前回は、約30年前の上越線を3つのキーワード「名列車・珍名所・名脇役」で振り返りました。名列車は、181系特急「とき」。珍名所は、日本一のモグラ駅「土合駅」。そして今回紹介するのが、名脇役の「EF16」です。
EF16は、上越線水上~石打間の上越国境越え専用の補機(補助機関車)。この区間を走行する貨物列車などの機関車の前に連結して、峠越えを助けていました。上野~金沢間を結んだ寝台特急「北陸」も、乗客が寝静まった深夜、人知れずEF16を連結して上越国境を越えていたのです。
セメント満載の上り専用貨物列車が利根川の鉄橋を渡る。先頭はEF1620。上越線、水上付近。1979年8月18日 |
この鉄橋を渡り切れば水上駅。到着後、EF16は解放される。上越線、水上付近。1979年8月18日 |
EF16は、貨物用の電気機関車EF15を改造し誕生した勾配区間用の電気機関車です。まず、1951~1952(昭和26~27)年にかけて、奥羽本線福島~米沢間の勾配区間用に12両が改造され、福島機関区に配置されました。
大きな特長は、勾配を下る際に使用する電力回生ブレーキを設け、安定したブレーキ力を確保したこと。当時のキハ82系ディーゼル特急「つばさ」は出力不足のため、EF16の力を借りて勾配を上っていました。
続いて1955~1957年にかけて、上越線水上~石打間の勾配区間用に12両が追加改造され、水上機関区に配置され活躍を始めました。
1964年、福島機関区にEF64が配置されます。余剰となった12両のEF16のうち、10両がEF15に戻され、残る2両が長岡第二機関区を経て水上機関区へ転属。最終的に計14両のEF16が上越線で活躍しました。そのほとんどが水上機関区に集結(1両のみ長岡区所属のまま廃車)し、1980年10月まで上越国境越えに活躍した後、その任をEF64 1000番代に譲り、全機廃車となりました。
なお、水上機関区は1986年10月に廃止となり、残存した転車台が、このほど復活運転を開始したC61の方向転換などに使用されています。
当時、EF16は日中の運用が少ないため、水上機関区に多数留置されていました。逆に、深夜になると運用がほぼ倍増するという大活躍ぶり。
貨物列車はもちろん、寝台特急「北陸」や急行列車が、時刻表に停車の記載がなかったにもかかわらず、深夜の石打駅で人知れず次々と停車し、EF16を先頭に連結して上越国境越えに挑みました。
石打駅にて出発を待つ寝台特急「北陸」。露出がアンダーになってしまった…。1980年9月23日 |
急行「天の川」を牽引してきたEF58の前に、ヘッドライトをつけたままEF16が連結された。青と赤の光跡は、操車係のカンテラ。1980年9月23日 |
腕もないのに、無謀にも石打駅で深夜の撮影に挑んだ筆者。まともな写真がありませんが、雰囲気だけでも味わっていただけたらと思います。
ちなみに、ここまで紹介した石打駅での写真は、上り列車ばかりです。下り列車も狙ったのですが、じつは問題が……。列車が到着した後、すぐにEF16が解放されてしまうので、まともに撮れませんでした。
下り特急「北陸」が石打駅に到着。EF16解放をバルブ撮影したが、写っていなかった。1980年9月23日 |
停車中の下り急行「鳥海」。B寝台が2両連結されていた。おそらくほとんどの乗客が夢の中…。1980年9月23日 |
EF16を連結した上り貨物列車は、出発までしばし待機。出発時間が来ると、「プァ~、プァ~、プァ~……」と、石打駅の独特のブザーが鳴り響きます。
すると補機と本務機が、それぞれ短い汽笛で出発合図。直後に、「ピーーッ、ピッ、ピッ」「ピーーッ、ピッ、ピッ」と汽笛でノッチ進段数の合図。旧型電機重連の重々しいモーターのうなりを残し、上越国境の山中へ消えていきました。
ホーム上の待合室には一晩中照明が。撮影が一段落すると、自販機の缶コーヒーにお世話になった。1979年8月19日 |
上り貨物列車が石打駅を出発。車掌車の赤いテールランプが光跡となって、山の中へと消えていく。1980年9月23日 |
その様子を、写真も撮らずに熱心に「録音」しているファンがいました。もし許されるなら、そのテープをお借りして旧型電機の音を聞きつつ、30年以上前の深夜の石打駅にタイムスリップしてみたいものです。
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った