史上最年少名人・七冠という偉業を達成し、無人の荒野を進むかのように歴史を塗り替え続けている藤井聡太竜王・名人。日本将棋連盟が刊行する『令和5年版 将棋年鑑 2023年』の巻頭特集ロングインタビューの取材に際して、藤井竜王・名人の回答からにじみ出た言外のニュアンスからインタビュアーが感じた藤井像に迫ろうという連載の第4回です。

今回は研究・実戦についての考え方を掘り下げて聞いた部分をご紹介します。藤井竜王・名人の将棋観を感じ取ってください。

  •  藤井竜王・名人の回答からにじみ出た言外のニュアンスからインタビュアーが感じた藤井像に迫ろうという連載の第4回です

藤井竜王・名人にとってAI研究は負担ではない!?

今回、藤井先生にインタビューするにあたって、ぜひ聞いてみたいことがありました。
それは「AI研究の負担について」です。

現代将棋では相手より1手でも研究手順が長ければ、つまりAIが示す最善手や評価値を少しでも先まで知っていれば、それだけで有利と言われます。 しかしそうなると、将棋が「研究合戦」のような状態になってしまい、棋士は日々研究に追われることになります。現代の棋士にとって宿命のようなものかもしれませんが、この大変さについて藤井先生はどう考えているのか聞きたいと思っていました。

――思うのですが、相居飛車の場合、同じ戦法を先手でも後手でも指すことになりますよね。

藤井「はい」

――そうすると、同じ戦法の中で先手番の研究と後手番の研究を並行して行う感じになるのでしょうか。

藤井「定跡を考えるというのは先後どちらの立場でも有力な手を考えるということなので、どちらかをよくしようという意識はないです。特に角換わりなどはシンプルに『定跡を考えている』という側面が強いです」

――定跡を考えている……。なるほど。どちらかの手番に偏って考えているわけではないのですね。AIが登場したことで今の棋士は研究が大変になったということを耳にしますが、藤井先生もそう感じますか?

藤井「それは特にはないです」

――えっ! そうなんですか。

藤井「自分の場合、一局ごとに作戦を立てるということはしていないので」

驚いたことに藤井先生は、研究を大変だと感じていませんでした。
研究が大変なのは当然で、その中でどうやって工夫してやっているか、という話になると思っていたので、「そもそも大変だと思っていない」というのには衝撃を受けました。
話の続きをご覧ください。

――常に満遍なく定跡を考えている、ということでしょうか。

藤井「そうですね。直近の対局にそれほど関係なく定跡の作成と更新をしているという感じです」

――すごく大変なことをしているのに藤井先生が大変だと思っていないだけ、という可能性もあるのかなと思ったのですが。

藤井「いや、一局ごとに作戦を考える方に比べれば、自分のほうがやることは少ないはずです。作戦の意図というか趣旨を生かすにはある程度深い理解が必要なので、毎回違う作戦をしようと思うとそこでの大変さは出てくると思います。自分の場合は定跡作成は定跡作成として行っていて、実戦で有利に立つためにやっているということではないので、そこは負担ということはないです」

つまり、藤井先生は〇〇戦の第△局はこの作戦で行こう!そこで優勢になるように研究しておこう!という動きをしていないのですね。 自分の中でひたすら「定跡作成」をしていると。

相手は相手、想定しても仕方ない

――大変興味深いお話なので、もう少し聞かせてください。定跡作成は負担ではないということですが、とはいえある程度幅広い戦型で定跡を作成しているわけですよね。

藤井「そうですね。ただ、これまでも定跡作成をやってきたので、部分的に見直すことはあっても一遍に全部変えるということはありません。なのでそこに特に比重を置いているということはないです」

なるほどのロジカルな回答です。定跡作成は秘伝のタレのように継ぎ足し継ぎ足しでやっているのでそんなに大変ではないのだと。

じゃあ「自分の定跡」より「相手の研究」の方が先に行ってたらどうするんですか?と聞きたくなりました。

――実戦で藤井先生の定跡の範囲より相手の研究の方が少し先まで行き届いていた場合は、若干指しにくいということになるのでしょうか?

藤井「先後どちらかによります。後手番であれば定跡を抜けた局面が互角であれば仕方ないので相手の研究が深くてもある程度受け入れることになると思います」

――なるほど。どちらが先まで行っているか、というより抜けた後の形勢が問題だと。

藤井「何と言うか、自分は自分ということですね。あらかじめ相手より深く研究しようと思っても、それはやってみなければわからないというか、相手が何を指してくるかはわからないので、想定しても仕方ないのかなと。自分は自分で定跡を作っておいて、そこを抜けたらあとは考えればいいと思っています」

相手の研究が自分の定跡の範囲を超えることを藤井先生は問題視していませんでした。定跡の範囲内であれば少なくとも互角ではあるので、そこから先はその時に考えれば良いという発想。相手が何を指してくるかどうせわからないので、自分は自分で定跡の範囲を粛々と広げておきますよと。

・・・でも待ってください。定跡を抜けたところが互角の局面なのはいいとして、そこから形勢を維持するのがとても難しかったらどうするのでしょうか?

