突然ながら、最終回である。本連載はもともと全12回のお約束でお受けしたのだった。担当編集者(高野寛ファン)からは「このままずっと書いてくださいよ! 永遠に続いてる河を行け!」と言われていたが、私のほうが「いや、さすがに、オープンエンドで新婚してって、それはちょっと……」というわけで、突然最終回ならぬ、必然最終回である。

予定通りに偶然に

私生活を切り売りするエッセイなんて書くもんじゃない、と思っていた。【第11回】にある通り、不特定多数に対して結婚報告をするのは百害あって一利ない行為と思えた。けれど私とて立派な人妻、いつまでも新婚ステルスモードでビクビクしながら独身非モテに擬態して生き続けるわけにもいくまい。有限の日記とともに2013年のうちに「新婚」と決別し、堂々と書くことでその呪縛からみずからを解放するべきだ。【第1回】【第2回】辺りの喧嘩腰の文章に、その肩肘張った感じがよくあらわれている。

当初は「『嫁へ行く』という物言いが時代錯誤」「したくてもできない人間への配慮が足りない」といった風当たりも強かったが、【第3回】【第4回】と夫のオットー氏(仮名)のゆるキャラとしての人気が高まってゆくにつれ、次第に「ノロケ乙」としかコメントされなくなった。「こんなよくできた夫は非実在に違いないから、最終回は夢オチに違いない」と憶測が飛び交い、普段から明晰夢をよく見る私はすっかり鵜呑みにして、ずいぶん不安を煽られた。

あるあるネタとして好評を博したのは【第5回】、外敵排除について、我が家の場合はああだこうだ、とさまざまな事例が寄せられた。続く【第6回】【第8回】では、渦中にある人、あった人、今も悩みが尽きない人からの感想が多く、私自身、書いた後でさらに考えさせられる結果となった。感想の文中に「うちのオットー氏の場合は……」といった表現が広まっていったのもこの頃だろうか。【第7回】【第9回】は、読み手の既婚未婚、オタ非オタを問わず大きな反響をいただき、【第10回】はオタク当事者に限って切実な反響をいただいた。

読み方や感じ方に優劣をつけるつもりはないけれど、私が目にして一番嬉しかったのは、やっぱりこんな読者たちからの感想である。「もしも我が身にこんなことが起きるなら、独身主義で生きてきた私も、ちょっと結婚してみてもいいかな、と思える」。

トーク! トーク! トーク!

少なくない既婚者から、「いろいろあるけど、この新婚日記を読んで、久しぶりに『結婚っていいものだよな』と思えたわ」と言われたのも不思議な体験だった。長く平和な結婚生活を続けているはずの人たち、独身時代の私が憧れて羨んで、時々は深夜に一人、枕を噛んで泣きながら妬んでもいたような、あの人たちからである。

え、ちょっと待って、「結婚っていいものだよな」と普段は思ってなかったの!? 傍目には幸福な暮らしと見えるのに、そんなに「久しぶり」にでないと認識できないの!? やっぱりあの「新婚さんかぁ、今が一番いいときねー!」攻撃こそが真実で、今を過ぎたら後は悪くなる一方なの……!? 驚き怯える私に、ある女友達が言った。

「ネットに限らず、オフラインでもね。ひとたび結婚してしまったら、あとは結婚生活について、何も言っちゃいけないような気分になるものなのよ。楽しいことも苦しいことも、よそはよそ、うちはうち、これが自分の選んだ道、と考えれば考えるほど、表立って口に出すことをしなくなって、言わないことで、忘れてしまうものなのよ」

だけどみんな本当は、「結婚するんじゃなかった」より、「結婚してよかった」のほうが少しだけ多い、そんな人生にしたいと思っているはずなのよね、それは結婚式や新婚さんから何年経っても変わらないはずなのよね。と、彼女は笑った。

「あなたたち、今が一番いいときねぇー!」と訳知り顔の二人称で語りかけて後続にウンザリされるような鬼女にはなりたくない。還暦過ぎても新婚気分の私の両親のように、「いつだって今が一番いいときです!」と答える自信もない。「私、結婚してよかったなって思うわ」と虚空に向かって一人称でしみじみつぶやく、それを信じるも信じないも他人に委ねる、人畜無害な存在でありたいと思う。

