田植えのお誘いは突然に

ブログを通して知り合って以来、ひそかに地元のクイシンボウ情報などを交換しあっている創作家具作家の安藤和夫さんから、ある日こんなメールが届いた。

「今年も田植えの季節がやってまいりました。小さなお子さん連れや、はじめての方も大歓迎です。全日とも雨天決行。モンスーンアジアをご堪能ください」

田植えの場所は、二宮町から西北へ車で30分程度、JR御殿場線下曽我駅にほど近い小田原市永塚の田んぼ。期間は、6月8日から10日までの3日間。ぼくらは、最終日の10日に参加させてもらうことにした。町から借りた家庭菜園で畑仕事は何年かやっていたが、田植えをするのは生まれてはじめてだ。

初日の8日は、朝から"苗採り班"が、足柄上郡開成町にある苗代(なわしろ)で、種から育てた苗を採取。そのころ"線引き班"は、永塚にある田んぼ3面に糸を張りながら、苗を植えるときの目安となる線を引いた。そうした下準備が終わり、いよいよ午後から田植えがスタートしたそうだ。

2日目は、朝から夕方までずっと永塚にて田植え。この日も天気は冴えなかったようだが、最終日、いよいよ我が家が参加するという朝も、起きてみると天気は雨、しかも雷雨だった。仕方なく午前中は自宅待機、午後に天気が回復してから永塚へ行くと、すでに大勢の参加者が田んぼの中で作業をしていた。ざっと30人、いや、子供も含めると40人以上は集まっているだろうか。レインコートを着て、朝からずっと働いている人も多かった。

米作り8年目を迎える安藤さんたちのグループは、去年まで"永塚田んぼ団"を名乗っていたそうだが、今年からの呼び名は"永塚キャンデーズ"。このネーミングからも、参加メンバーたちのだいたいの年齢層が推測できる。と、書いているぼくは、もうすぐ40歳、かつてのスーちゃん派の残党だ。

機械と農薬を使わない米作り

自分の受け持ちの場所で後ずさりしながら順番に植えていく。水中に雑草があるので裸足よりも靴下姿がベスト

永塚キャンデーズの米づくりは、不耕起農法によるもの。これは文字通り、田んぼを一切耕さない農法で、田植えの数週間前に刈り取った雑草をそのまま残しておくことも特徴。5月下旬、酒匂川の上流からひかれた灌漑用水路を通った水が田んぼに満たされると、水底に沈殿した雑草はやがて発酵して養分となる。

農業研究家の岩沢信夫さんが提唱するこの農法は、一見、手抜きのようだが、耕耘機も田植え機も必要ないので環境にやさしく、除草剤を使わないから完全なる無農薬栽培ができる。土の本来持っている生命力が蘇れば、年を追うごとに雑草は少なくなり、やがて排水性や保水性の高い理想的な田んぼとなるそうだ。

田植えの方法はいたってシンプル。あたたかい田んぼの泥の中に入り、雑草が水草のごとくゆらゆらと揺れる水底に竹やプラスチックのパイプで作ったT字型の道具を突き刺して、穴をあける。ひとつの穴の中にひとつの苗を入れたら、まわりの土を寄せ集め、しっかり固めれば一丁上がり。

苗の植え方のコツを教える安藤和夫さん。ここ永塚の地に創作家具の工房を開いて12年になる

あらかじめ田んぼに線引きされた帯状の各自受け持ちスペースは、それぞれ幅50cmほど。そこに3本ずつ苗を植えて一列完成させては、一歩下がって再び3本ずつ……という繰り返しだ。もちろん、すべて手作業、すべて人力。排ガスゼロ、騒音振動ゼロ、これ以上クリーンな田植えは、どこにもないはずだ。

機械音のまったくしない田んぼで、時には見知らぬ隣の人と話しながら笑いながら、時には子供にカエルやタニシを見せてあげたりしながら、手で苗を植えていく。そうした古くて新しい、農業の未来を変えるパワーを秘めた不耕起農法が行われている田んぼを、安藤さんは「今もっとも美しく先進的なアジアの風景」と表現する。

T字型の穴あけ道具は竹やパイプを使った永塚キャンデーズの手作り

写真のうるち米のほかに、黒米や赤米の苗も植えた

3日間のシメは早苗振りで

最終日は、つまり今年の田植えは、夕方4時前にすべての作業が終了。3面の田んぼには、苗が整然と並び、東京や横浜からも集まってきた3日間のべ100人以上におよぶ参加者たちが、力を合わせた共同作品は完成した。

「おつかれさま!」と、一旦解散し、泥だらけの足を洗ったり着替えたりしてから、近くの永塚公民館へ再集合。日本で古来より田植えのあとに行われてきたという早苗振り(さなぶり)がはじまった。

お尻まで泥だらけになってしまった君たち、そんな棒を持ってどこへ行く?

早苗振りとは、田んぼの神様にお供えをしながら五穀豊穣を祈る儀式。田植えの慰労会としての意味合いもあるので、お座敷のテーブルの上には、お酒や食べ物がずらりと並べられた。肉体労働のあとで飲むビールがおいしくないはずがなく、ああゴクラクゴクラク。泥だらけになって手伝っていた5歳の娘も、麦茶を飲みながら「プハーッ!」という表情をしていた。彼女なりの達成感があるに違いない。

田植えに参加していたアイヌ・レブルズ(AINU REBELS)の3人が、アイヌに伝わる農耕の歌と踊り「シチョチョイ」を披露してくれたり、地元の若手アーチストたちが民族楽器を演奏してくれたり、安藤さんの仲間内に4人もいるというパン職人の方々が素晴らしくおいしいパンを差し入れてくれたり。我が家でも毎週一度くらい自主的に早苗振りをしたくなるほど、楽しいひとときだった。

早苗振りの受付で、永塚キャンデーズのメンバーズカードをいただいた。今回のような農作業に1回参加する度に"1キャンデー"が加算され、その数に応じて秋の収穫時に、黒米などをもらうことができるとか。ちなみに"キャンデー"とは、永塚キャンデーズによる地域通貨のようなもの。

昨年は田んぼに設置する案山子(かかし)のコンテストを開催したそうで、今年は地域通貨。「米作りをとことん楽しんでしまおう!」という熱い思いが、初参加のぼくらにもジワジワ伝わってくる。結局、公民館の宴が終わった後は、安藤さんの工房に河岸を変えて、夜遅くまでいろいろな話をしてから帰宅した。

さて、こうして田植えは終わったが、もちろん米づくりは、まだまだスタートしたばかり。今後は、抜けてしまった苗や枯れてしまった苗があったら補充する"補植"をはじめ、草刈り、虫との闘いなどが待っている。

初穂を目にすることができるのは、7月下旬ごろだろうか。自分の手で植えた苗たちが、これからどんなふうに育っていくのか……田んぼの作業を今後も手伝わせてもらいながら、米ができるまでのプロセスを娘にもしっかりと見せていきたい。

田植え終了。入り口あるビオトープでは、ちょうど花菖蒲が満開の時期を迎えていた