全国の神社やお寺の参道には、何百年と愛されてきた老舗の和菓子屋さんや社寺ゆかりの名物を商うお店があります。旅はその土地の名物を食べるのも楽しみのひとつですが、せっかくの社寺詣。社寺ゆかりの名物に舌鼓をうってみませんか。
第4回は福岡の太宰府天満宮と、天神様の守り鳥である"鷽(うそ)"が入った名物"うその餅"をご紹介します。
全国に約12,000社ある天満宮の総本宮・太宰府天満宮
年間1,000万人もの人が参拝に訪れる太宰府天満宮は、この地で亡くなった菅原道真公をお祀りする神社です。御本殿があるのは、道真公の葬儀の際に遺骸を乗せていた牛車が動かなくなった場所と伝えられています。ここにお墓を立てよとの思し召しであろうと、その地に埋葬されました。延喜5(905)年、墓所の上に祠廟が建てられ「天満大自在天神」と称したのが太宰府天満宮の創始とされています。1000年を超える歴史を有し、国の重要文化財に指定されている朱塗りの御本殿は天正19(1591)年に再建されたものです。
道真公が太宰府に配流される際に、庭の梅の木を見て詠んだ「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘れそ」の和歌は広く知られています。その後、去った主を慕った梅の木が一晩で太宰府へ飛んだと伝えられています。この飛梅伝説にちなみ、全国の道真公を祀る神社で梅の木が境内に植えられるようになりました。
学問の神様として崇敬される理由
受験シーズンになると、多くの受験生や合格を祈る家族が参拝することでも知られる太宰府天満宮ですが、なぜ菅原道真公が学問の神様として崇敬されるようになったのでしょうか。学者の家に生まれ、幼少期から詩歌の才能に優れた神童であったと伝えられている道真公。歴史書の編纂にも携ったほか学者や漢詩人として活躍し、右大臣に登用されるなど活躍をしていました。
ところが昌泰4(901)年、讒言によって失脚させられると太宰府へと左遷されますが、その後も国のために平安を祈ったといわれています。誠を尽くした生き方が尊敬の念を集めるようになり、学問の神様だけでなく和歌の神様、至誠の神様、国家鎮護の神様として崇敬されるようになったのです。
守り神・鷽を模した木彫りの人形が入った「うその餅」
スズメ科の鷽という鳥は、天神様のお使いともいわれています。太宰府天満宮の造営時、蜂の大群が工事の邪魔をしましたが鷽がこれを退治。その故事から鷽がお使いの鳥になったとか。太宰府天満宮では、毎年1月7日に「替えましょ、替えましょ」の掛け声とともに「木うそ」を交換して取り替える「鷽替え神事」が斎行されます。知らず知らずのうちについた嘘を道真公の誠心に変えて幸運をいただくという意味があります。
参道に店を構える「梅園菓子処」は、太宰府天満宮の御用も務める和菓子店です。代表銘菓は、鷽替え神事にちなんだ餅菓子の「うその餅」。求肥の餅に鮮やかな若草色のそぼろをかけたもので、なかには小さな土人形の鷽が1体入っています。1月は元日から木の鷽(※)が入るほか、天神の日の25日には紅梅色のそぼろに変わるなど折々に買い求める楽しさがあるお菓子です。爽やかな青紫蘇の風味と甘さで、お茶にもよく合います。(※木の鷽はなくなり次第、土人形に変わります)
「梅園菓子処」では、この「うその餅」の進化系でちょっと変わったお菓子も新たに登場しました。若草色か紅梅色、一色だったそぼろを紅白にして、青竹をあしらった鷽の土人形を入れたもの。
太宰府地方への参拝旅では、太宰府天満宮とともに訪れる人が多いのが宝満宮竈門神社ですが、最近では人気マンガの聖地としても注目されています。この竈門神社に新作のこのお菓子を奉納したところ、宮司から「竈門の華」という菓銘を頂戴したとか。紅白のおめでたい色の組み合わせで、お祝いのお菓子にも使えそうです。
DATA
太宰府天満宮
福岡県太宰府市宰府4-7-1梅園菓子処
福岡県太宰府市宰府2-6-16