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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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嘘なんて誰もついてない

学生時代、アルバイトが楽しくて仕方なかった、という話は以前にも書いた。学校とはまるで違う社会集団に所属することの新鮮さが、その最たる理由だった。仕事で結びつく関係性には、仕事で結びつく関係性ならではの、それまで体験したことのない価値観や倫理観が生じる。たとえば、社会に対して「嘘」をつかずに、うまいこと「方便」を用いる、といった手口については、学生時代に知り合った大人たちから、じつに多くを学んだ。

ある企業が運営する商用サイトの「仕掛人」として、テレビ番組に出演したことがある。職場でカメラを向けられ、本名で、顔を出して、取材に応じた。実際にオンエアされた映像のテロップ、私の氏名の右上に冠された肩書には、そのサイトの「プロデューサー」と記されていた。何も知らずに番組を見た誰もが、私のことを、その運営企業に長年勤める正社員の女性管理職の凄腕の責任者だと、そう勘違いしたことだろう。実際には22歳の大学院生、時給1,000円程度で週2日出勤するだけのアルバイトだったのだけれど。

ほとんどの社員が開発に専念するなか、そのサイトの骨組みではなく肉付け、コンテンツ部分を熟知している人間といえば、日々の細かな更新作業を担当するバイトの私であったのは間違いない。リニューアル時には積極的にコンセプトの提案もした。「君は普段、この肩書に十分見合う仕事をしているよ」と、取材クルーに差し出すための「プロデューサー」名刺を刷ってもらったときは嬉しかった。広報担当は「俺が出演してもいいけど、対外的には、君みたいな若い女の子が作っているイメージを打ち出したいんだよね」と言った。別の上司は反対に、「落ち着いて見えるから大丈夫。眼鏡で出たらもっとベテランに見えるよ」と言った。最終的にテレビに映った自分は、金属チェーンの下がった眼鏡を掛け、低めの声で立派なことをボソボソしゃべる、推定40代前半くらいの偉いオバサンに見えた。

その会社にいた誰も「嘘」なんかついていない。名刺が刷り上がった日から私の肩書は本当に「プロデューサー」になったのだし、短いインタビューでは実年齢など訊かれないから答えなかっただけだし、身分を偽って何か悪いことをしたわけでもない。オンエア翌日になると、同僚は「うまくいったね!」と全国放送の宣伝効果を祝っていた。CMの世界では、ラーメンからたちのぼる湯気や、グラスにトクトク注がれるビールの音、女優の肌色を一変させるファンデーションなどは、すべて作り物の映像だという。それと同じことをしただけだと思えば、たしかに面白い体験だった。

ガラスの仮面、透明なレイヤー

掛け持ちしたアルバイトの数だけこうした「方便」があった。中学受験生向けの塾講師のバイトでは、「なんでも知ってるフリ」が求められた。小学生の生徒たちは、私が全科目のありとあらゆる疑問に答えられると思って話しかけてくる。大人への尊敬を損ね、講師として侮られるような態度をとってはならない、すぐに保護者に告げ口されてクレームが来るぞ、と釘を刺されていた。バレないように手元の答案解説をチラチラ見る技術が向上し、板書しながらあの「後ろにも目が付いてるんだぞ」という決め台詞を言ってみたりもした。

また別の勤め先、ダイニングバーでは、女性店員の個人情報をしつこく聞き出す常連客でもいたのか、「大学生であることを客に教えないように」と言われた。先輩ウェイターの半生を参考に「将来は店を構えたいと思っている、バーテンダー見習いのフリーター」という裏設定を作り、何か質問されたら、それにそって曖昧に受け答えた。アーティストの事務所で働いたときは、断りづらい仕事が舞い込んでくると「秘書プレイ」を指示されて折り返しの電話を掛けた。「あいにく御多忙のセンセーはたとえギャランティがご提示の倍額でもお受けできかねますザマス。お引き取りアサーセ!」みたいなやつだ。電話口にいるのはTシャツにジーパン姿の学生バイトなのだが、横で聞いていたアシスタント仲間にも上手だと褒められた。テレクラにいたずら電話を掛けていた経験も何かしら役立ったのだろう。

赤の他人に向けて顔の角度をちょっと変え、彼らの望む姿を演じてやるのだけれど、それにきちんと対価が支払われ、私の元にも「嘘ではない」手応えが残る。小学生たちのキラキラした瞳に反射する「なんでも知ってる岡田先生」や、「君が店を持ったら遊びに行くよ」と微笑むバーの常連客の先に、今とは別の人生が豊かに広がっていくように思えた。就職活動をせずこのままバイト先に雇われ続けたら、いつか本当に「プロデューサー」の肩書が似合う管理職になる未来だって、あるのかもしれない。

