鉄道は様々なことを物語る。今回のテーマである"イメージ写真"の場合、鉄道をどう見てどう切り取り、どう写すか決まり事がない代わりに、表現者としての"柔軟で芯のある想い"が要求される。鉄道写真の無限の可能性のひとつとして、線路を被写体としたイメージ写真について真島満秀さんにお話をうかがった。
彩度の差が大きい霧と地面は"段階露光"で撮る!
下の作品は、美しい白樺林で知られる岩手県のローカル駅付近で撮影された。真島さんの本来の目的は、白樺の紅葉と絡めた列車の撮影だったが、濃い朝霧で何も見えない。どうしようかとたたずんでいるうちに、日が射し、霧が薄くなり線路が見えた。その瞬間、この作品が誕生したのである。
霧をとらえるには、露出が難しいと真島さん。「朝霧と草紅葉の彩度は、白:黒くらい違うのです。肉眼というのは素晴らしいAE(自動露出)を持っているから両方きれいに見えるけど、カメラでは見た通りには撮りきれないのです」。こういった彩度の差が大きい画面を撮影する方法をうかがうと、「1つはネガフイルムで撮ること。紙焼きするときに、上は浅く、下は焼き込むとか指定ができますね。そしてもうひとつは、段階露光です。ぼくの場合はポジフイルムで撮ったけど、デジタルはその場で確認できるから有利です。後からソフトで加工して、自分のイメージに近づけることもできますね。でも、いじりはじめるとクセになってしまいますよ。後から加工する場合は、『撮った! 』という喜びはもちろん、その時の現場の空気もしっかりと記憶しておくことが必要です。後からソフトで作り上げて行く"楽しさ"と、シャッターを切ったときに感じた想いがぶれてゆく"危険"は表裏一体です」。
"行く"か"来る"がわからないからイメージが膨らむ線路
朝霧と草紅葉が上手に撮れたとしても、線路がなければただの写真だと、真島さんは言う。"彩度の低い部分にある硬質のレールが、朝霧に負けないハイライトの白さで霧の向こうに行っている"ということが、この作品の詩情なのだ。更に続けて「列車はライトを見れば、来るのか、行くのか、すぐわかるでしょ。でも、線路はわからない。そこに期待感があるのです」。
そう言えば、一般的な鉄道写真の大半は、"来た"状態をとらえたものだ。「"来る"のは、何万カットも撮ってきました。でも、ぼくは、"行く"ことに期待感を感じるな。霧の向こうに何があるのか。そして、"行く"のは何なのか。それは、自分の想いなのかもしれないね」。
真島さんは鉄道"行く""来る"でとらえ、線路を走るものを車両に限定せず、自由に詩情を感じているようだ。魂が、線路を駆け巡るのだ。こういった自分なりのものの見方、感じ方である「柔軟で芯のある想い」が、イメージ写真には必要不可欠なのだと真島さんは言う。それをどのように培うかといえば、「あなた(筆者)の場合は」と前置きして、「鉄道じゃないものを、鉄道だと思って撮ってみることじゃないかな」とのことだった。
取材の帰り道、新宿の繁華街を歩きながら、「ここを鉄道だと思って撮影すると、どうなるのだろう? 」と考えた。撮影技術よりも難しい宿題をいただいてしまった、今回の取材だった。
ワンポイントアドバイス
写真左は筆者撮影。余計なものが多い。うまく撮ろうとした邪心で「宝を逃がした」例。手前の草や砂利は何も物語っていないので省略し、奥の情感がある部分だけを切り取るべきだった。こういう時は、前後のコマがいいかもしれないのでもう一度確認を。いい状況に出会ったら、邪心を起こさずにできるだけ数をたくさん撮ることが最も重要。写真右は、左の写真を真島さんにトリミングしてもらったもの(手前の草はNG)。