いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。
今回は、武蔵境のそば店「巴屋」をご紹介。
いい感じに昭和っぽくて、妙に引きつけられるおそば屋と思ったら…
三鷹に住んでいたころは、しばしば隣の武蔵境駅前にある「イトーヨーカドー」を利用しておりました。で、その当時から、駐車場待ちをする際に気になっていたのが、境南通り真向かいの「巴屋」というおそば屋さん。いい感じに昭和っぽくて、妙に引きつけられるものがあったのです。
まず目につくのが、正面左側の「お」「そ」「ば」という表示。その下のショーウィンドウには、食品サンプルがきれいに並べられています。右側の入り口には「生蕎麦」と書かれたのれんがかかっていて、それだけであれば、どの街でも見かけるおそば屋さんという感じ。
ところが、のれんの上に目をやると、「創業天保元年 登録商標 巴屋」と書かれているのですよ。やっぱりこれは気になるぞ。ってなわけで、お邪魔してみることに。「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」との声を聞きながら、入り口すぐ左脇のテーブルに落ち着きました。
店内は正面奥が厨房になっていて、壁際と中央部分にテーブル席が並んでいます。空間がゆったりととられているので、周囲を気にすることなく落ち着けるなー。
ところでメニューを手にしたところ、そこには創業に関する一文が。
天保元年(一八三〇年)
山本庄左衛門は、江戸麹町にて巴屋を創業。
近江商人の心を受け継ぎ、日々丹精込めて
お作りする江戸前蕎麦。
その喉越しをぜひお楽しみ下さい。
なんと創業1830年。どこかのタイミングで麹町から武蔵境に移ってきたということのようですが、いずれにしても今年で193年目ということになります。 “昭和っぽい”どころの騒ぎではありませんね。
必要以上の自己主張はしていないけれど、ここはすごいお店かもしれないぞ。
メニュー的には、一般的な町のおそば屋さんと同じようなオーソドックスなラインナップ。味わい深いイラストとともに訴えかけてくる「体の芯から温まる鍋焼き」あたりも魅力的ですが、いろいろ眺めているときふと目に止まったのが「お蕎麦とご飯のセット」というコーナー。というのも、バリエーションがとても豊富なのです。
トップに書かれているだけに、「ヒレかつ丼セット」は気になるなあ。でも、「ソースかつ丼セット」も引きが強いぞ。かと思えば、「とろろ丼セット」や「さば味噌煮セット」も捨てがたい……と目移りしてしまったわけですが、そんななかでもっとも強く訴えかけてきたのが「カレーライスセット」。
ほら、出汁の入ったおそば屋さんのカレーライスって、すごくおいしいじゃないですか。でも考えてみるとご無沙汰だったので、この機会に食べてみたくなったのです。てなわけで、これに決定。冷と温を選べるおそばは、もちろん冷たいほうで。
伺ったのは開店の11時過ぎだったのですが、すでにお客さんが2組。その後もふらっと入ってくるお客さんが何人か続きましたし、地元に馴染んでいることがよくわかります。接客も上品でていねいだし、こういうお店は信頼できますな。
ほどなく運ばれてきたカレーライスセットは、予想どおりのヴィジュアル。右側のざるに盛られたもりそば、左にどーんと構えるカレーライス、どちらも非常に魅力的です。
おそばを先にいただいてみたところ、意外なくらいの高クオリティ。心地よいコシがあって喉越しも滑らかで、とてもしっかりしているのです。こういうものをいただいてしまうと、長い伝統を意識せずにはいられません。
だから、この時点で充分に満足できたのですが、一方のカレーライスがこれまた期待を裏切らない完成度。まず、ちょっとうれしくなったのが、おそばを食べているうちカレーの表面に薄い膜ができてきたこと。
いかにも昭和っぽいし、ましてやおそば屋さんのカレーにはこうあってほしいじゃないですか。しかも豚バラ肉がたっぷり入ったカレーは、出汁がほどよく効いた“おそば屋さんのカレー”そのもの。とくに辛くもなく、ありとて甘くもないという普通っぽさも心地よく、純粋に「おいしいものを食べたな」と実感できたのでした。
長い伝統を持ちながらも決して驕らず、それどころか控えめに、ただ、ていねいな仕事を続けるーー。そんな、お店の姿勢が味にはっきりと表れているように思えました。
●巴屋
住所:東京都武蔵野市境南町2-10-25
営業時間:11:00〜15:00、17:00〜21:00(L.O.20:30)
定休日:日曜