どんぐりぱわーずに改名して現役。2009年のあわよくばは現役だがコンビ活動は休止中。

2008年の当時小学6年生のコンビ・マグナムは、中学生時代に自然消滅。休み時間にふざけてネタをしていたが、思いつきで応募した初舞台でいきなり優勝して驚いたこと、普通の日常を送りたかったためプロの誘いを断ったことなどの「プラチナストーリー」が放送された。

さらに、諸岡敬汰が2年前に会社を辞めて芸人になり、「覚悟を決めるのに12年かかりましたね」というコメントを紹介してVTRは終了。この極めてレアなエピソードなら、『消えた天才』のようにもっと掘り下げてドラマティックに見せることができたのではないか。

2007年の鳳仙花は2年後に解散。2006年のまいなすしこうは、ビコーン!に改名して現役。2005年の左ミドルは6年後に解散。2004年のトライアングルは現役で、養成所で出会った妻の後押しで芸人を続けていることなどを「プラチナストーリー」で放送した。

結局、16組中現役が8組で、解散が8組。この結果を受けたヒロミが「解散していろんなことやってるだろうけど、それはそれで幸せに楽しくやっているというのもあるだろうしね」と切り出すと、中居が「幸せの物差しはそれぞれですし、売れてるから、お金があるから、活躍してるからが必ずしも幸せの物差しではないので」と呼応。解散して一般人になった人を「失敗」「不幸」と決めつけるような印象は与えてはいけないだけに、丁寧な構成が光っていた。

丁寧な構成と言えば、それぞれの優勝コンビを紹介する際、NON STYLE、和牛、さらば青春の光、鬼越トマホークら現役の人気芸人たちからコメントを拾っていたことも同様だろう。尺の問題もあり仕方がないのだが、せっかくならもう少し人気芸人たちならではのエピソードを聞きたかった。