うだるような暑さの仕事場で突然欲しくなったもの

暑い。我が家の2階にある仕事場は、朝から屋根に蓄えられた熱気がそのまま下りてくるから、クーラーを入れないとすぐに室温が35度近くになってしまう。いつもギリギリまで我慢して、耐えきれなくなったところでクーラーを入れるのだが、原稿書きはデスクワークゆえ、一日中同じ姿勢で冷気にあたっていると体のあちこちが痛くなる。やれやれ。

そんなある日。ふと、仕事場に風鈴を吊してみよう、と思い立った。小田原に素晴らしい風鈴を作っているところがあると、以前からウワサを聞いていたので、「小田原」「風鈴」という語句でネット検索してみる。膨大な検索結果から、何となく記憶に残っている名前を見つけた。柏木美術鋳物研究所。そうだ、ここに違いない。

柏木美術鋳物研究所という名前は、何だか堅苦しい研究施設のようなイメージだが、ウェブサイトを読むと、風鈴の製造工場のようだ。小田原の鋳物の歴史や作り方を紹介するとともに、風鈴などの鋳物を展示販売する「砂張ギャラリー鳴物館」という建物も併設しているらしい。

ぼくはさっそく、小田原市中町3丁目にあるその研究所を訪れてみることにした。風鈴さえ手に入れれば、たとえ仕事場が40度になろうとも我慢できるような気がした。

小さな町工場で、大切に手作りされている風鈴

柏木美術鋳物研究所は、商店街の中ではなく、住宅街の一郭にひっそりと佇んでいた。工場らしき建物のトタン屋根から、2本の大きな煙突が突き出しているのが見える。

柏木美術鋳物研究所の看板商品は"鳴り物"と呼ばれる風鈴や鐘など

門前には「小田原街かど博物館」のノボリが立っていた。これは、小田原市によるプロジェクトで、かまぼこや梅干し、鰹節、干物、和菓子、漆器、寄せ木細工などの地場産業文化が残る18店舗を「小田原街かど博物館」として、見学に訪れた市内外の人々にモノヅクリの魅力に触れてもらうのが狙い。いわゆる"シャッター通り"ばかりが目立って寂しい小田原中心部を活性化するための策でもある。

研究所の敷地内に入ると、正面にはレトロな工場。風鈴作りの様子をぜひとも見学してみたいものだが、残念ながら企業秘密がたっぷり詰まっているため、見学はできない。その左手にある瀟洒な木造建築物が、「砂張ギャラリー鳴物館」だ。工場からスタッフが出てきて、ギャラリーに展示された作品を眺めながら、風鈴のイロハを教えてくれた。

木の床や調度品にも昭和の雰囲気が漂う「砂張ギャラリー鳴物館」

窓辺を彩る色とりどりの風鈴は、真鍮製1,000円~

風鈴の材料は主に、銅と錫を合わせた砂張(さはり)と、真鍮(しんちゅう)の2種類。砂張の風鈴では、江戸時代にお城へ献上されたとも伝えられる御殿風鈴が有名で、真鍮の方は、デザインや音色によって、松虫風鈴、鈴虫風鈴、富士山風鈴などが分かれている。 「一般的な鋳物産地の中には、各工程を工場ごとに分業で行っているところもありますが、うちはひとつの工場ですべて製造しています」と語るのは、当主の柏木照之さん。

名前入りのオリジナル風鈴も注文可。結婚式の引き出物にいかが?

和紙の手作り短冊は1枚100円。歌を書く人も多いので裏は無地に

ふつうは「鋳型を作る、鋳込みをする、削る、磨く、色を付ける」といった作業ごとに、専門の職人や工場に割り振るような分業制がとられるが、柏木美術鋳物研究所の場合は、3名の職人のそれぞれが全作業をこなせるそうだ。サッカー日本代表の元監督オシム氏がよく口にした「ポリバレント(多様性)」という言葉が脳裏をよぎる。

銅に錫を混ぜた砂張はもろい合金なので、薄くするほどに割れやすくなってしまう。機械まかせではなく、経験によって磨かれてきたワザとカンで、砂張の風鈴をギリギリの薄さに仕上げる……それこそが職人たちの腕の見せどころなのだろう。

かつてシンバルのシェアが国内1位だったことも!

最高級の御殿風鈴をプレゼントするときは、特製の桐箱(有料)に入れて

柏木家に脈々と受け継がれてきた鋳物作りのルーツは、遠く江戸時代にまで遡るという。柏木美術鋳物研究所が株式会社として鋳物の生産をはじめたのは、1952年のこと。初代社長の柏木晴光氏から数えると、当主の照之さんで3代目ということになる。

「昔はシンバルもたくさん作っていて、15年くらい前までは国内トップの生産量でした。シンバルのメーカーは世界にも数える程度しかないので、海外にも広く輸出されていたそうです」。

持鈴はお遍路さんの道中安全、魔除けのお守りとしてもお馴染み

店内の一郭に、先代の作ったシンバルが今も残っている

国会議事堂の参議院議場で、場内を静粛にするために議長が用いる振鈴は、柏木家の先祖による作品だ。また、黒澤明監督の映画『赤ひげ』で、浅草寺の境内にズラリ並んでいた風鈴も、こちらの御殿風鈴。無数の風鈴が一斉に鳴り響いた後で、最後にひとつだけチリリーンと鳴るという何とも印象的な場面だった。「最初はほかの風鈴が用意されたのに、黒澤監督が『この音じゃない』とおっしゃったそうで、最終的にうちの御殿風鈴を300~400個用意したそうです」。

砂張の風鈴は澄んだ高音がいつまでも響き渡り、心が洗われるようなイメージ。一方、真鍮の風鈴は、短いながらもワビサビたっぷりな音が、せつなく心に染みてくる。風鈴初心者なので、今年はまず手頃な真鍮の松虫風鈴を購入することにした。

柏木さんが、「お好きな音の風鈴をどうぞ」と、風鈴の並んだ箱を持ってきてくれた。実際に鳴らしてみて、好みの音を選ぶのだが、これが案外難しい。ひとつひとつの音が全然違う。しかも、どれもけっこう好きだったりする。悩みはじめるとキリがなさそうだったので、最初に手にとったものに決めた。

今回購入した真鍮の風鈴は、高さ5cm、直径4cmほどのサイズ

つづいて、風鈴の下に付ける短冊を選んだ。和紙を3枚貼り合わせた手作り短冊が、約30種類も揃っている。これは迷わずに、子どもの好きそうな金魚柄に決定。「風鈴自体は長年使えるので、短冊の絵柄を毎年変えて楽しむのがおすすめです」と3代目。なるほど、着せ替え風鈴か。

その日の夜、さっそくリビングの外に吊してみた。仕事場ではなくリビングにしたのは、家族みんなで風鈴の音色を味わってみたかったから。潮風に揺れて、網戸の向こうでチリーン、チリリーン、と松虫風鈴が鳴く。

たしかに、夏の夜の蒸し暑さが、いくらか和らいだように思えた。そして、暑い暑いって文句ばかり言っていないで、こんなに気持ちいい風が吹いていることにも気づきなさい、と風鈴に言われているような気分にもなった。