東海道新幹線には踏切がない。これは多くの人々が知っているだろう。筆者には小学校の社会科の教科書で、新幹線開業について「トンネルや立体交差を使って直線的に線路を敷いた。だから踏切がない」と読んだ記憶もある。

ただし、これは営業する線路上での話。じつは当時から踏切があった。場所は静岡県浜松市。東海道新幹線の本線(営業線)から分岐して、JR東海浜松車両工場に向かう線路の途中にある。踏切の名前は「西伊場第1踏切」という。地図と写真で確認してみよう。

  • 東海道新幹線の踏切の位置(国土地理院地図を加工)

地図の左側、東海道新幹線から分かれた線が道路と交差し、JR東海浜松工場に入る。その入口の公道と交差する部分が「新幹線の踏切」である。

  • 現地に行ってみた。確かに踏切だ。車も人も通っている

  • 踏切の名称は「西伊場第1踏切」

「西伊場第1踏切」というからには「西伊場第2踏切」もある。「西伊場第1踏切」のすぐ南側にあり、現在は在来線規格の線路が通っている。しかし、こちらの線路は東海道本線につながっていないため、使われていない。JR東海が2016年に発表した「浜松工場リニューアルに伴う新ラインでの全般検査開始について」によると、「西伊場第2踏切」も新幹線規格の踏切となる予定とのこと。JR東海浜松工場の入出庫線が2系統になる。

東海道新幹線の踏切が増えるので、「西伊場第1踏切」が「東海道新幹線唯一の踏切」ではなくなってしまうかも。いや、距離が短いから統合されるかも!?

  • 実際にN700系が通過している様子。撮影日は「新幹線なるほど発見デー」でJR東海浜松工場が一般開放されていたため、大勢の人々が見学していた。ちなみに、通過中の新幹線の車内には乗客がいた。浜松工場発東京行きの特別運行列車だ

「山形新幹線や秋田新幹線にも踏切がたくさんある」と思う人もいるかもしれない。しかし、山形新幹線福島~新庄間は奥羽本線、秋田新幹線の盛岡~大曲間は田沢湖線、大曲~秋田間は奥羽本線で、これらはすべて在来線の扱いになっている。山形新幹線・秋田新幹線は路線の系統を示す通称である。

もうひとつ、「なぜJR東海浜松工場に新幹線の踏切ができてしまったか?」という疑問もある。山陽新幹線や北陸新幹線、東北・上越新幹線は車両基地や車両工場に向かう線路も立体交差のため、踏切はない。新幹線はすべて立体交差で建設するという建前なら、浜松工場も立体交差で入出庫できる構造で作れば良かったではないか。

その疑問の答えは、「東海道新幹線が建設される以前から、浜松工場があったから」。浜松工場はもともと在来線の車両工場だった施設を新幹線用に一部転用して発足した。現在はリニューアル中で、すでに在来線の業務を終了し、東海道新幹線専用になっている。

  • 「西伊場第1踏切」の線路は2本。うち1本は三線軌条となっている。在来線の車両工場を兼ねていた時代の名残だ

浜松工場の歴史は長く、100年以上も前に設置された。創設は1912年で、運営母体は国の鉄道院、おもな業務は蒸気機関車の修理だったという。その後、鉄道院は鉄道省になり、戦後に日本国有鉄道の施設になった。国鉄時代に東海道新幹線の建設が始まり、開業。新幹線の線路に近く大規模な浜松工場が新幹線の車両の検査、修理を担当した。国鉄分割民営化によってJR東海が発足し、現在に至る。

取り扱う車両は蒸気機関車に始まり、ディーゼル機関車や電気機関車、タンク車、大物貨車なども担当した。東海道新幹線の開業後も在来線車両の業務は並行して行われた。1970年に電気機関車の研修が終わり、1992年に電気機関車ED18形の動態修復を実施。この機関車は飯田線のトロッコ列車に使用され、現在はリニア・鉄道館で展示されている。2009年、工場内で保存されていた電気機関車EF58形が解体された。

これだけ歴史的な資産を活用するため、浜松工場の入出庫線は高架線ではなく地平のままとなり、踏切も残された。在来線と新幹線の両方を手がけていた時代は、「西伊場第1踏切」のある西側が新幹線車両の入出庫に使われ、在来線車両は東側から西浜松貨物駅に至る線路で入出庫が行われた。この在来線の線路は2010年から始まった浜松工場のリニューアル工事によって断たれ、跡地に新工場が建った。現在も浜松工場周辺には在来線の線路や在来線と新幹線の三線軌条が残っており、100年の歴史を感じさせる。