いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。今回は、西荻窪のそば店「鞍馬」です。
落ち着きあるたたずまいの蕎麦の名店へ
西荻窪は昔からのんびりした街で、他のどこにもない"西荻時間"のようなものが流れているように感じます。時代がどれだけ変わろうと、ここには決して変わらないなにかがあるのです。
そのせいでしょうか、有名店のたぐいも、必要以上に目立とうとしてはいないように見えます。ただ淡々と、すべきことだけをして、きのうと同じきょうを過ごしているにすぎないというか。
たとえばいい例が、西荻を知る人からは名店として知られている「鞍馬」というおそば屋さん。
南口のサカエ通りを入って進み、西荻窪駅南通りとの交差点角。ベージュの壁に窓枠などの黒がアクセントになった、シックで落ち着きのあるたたずまいです。けれど主張しすぎるようなところはなく、過不足のないバランスで周辺のお店と共存しているのです。
ちなみにこの日は、無性におそばが食べたかったのでした。で、どこにしようか考えようとした瞬間からずっと、鞍馬のことが頭から離れなくなってしまったわけ。
出すぎず引きすぎず、なのに要所要所で思い出させる、そんな不思議な説得力が、このお店にはあるんですよね。さて、それはともかく入ってみましょう。
店内には石臼の自家製粉機が……
お昼の時間と重なったので予想はしていましたが、案の定たくさんのお客さんが入っています。とはいえ店内はテーブル席4つ、6~7人が座れそうな大テーブルひとつとコンパクトですし、スペースもゆったり取られているので窮屈さはありません。
大テーブル角の席に座ると、ちょうど目の前には石臼の製粉機が。鞍馬といえば無視できないのが、ほどよくレトロで形もかわいらしいコイツの存在感なのです。だから近くに座れただけで、なんとなくトクした気分。
そんな製粉機でつくられるそばは、茨城県の契約農家から直接仕入れた無農薬有機栽培の常陸秋そば粉を使用。水しか加えられていない十割そばです。
それを知っていたからこそ、これまでは冷たいおそばしかいただいたことがなかったのでした。風味を味わいたいなら、冷たいおそばが最適ですからね。
でも、この日は寒かったので、温かいとろろそばを初めて注文してみました。待っている間に店内を見回すと、みんな静かに、でも、その静けさを楽しんでいるかのようにそばを手繰っています。
同じ大テーブルでつまみと一緒にお酒を飲んでいた2人組も、当然ながら騒ぎ立てるようなことはしていません。それぞれが、それぞれのやり方で"鞍馬の時間"を楽しんでいるわけです。文句なしに落ち着けたのは、そんな雰囲気のおかげなのでしょう。
出汁が香るシンプルな十割そばに華やかな桜を添えて
ほどなくして登場したとろろそばは、当然ですが、かけそばにとろろをかけただけ。そのシンプルさが、とてもいい感じです。中央に乗った桜の形をしたかまぼこがかわいらしい。
余計なものを加えず、できる限りシンプルに徹している印象。出汁の香りが心地よいつゆも、透明感があって食欲をそそります。
そして、なんといってもそばですよ。一般的に十割そばは切れやすかったり、場合によってはボソボソしていたりするじゃないですか。せいろではなく温かいそばなら、なおさらその傾向は強くなるのではないかと思います。
ところが、ここの場合はちょっと違って、ほどよくモチッとした食感。温かくてもそばの香りを楽しめる、とても上品な仕上がりなのでした。お店についたときは体が冷え切っていたのに、食べ進めるうちにポカポカと温まってくるのがわかります。
でも、なにせシンプルなおそばです。ゆっくり食べようと意識したとしても、食べ終えるまでにそれほど時間はかかりません。つまり長居をする必要がないのです。お酒を飲んだならともかく、こういう場合はササッと食べて店を出るのが正解ですね。
というわけで、今回は短時間の滞在でしたが、次はひさしぶりに、時間をかけてお酒を楽しんでみようかな。
●鞍馬
住所:東京都杉並区西荻南3-10-1
営業時間:平日11:30~16:00(LO 15:30)、土日祝 11:30~17:00(LO 16:30)
定休日:水曜日(祝日は営業)