飲食店を取材して10年以上。フードライター&エディターという職業だ。仕事でもさまざまな店を訪れるが、プライベートでも普通の人よりは外食する頻度が高い。仕事柄、店内のつくりや接客態度、メニュー構成、料理の味も気になるが、レストラン内でのヒューマンウォッチングもこれまた結構楽しい。この連載では、レストランで起きたちょっとした出来事をつづっていこうと思う。

寿司職人の手がキレイでないといけないワケ

この業界に入って間なしの頃。ある寿司店を取材することがあり、それからその店主にはとてもよくしてもらった。地方から上京して夢をかなえようとしている私を、自分の娘のようにかわいがってくれた。給料前になると電話がかかってきて、「腹減ったらいつでも遠慮なく来るんだぞ」と言ってくれる。なんだか悪くて、給料日前は店に行かないようにしていたのだが、「行かないのも悪いかな」と思い、お言葉に甘えて店に行ったことがあった。

「好きなだけ握るから、腹いっぱい食っていけ」。そんな風に言って、イクラや穴子など、好物のものをたくさん出してくれた。おいしくいただきながらふと店主の手元を見ているうちに、あることに気がついた。

「めちゃくちゃ手がキレイなんですね」。

そう、その店主は50歳くらいの男性なのに、手はツヤツヤもっちりお肌。おまけにムダ毛などなくツルツルなのだ。

「そりゃあそうだろう、手で直に寿司めしを握るのに、毛だらけじゃあ不衛生だからな」とその店主。「いい酢を使っているからか、肌もキレイになってきた気がするな」とも言った。なるほど。寿司職人は、他のジャンルの料理人と比べて、食材を直接手で触る頻度が高い。ひび割れまくりのガサガサな手や、毛むくじゃらの手で「ヘイッ」なんて寿司を出された日にゃあ、食欲も減退するわな。「やっぱりここのお寿司はおいしいな」。そんな満ち足りた気持ちでその日は帰路についた。

ジャングル寿司職人との遭遇

その数年後。ある海沿いの町へ出張に行ったとき、通りかかった寿司店にふらっと入ったことがある。昼時のせいか、店はかなり繁盛していた。カウンターの席に案内され、席につく。しばらくするとオーダーした10貫ほどのにぎりが供された。マグロに箸をつけようとしたとき……。

「??」。何か、ついていた。黒く、細い、何かが。よく見ると、隣のイカにもついている。黒くて短い糸のようなものがマグロとイカの握りから生えていた。「なんじゃこれっ!?」と驚きながら職人の手元を見てみると……。ボーボーなのである。何がって指の毛、つまり指毛が、だ。

ビックリして思わず職人の顔を見た。指毛ボーボーの職人、おそらくその店の店主は何食わぬ顔で寿司を握り続けている。指毛とはいえ、毛である。つくり直してもらおうと思ったが、その店の寿司職人は指毛ボーボー職人1人。文句を言ってもまた彼がつくりなおすだけである。「ここで、指毛を剃れ」とはさすがにいえない。ゲンナリしてしまった私は、出された寿司にまったく口をつけず、店を後にした。

今まで何軒もの寿司店を取材してきたが、ジャングルのように指毛が生えまくっている職人は後にも先にも彼だけだ。なんかもう、マリッジリングに毛が絡まるとか、たまたま止まった虫の足に絡まって飛べなくなってしまうとか、風が吹けばそよそよと揺れ動きそうなくらいの指毛レベルだった。5年以上経った今でも鮮明に覚えているくらいだ。……今でもあの店、あるのかな。

イラスト: こざき亜衣