日本の自動車が、初めて海外に輸出されたのは大正時代のことだそうだ。だが、当時の日本車は、まだまだ外国勢に太刀打ちできるような性能ではなかった。では、日本車で初めて、外国の自動車市場にインパクトを与えたモデルは何だったろうか?

それはやはり、ホンダのシビックではないかと筆者は思う。技術的な革新性という意味では、先に発売されたマツダ・コスモスポーツがあったが、商業的に成功したとは言いがたい。シビックは大ヒットしただけでなく、世界を席巻した日本車のイメージ像、つまり、「コンパクトで経済的で壊れない」という信頼感を作り上げた功績がある。

1983年に発表された3代目「ワンダーシビック」

「未来からタイムスリップしてきた」3代目「ワンダーシビック」の衝撃

初代シビックが誕生したのは1972年のことだ。耳にタコの話と思う人もいるかもしれないが、いちおう簡単に復習しておくと、1970年、米国でいわゆる「マスキー法」が制定された。自動車の排気ガスを従来の10分の1以下に規制するというもので、当時はクリアすることが絶対に不可能とさえ言われたほど、厳しいものだった。

一方、当時のホンダは自動車メーカーとしては新参であり、しかも社運をかけて発売した「ホンダ・1300」が大失敗を喫し、窮地に追い込まれていた。絶体絶命のピンチから一発逆転の望みをかけてチャレンジしたのが、マスキー法をクリアするエンジンの開発だった。苦心の末に完成したCVCCエンジンは、世界で初めてマスキー法をクリアし、このエンジンを搭載したシビックは米国で大ヒットとなった。

筆者は当時のことをリアルタイムで体験したわけではない。ただ、20年ほど前、アメリカに数カ月間滞在した折、かの地でホンダの人気があまりにも高くて驚いたことがある。もちろんトヨタやスバル、スズキなど日本車全般の人気が高いのだが、それらのメーカーは低価格車を中心に、実用品として愛されている側面が強いのに対し、ホンダだけは明らかに別格。若者からはカマロやマスタングよりCR-Xが憧れだと、中高年からはベンツやBMWよりレジェンドが憧れのモデルだと、何度も聞かされた。

日本人である筆者へのリップサービスも多分にあっただろうが、彼らが日本を持ち上げようとするとき、最初に出てくるのがホンダであることもまた事実だ。ここまでホンダのブランドイメージを高みへ押し上げたモデルこそ、シビックといえるのではないか。

シビックはその後、発展形ともいえる2代目「スーパーシビック」にモデルチェンジ。そして筆者も含め、多くの自動車ファンが掛け値なしの「衝撃」を受けたであろう、3代目「ワンダーシビック」へと至る。グリルレスのフロントマスク、ナイフで切り取ったようなリアエンド、未来からタイムスリップしてきたとしか思えないそのボディ。初めて見たときの驚きは、いまでも忘れられない。

「ワンダーシビック」はホンダ初の日本カー・オブ・ザ・イヤーと、自動車初のグッドデザイン大賞をもたらし、販売面でも成功した。しかも、このモデルでホンダにDOHCエンジンが復活、後のVTECエンジンに続く基礎となった。ホンダがF1に復帰して大活躍した時期とも重なり、派生モデルのバラードCR-Xとともに、「スポーツカーのホンダ」というイメージを定着させ、同時にFFのスポーツカーが商品として成立することを証明した。

「ミラクルシビック」で環境技術をアピール、先見の明はあったが

4代目「グランドシビック」はやや印象が薄いが、続く5代目「スポーツシビック」で再び高評価と人気を得た。筆者がとくに注目したいのは、6代目「ミラクルシビック」。このモデルでシビック初のタイプRが登場し、走り屋の絶大な支持を得たので、そのイメージが非常に強い。だがそれ以上に注目すべきは、量販グレードの低公害性、低燃費性だ。

6代目シビックにあたる「シビック VTi」(写真左)と「シビック TYPE R」(同右)

「ミラクルシビック」の"ミラクル"たる所以は、走行性能を維持しつつ、驚異的な低燃費を達成したことにある。それは3ステージVTECエンジンとCVTトランスミッションによって達成された。米国で発売された低燃費グレードのシビックHXは、米国内で最も燃費の優れたモデルであり、世界一厳しいカリフォルニア州のTLEV基準を達成した。

その後、ホンダはシビックをはじめ、さまざまなモデルでLEV(Low Emission Vehicle)エンジンを展開。低燃費、低公害を強くアピールしていく。当時は環境問題が一般的に認知され始めた頃ではあるが、それでも一般ユーザーの環境や燃費に対する意識はそれほど高くなかった。LEVと言われても、「まあ、いいことだよね」という程度のリアクションが、少なくとも日本のユーザーの間では一般的だったように思う。

しかし、いま振り返ってみれば、いち早く環境技術の開発に力を注いだホンダの選択は正しかった。一度はスポーツカーへと舵を切ったシビックを、このタイミングで方向修正したのは、まさに先見の明があったといえる。

もっとも、環境技術については、やや遅れて発売されたトヨタのプリウスが、その手柄をすべて持って行った感があり、「ミラクルシビック」もLEVも多くの人から忘れ去られることになってしまった。それでもシビックで培った環境技術は、よりコンパクトなモデルであるフィットに受け継がれ、ホンダ最大の大ヒットを飛ばすことになる。

フィットに人気を奪われ、日本市場からは姿を消すも…

シビックがめざした環境技術がフィットで結実したことは、非常に象徴的だった。思えば、フィットの魅力でもある「小さなボディに広い室内」「爽快な走り」「高い経済性」は、かつてシビックがめざしていたものだ。

9代目シビック(欧州仕様)

ところが、いつの間にかシビックはコンパクトカーではなくなり、7代目「スマートシビック」では、シビックの原型たる3ドアが姿を消した。ペットネームのなくなった8代目シビックでは、ハッチバック自体が廃止され、残ったのは堂々たる3ナンバーサイズのセダンのみ。初代シビックのめざしたものとは、まるで違うモデルになってしまった。

モデルチェンジごとに大型化を繰り返し、気がつけば後から登場した格下モデルに人気を奪われるという図式は、フォルクスワーゲン ゴルフとまったく同じ。ただ、ゴルフは一貫してハッチバックボディを守るなど、そのコンセプトにブレはなく、欧州にて発売された最新型で見事な復活を遂げた。

一方のシビックは、自らのアイデンティティを否定するかのごときモデルチェンジの末に、日本ではすでに消滅したモデルとなってしまった。なんとも寂しい限りだ。ただし、海外でシビックは依然として人気モデルであり、欧州ではハッチバックボディも健在。日本でもタイプRが復活することになった。とはいえ、こうした特殊なモデルだけでなく、ホンダの顔となるようなシビックの復活にも期待したいところだ。