本連載の第30回では「繁閑差を緩和して仕事のスピードダウンを防ごう」と題し、業務の繁閑を予測して対処することで平準化を図る方法をお伝えしました。本稿では顧客の視点に立って仕事を再定義することで生産性を各段に上げる可能性についてお話しします。

突然ですが、あなたは何のために働いていますか? お金を稼ぐため、スキルアップのため、自己実現のため、子どもを養うため、社会貢献のためなど、人によって理由は千差万別だと思います。ですが仕事である以上、必ずあなたの仕事に対価を払ってくれる「顧客」がいるはずです。あなたが働く動機が何であれ、まずは顧客が求めるものを提供することが先決です。

説教めいた話に首をかしげた方もいらっしゃるかと思いますが、仕事の生産性を上げるためには、「突き詰めるとお客様は何に対してお金を払ってくれるのか」を徹底的に考え抜くことが不可欠です。その理由をこれから説明します。

「お客様のために」ならない仕事がはびこっている

極端な言い方をすると「お客様のために」ならない仕事というのは、もはや仕事とは言えないはずです。ところが世の中にはそういうものが「仕事」として数多く存在しています。それは給与が一般的に「働いた日数や時間に対して」払われていることに起因するのではないかと思います。1カ月に何日働いたからいくらとか、何時間働いたからいくら、といった給与の払われ方によって、「お客様のために」なるかならないかといった本来あるべき判断基準が忘れられているのです。

では「お客様のために」ならないけれど、仕事と見なされているものにはどのようなものがあるでしょうか。「特に何かに使用されたりフィードバックをもらったりしない報告書の作成・提出」「アウトプットに一向につながらない調査」「いつも最初だけ勢いがあるが途中で立ち消えになってしまうプロジェクトに関するタスク」「体裁を取り繕うためだけに存在する過剰な決裁階層のための申請と承認」など、挙げだしたらキリがありません。

さらに始末が悪いのは、職場の人がこのような仕事を「実はムダなのではないか」と疑って検証し、見直す機会は滅多にないということです。特に長年その職場で働いている人ほど社内の常識にどっぷり漬かっているために、その傾向が強いと思われます。

逆に新入社員や他社、特に他業界から転職してきたばかりの人はその職場の常識に捉われていないので「その仕事、実はムダなのでは」と気づきやすいはずですが、新入社員の指摘には「何を偉そうに」と言って耳を貸さず、転職してきた社員には「うちの会社のことが(あるいは、業界の常識が)わかってない」といって一蹴してしまいがちです。

このような対応が続くと、いつしか新入社員や転職してきた社員はその業務に慣れてしまって疑問を持たなくなってしまうか、指摘しても何も改善されない理不尽さに呆れて辞めてしまうでしょう。こうしてお客様のためにならない仕事が温存されていくのです。

せわしなく動くことが美徳とされていたら要注意

突然ですが、「バリバリ仕事をしている人」をイメージしてください。恐らく相当数の方は「パソコンに向かって電光石火の如くキーボードを打っている」シーンや、「次から次へと会議に出席している」シーンなどを思い描いたのではないでしょうか。

ではこれらのシーンが本当に「バリバリ仕事をしている」のか検証してみましょう。いずれのケースも忙しそうに活動してはいるようですが、1つ目のシーンは単にキーボードを素早く打っているだけで、何のためにやっているのかはわかりませんし、2つ目のシーンも何のための会議かわかりませんし、その会議でこの人がどう振舞っているかもわかりませんので、いずれのシーンも「お客様のために」なる仕事をしているかどうかは判別できません。

それにもかかわらず、傍から見たら「バリバリ仕事をしている」ように見えるのです。このことは裏を返すと「動き回っていないとサボっているような印象を周りに与える」と言い換えることができます。この点は非常に重要です。

というのも、仕事が一段落して手が空いたときに「周囲からサボっていると思われたくないがために」別の仕事を新しく生み出してしまうからです。こうして生み出される仕事の問題点は、それが「お客様のために」必要かどうかという観点を無視して出現してしまうことと、「サボらずに仕事をしなければならない」という義務感から出現してしまうことにあります。

ここで視点を変えてお客様の立場に立って考えてみましょう。あなたの仕事の中に、お客様がお金を払いたいと思わないであろうものは混在していませんでしょうか。もし混在しているのであれば、それは本当に必要な仕事なのか検証することをお勧めします。

手間をかけることが美徳とされていても要注意

次にありがちなのが「過剰な手間」です。これは特に「手間をかけるほど良いものができる」という考え方が浸透している組織ほど要注意です。

例えば顧客へのプレゼンに向けて絶対にカバーできないページ数の資料を用意したり、その資料になくても差し支えないアニメーションを多用したりするケースはよく見られます。また、求められる以上に顧客を訪問したり、終わりの見えない長時間の会議を開催したりといった例もあります。

まずプレゼンの例でいえば、最も重要なことはプレゼンを通して達成したい「目的」のはずです。本来は、その目的を達成するうえでどうしても視覚的に見せなければならない情報のみを載せればよいはずなので、それ以外の情報が載ったページの作成はすべて「過剰な手間」と言わざるをえません。

また、なくても差し支えないアニメーションの多用は、不要な「動作」という情報を追加することで却って煩わしくなりますので問題外です。求められる以上の顧客訪問は先方の時間を不当に奪うことになりますし、過度に長時間の会議も疲労感とストレスが溜まるだけで生産的ではありません。

辛辣なことを言いますが、「手間をかけることが大事」というのは自己満足でしかありません。なぜならお客様は「手間に対して」お金を払っているのではないからです。手間ではなく、自分が得られる価値への対価として支払っているのです。

もちろん、かけている手間がお客様の得られる価値の提供に必要不可欠ならば、それはムダではありません。しかしながら、増やさなければならないのは「手間」ではなく「価値」のはずであり、「価値」を生まない過剰な「手間」はむしろ減らすべき対象なのです。

このことを徹底的に追及し、過剰な手間を減らせればより少ない手間でより多くの価値を生む、生産性の高い状態を実現することにつながるでしょう。

さて、本稿ではお客様の視点に立って自分の仕事を厳しく再点検し、ムダな仕事や過剰な仕事をなくすことの重要性をお伝えしました。一度、ご自身の仕事についても振り返ってみてはいかがでしょうか。