例えば、角換わり腰掛け銀などで、互角を維持するのはこの一手だけで、それ以外は急転直下で悪くなる、ということはよくあります。また、相掛かりなどの手の広い場面で最善手を探し出すのが非常に難しい場面もあります。

そうなるとやっぱり研究が行き届いている方が有利なんじゃないかなーと思いますよね?
それが次のテーマにつながっていきます。

定跡を超えたとき、指針をもって判断できることが重要

次のテーマは「局面の理解」です。藤井先生の口から何度か出たことがあるフレーズなので、聞いたことがある方もいるかもしれません。

以下のやり取りをご覧ください。
豊島先生との第63期王位戦七番勝負(2022年6月~9月)についてのお話です。

――王位戦を振り返っていかがでしたか?

藤井「この王位戦はすべて角換わり、特に角換わり腰掛け銀になりました。シリーズを通して戦型に対する理解を深めることができたと思います。中盤以降も難しい将棋が多く、自分としては収穫の多いシリーズだったかなと思っています」

――最近先生のお話の中で戦型に対する理解、あるいは序盤の局面に対する理解が深まったということをよく聞くように思います。局面の理解が深まるというのはどのような状態のことでしょうか?

藤井「そうですね。局面とそれに対応する指し手を知っているということだけではなくて、その局面において自分で判断の指針を作って指すことができるということが重要かなと思います。そのためには、ある程度経験も必要で、そういう意味でも王位戦で角換わりを多く指してつかめた部分はあったと思っています」

――判断の指針を立てることができる状態、というのは……(考え込む)。

藤井「何と言うか、角換わりなどは定跡化が進んでいて、そこを抜けた後が非常に難しいことが多いので。逆に、指針が立てられないと何もわからなくなってしまう、ということはあります」

――判断の指針というのは形勢判断のことでしょうか?

藤井「形勢判断もそうですし、その後どういう方針で指すかということですね」

――なるほど。言語化できているというか、最善手を知っているだけではなくて、その後相手にどんな手を指されても大体対応できる状態というか。

藤井「そうですね。局面の急所というか重要なポイントをつかんでいる、ということですかね」

――だから定跡の範囲を超えられても大丈夫、ということにつながっていくんでしょうか。

藤井「現状では大丈夫、ということはないんですけど(笑)、そういう状態になればいいとは思っています」

――深いですね。ありがとうございます。

長く引用しましたが、局面の理解ということがなんとなくお分かりいただけたかと思います。
局面の重要なポイントをつかんでいれば、そこから類推して、定跡を外れた未知の局面でも対応できるわけですね。

公式戦がそのまま対人の研究になる

では、局面の理解を深めるにはどうしたらいいのでしょうか?

――今の話とつながるかもしれませんが、対局相手の豊島先生は勉強の仕方を少し変えて、対人対局の機会を増やしたと言われています。昨年、伊藤匠先生もAIの研究だけではなく、人と指してみることで理解が深まるということをおっしゃっていました。藤井先生も同じ考えでしょうか?

藤井「それはそうです。定跡を見ているだけではなかなか理解が深まらないですし、対局するにしてもソフトと指すという方法ももちろんあるんですけど、人と指したほうが、お互いの指し手の意図がぶつかり合う形になるので勉強になるところは多いかなと思います」

――なるほど。人間の場合は文脈というか、理由があって指しているので、自分の持っている文脈にも影響が出やすいと言うか。

藤井「そうですね、はい」

――対人で勉強する割合を増やしたい、または減らしたいということは今はありますか?

藤井「いや、今は特にないです。これまでもそうでしたが、4月以降も公式戦がコンスタントにあると思うので」

――なるほど。実戦が対人の機会になるということですね。

局面の理解というのはAIの評価値ではなく、それを人間の言葉に翻訳して汎用化したものなので、人と対局することで自分の理解と相手の理解が衝突し、より深化させることができる、ということなのでしょう。だから豊島先生との王位戦で角換わりを繰り返すうちに、理解を深めることができたわけですね。

「定跡作成」がAI的、数学的、量的なものであるのに対して
「局面の理解」は人間的、言語的、質的なものであると言えそうです。
そしてその2つを掛け算した面積が「強さ」になるのだと思います。 図で示すとこんな感じです。

AIの定跡を覚えているだけではその強さはペラペラな状態で、そこに局面の理解が加わることで厚みのある強さになって、未知の局面でも対応できるようになる、というイメージでしょうか。

藤井先生はこの面積を横方向と縦方向の両方に日々広げていっているのだと理解しました。

たまに、将棋はAIの暗記ゲームで藤井聡太は暗記力が高いから勝っているだけという人がいますけど、この話を聞くと全然そうではないことがわかります。

藤井先生が「将棋はそんな単純なゲームじゃないんだよ」ということを示してくれたように思います。

この記事へのコメント、ご感想を、ぜひお聞かせください⇒コメント欄

『令和5年版 将棋年鑑 2023年』
発売日:2023年8月1日
価格:5,280円(特典付き)
販売元:マイナビ出版
判型:B5判680ページ
『将棋年鑑』は昭和43年から続く日本将棋連盟の定期刊行物です。令和5年版の表紙は六冠王となり、名人挑戦を決めた藤井聡太竜王が飾っています。タイトル戦の番勝負、竜王戦決勝トーナメント+1組、A級順位戦、王将リーグについては全局を収録。アマチュア棋戦を含めると500局を超える熱戦を、680ページの特大ボリュームでお伝えいたします。 Amazonの紹介ページはこちら