「なんで結婚したんですか?」という質問は、されてみるとなかなか、答えに詰まるものである。「フツーの法律婚なんかしないと思ってた」や「子供ができたらこんなこと言ってられなくなるのにね」という感想も、同様に。一刻も早く「結婚」というものの定義に真の多様化が訪れて、誰もが気軽に人畜無害に、「ほっとけよ、私の勝手だろ」と自分の結婚のかたちを好きに語れる世の中になってほしいと、私は思う。

あっちの台詞だ

ところでこの「嫁へ行くつもりじゃなかった」というタイトル。自分でつけておいていかがなものかと思う。回を重ねて書き連ねながら予感が確信に変わったが、結婚にまつわる「こんなはずじゃなかった」度合い、何をどう考えても私よりオットー氏のほうが強いに違いないのである。プロポーズした段階ではまさか、来るべき自分の新婚生活がここまで赤裸々にエッセイのネタにされるとは思っていなかったはずだ。よく耐えてくれていると思う。ありがとうございます。

たとえばここに「オットー氏は毎朝、私よりも早起きしてコーヒーを入れてから優しく起こしに来てくれるし、手料理を作れば私よりも上手だし、掃除も洗濯も洗い物もゴミ出しも全部、完璧にやってくれるのよ! もちろん私より稼ぎもよくて、中年太りなんか絶対しないし、オシャレにも気を遣うイケメンの理数系メガネ男子なの!」と盛り気味に書いておけば、世間的に彼はそういう「素敵なダンナサマ」として認識され、本人も、少なくとも読者がいる前では、その通りに行動せざるをえなくなる。

これでもう、上等な麻素材のシャツを全自動ボタンで洗濯乾燥にかけることもなくなるだろうし、リビングに敷きっぱなしのヨガマットで筋トレも始めるだろうし、今から超絶美形に変貌することはなかろうが、ユニクロで買ったオレンジのセーターにユニクロで買ったオレンジのダウンジャケットを合わせて「今日のコーディネートは同系色で揃えました」などとほざくことはないはずだ。みかん星人か。いやー、オットー氏、本当に、理想の夫、夫の鑑、三国一のよくできた花婿デスヨネ―。

ともあれ私だって、本当に本物の「理想の夫」像を追求する求道者であれば、実在の生身の人間との婚姻などという譲歩と妥協の産物は選択せずにいたと思う。今年の健康診断結果が届き、オットー氏の視力がさらに向上していたことも含め(0.5って何だよ!)、中小規模の「こんなはずじゃなかった」は、驚きとともに人生のスパイスとして受け止めながら生きていきたい。ここまで書いてとりあえずまだ目が覚めていないので、やっぱり夢オチではないと思います、たぶん。よかった!

そして毎日は続いてく

私たち夫婦が「新婚さん」でいられる期間は、そう長くはない。久しぶりに会う人々に「結婚しました」と報告する機会が減り、結婚パーティーで会場装飾に使った花が忘れた頃に業者から額装された押し花となって届き(ぶっちゃけ超要らない)、病院の受付でオットーダ夫人の姓を呼ばれたらせいぜい五回目くらいで自分のことだと気づくようになり、エレベーター前で行き会った宅配業者が私を呼び止めて夫宛ての届け物を渡すようになり、出張先に泊まって一人のベッドで目覚めたとき異様な解放感をおぼえるようになり、かたや一人で酒を飲んでいるときにはちょっと寂しさをおぼえるようにもなり、そうか、そろそろ「新婚さん」も終わりに近づいているな、と考える。

今のうちしか書けないことだって、あるかもしれない。その気持ちには変わりはない。もう新婚とは呼べないけれど、まだベテランとも呼べないような、そんな立ち位置で今後とも結婚生活をテーマにあれこれ書いていけたらいい。そう思っていた矢先、担当編集者(高野寛ファン)が、引き続きコラムの枠を用意してくれることになった。まさか僕らがこうなるとは、ちょっと前じゃありえないね……。というわけで、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(完)

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海