二宮のしらす漁は4日遅れで解禁

今年もまた春のしらすシーズンがやってきた。地元の魚屋に「生しらすあります」という立て看板が出る。その文字を見ると何だかワクワクしてしまうのは、子どものころから変わらない。

二宮町の漁師は、地引き網でしらすをとる。ひとり乗りの小舟を操り、沖合に網を沈めてきて、その後、網から伸びたロープを浜辺から引くという伝統的な漁法だ。現在ではロープを巻き取る機械が導入され、その力だけでも網を引けるようになっているが、舟を海に出したり戻したりする際には、やはり人手が必要となる。

かつて二宮町では10軒以上の漁師が地引き網をしていたそうだが、現在では3軒だけになってしまった(うち1軒は休業中)。そのひとりが秋山丸の親方、秋山福蔵さん。 ぼくは小学生のころから、いつも梅沢海岸の一郭にある秋山丸の小屋で遊んでいた。そこでは週末になると観光地引き網が行われ、東京から大勢の団体がやってきた。地引き網を楽しんだ人たちは、刺身やしらすの天ぷらを肴に、砂浜に置かれた座卓でいつまでも酒宴を繰り広げていたものだ。今でもこの海岸を歩いていると、時折そんな華やかな時代の風景を思い出すことがある。

さて、二宮の地引き網は11月末(ほかの湘南エリアは12月末)で終了し、相模湾の沿岸に集まってくる鮎の稚魚を守るために禁漁期に入る。県内に相模川や酒匂川、早川といった鮎釣りの名所が多いのも、こうして稚魚が大切に保護されていることと無関係ではない。

そして毎年、梅の季節が終わり、もうすぐ桜が開花という時期になると、湘南各地でしらす漁が再びはじまる。鎌倉の腰越漁港や茅ヶ崎漁港、平塚の須賀漁港などは、3月11日が解禁日だ。それならば二宮の地引き網も……と思って11日の朝、様子を伺いに梅沢海岸へ行ってみたが、浜にはそれらしき気配なし。ちょうど秋山さんがいたので尋ねてみると、二宮のしらす漁の解禁日は3月15日だという。よし、解禁日にまた来てみよう、と決めた。

毎朝早起きして海をチェックする日々

そして、3月15日から3日間、毎日6時前に起床したのだが、うねりがすごかったり、風があって波が大きかったりと、窓から海をのぞいては、がっかりしてベッドに戻る朝がつづいた。地引き網は小さな舟を使うので、少しでも自然条件が悪いと中止になってしまう。

18日になって、ようやく海が穏やかになったので、早朝から梅沢海岸へ繰り出してみる。刺し網漁を終えて、たき火にあたりながら休んでいた秋山さんたちに挨拶。案の定、15、16日は地引き網をやれなかったそうだ。「17日に一度だけ試してみたけど、全然ダメだった」と秋山さん。隣にいた手伝いのおじさんが、「おまけに変なところに岩があって、そこに引っかかって網が切れちゃったんだよ。あの台風で海底の地形が変わったのかもしれないなあ」と呟く。

この日も地引き網は中止。刺し網漁を終えて暖をとるチーム秋山丸

あの台風とは、例の西湘バイパスを崩壊させた台風9号のことだろう。しかし秋山さんは、そうは思っていないようだ。「それはわからんよ。海の中なんて、いつも変わりつづけているんだから」。

10代のころに漁を手伝ってからこの道ひとすじ、現在72歳という秋山さんは、地引き網のほかに年間を通して刺し網漁も行っている。刺し網漁とは、魚の通り道に網を張り、魚の頭が網目に刺さって抜けなくなったところを捕まえる伝統的な漁法。「昔は木綿糸を使って、自分たちで刺し網を編んだものですよ。乾燥させたうるしの木を削って、刺し網につけるウキにしたりね」。

刺し網漁の舟を漕ぎ出すのは、毎晩24時ごろ。前日の午前中、沖合の海中に300m以上に渡って刺し網を仕掛けてあり、それを明け方までおよそ5時間かけて少しずつ揚げていく。たったひとりで、真っ暗闇の中で、冷たくて重い網を……想像しただけでも、気が遠くなりそうな作業だ。

舟を出して翌日のために刺し網を仕掛け、ようやく漁師の朝が終わる

持ち帰る雑魚は、浜で手早くさばいてしまうのが海の男たちの流儀

刺し網漁の主なターゲットは、イセエビとヒラメだが、冬の終わりから春にかけてはアンコウもとれる。二宮産のアンコウは一度食べてみたいと思いつづけているが、我が家はなぜか縁がないようで、まわりから「おいしかった」という話ばかり聞かされている。

刺し網漁でとれたイセエビや大きなヒラメは市場へ運び、残った魚(写真)は仲間内で分ける

波打ち際には網に付いてきた海中生物がずらり。ラーメン風の物体はウミウシの卵

待ちきれずに平塚産を買ってしまった

せっかく春のしらすシーズンが開幕したというのに、そんな状況がつづいているので、二宮の魚屋に並んでいる生しらすは、今のところ平塚の須賀漁港に揚がったものばかり。「平塚産もおいしいですかね?」と魚屋に聞いたら、「二宮は地引き網だけど、平塚のは舟を出して沖合でとる船曳網だから、砂が混じっていなくて食べやすいよ」との答え。

ちょっとだけ砂が混じっていて、たまに口の中でジャリジャリいうところが生しらすの醍醐味なのになあ、なんて思いつつ、初物を早く口にしたい気持ちをガマンできず、とうとう平塚産しらすを買ってしまった。ごめんよ、二宮産しらす。

そのまま醤油をチラリとかけて、まずは生しらすを少し味わってから、残りのすべてを使ってパスタを作った。平塚市花水台にある人気イタリア料理店「アクア フィオーレ」では、新鮮な生しらすが入荷した日だけ、生しらすをのせたペペロンチーノがメニューに登場するのだが、それをマネしてみることにした。

大ぶりな越冬しらすを見て、カタクチイワシの稚魚であることを再認識

解禁直後にとれる越冬しらすは、白魚を彷彿させるほど大ぶり。氷水でキリッと冷やしてから、オリーブオイルと塩であっさり味を付けた。細ねぎかイタリアンパセリ、シソなどの薬味が欲しいところだが、何もなかったので、ペペロンチーノの上に生しらすをてんこ盛りにして、完成。

生しらすをパスタと絡めて頬張った瞬間、ねっとりした甘さが口の中いっぱいに広がった。大ぶりなので食べ応え十分、いやはや、うまいのなんの。4月下旬になると、今度は孵化したばかりのしらすが地引き網に入るようになる。小さくてやわらかくて何とも繊細な味わいなので、そちらも楽しみだ。

ワイルドな男の料理、生しらすのペペロンチーノは我ながら絶妙な出来映え

最後に、二宮で地引き網を体験してみたい方へ。秋山丸などの観光地引き網は3~11月に予約制で行われており、1回4万円(2回7万円)。生しらすなど網に入った魚は、もちろんすべて持ち帰ることができる。仲間を誘って大人数で申し込めば、意外に手ごろな料金で楽しめるだろう。