なにか罪を犯した逃亡者が、落ちのびて行った先で新しい生活を獲得し、周囲には過去のことをまったく悟られずに別の顔をもってコミュニティに溶け込む、といった展開を小説でよく読む。たとえば『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンなどもそうだが、子供の頃はそれを「嘘をつき続けるのは、つらいだろうな」と思って読んでいた。すぐやめられるママゴト遊びと違って、いつ終わるともしれない一生を「本来の自分」を偽り、別の人間として生きるのは、つらいだろうなと。

22歳の頃、その感覚が変わった。「きっと彼らも、新しい生活の中で、今の私と同じような手応えを感じていたのだろう」と思うようになった。「誰にも嘘はついていない、ただ、訊かれていないことを言わずにいるだけだ、みんなをちょっと錯覚させるだけだ」と己に言い聞かせながら、赤の他人たちによって「本来の自分」とは違うキャラクターをするする引き出され育て上げられていく過程に、バルジャンだって幾許かの喜びをおぼえていたのではないか。

昼間のパパはちょっとちがう

NHKの教育番組『ピタゴラスイッチ』に「ぼくのおとうさん」という歌がある。「会社へ行くと会社員、食堂入るとお客さん、歯医者に行くと患者さん、うちに帰ると僕のお父さん」という調子で、子供の目線から、父親にあたる人物が持つさまざまな姿を歌っている。忌野清志郎「パパの歌」に、平野啓一郎の分人主義のエッセンスを足したような歌である。

大学時代お世話になった恩師の作った歌で、卒業して社会人になってからテレビでこの歌を初めて聴いた朝、私はなぜだか部屋で一人、号泣してしまった。「ぼく」がその人物の「おとうさん」以外の側面についてもちゃんと知っていて、その人物が四六時中「ぼく」の「おとうさん」でいるわけではないことも理解して、それでも、自分との関係性からは遠く離れたあちこちで大半の時間を過ごす彼を「おとうさん」として丸ごと愛しているのが、よく伝わってきたからだと思う。

感銘を受けた理由は分析できても、泣くほど感極まった理由については、今もよくわからない。きっと社会人になりたての頃で、「会社に行くと会社員」という言葉の重みが身にこたえていたからだろう。こうなると「パパの歌」というより友部正人「働く人」に近い。こちらは「1日のうち3分の1働けば、残りの3分の2は私のものになる、はずなのに、3分の1と3分の2が私には逆さまに思える」といった歌詞だ。「ぼく」と「おとうさん」はいったい一生の何分の1を共に過ごせるのだろう、と考えると、そのあまりの短さにせつなくなる。

自分でも知らぬうちに引き出される側面は、画像編集ソフトを使っていくつものレイヤーを重ねられているようなもので、色や効果の組み合わせは一つではない。もしかして世の中の大半の出来事は、「本来のわたし」以外の部分、内側の骨組みではなく外側の肉付け、赤の他人の手で重ねられたレイヤーがもたらす「錯覚」や「勘違い」によって形成される部分のほうが、多いのではないか……?

そう気づいた「節目」が、22歳の頃だった。学部を卒業して同じキャンパスの敷地内にある大学院の修士課程1年生になった年齢で、みんなが4年で卒業する大学に、やり残した研究プロジェクトのある私だけ、6年制で通う感覚だった。学びたいことがあって大学へ入ったが、正直なところ、思っていたのとは違う出口に辿り着きつつあった。

不用意に複数のレイヤーを一つに「統合」してしまうと、混じり合ったさまざまな要素を、後から元に戻すことはできなくなる。私の人生のレイヤーは、いつの間にすべて「会社に行くと会社員」に「統合」されてしまったんだろう? 20代半ばになった社会人の私は、ふらふら不安定な存在としてあちこちで「嘘も方便」を楽しんでいた22歳の私を、ちょっと恋しく思ったのかもしれない。

Taxi Driver Wisdom

この頃を境に、得意になったことがある。おしゃべり好きなタクシーの運転手の身の上話を聞いてやることだ。バイトのおつかいで領収書を切って乗る機会が増え、私のことをすっかり「大人」だと信じ込んでいる運転手たちと、さまざまな話をした。

こちらの個人情報を根掘り葉掘り訊いてくるような人や、他の客の愚痴ばかり聞かせてくる人だと困ってしまうのだが、これはという人にうまく水を向けると、この仕事に就く前はどんなふうだったのか、どうやって今のように東京の地図に詳しくなったのか、噺家のように芝居がかった口調で教えてくれる。苦労話はどれも盛り気味で、みんなバブルを懐かしみ、「そりゃあ、生まれながらにタクシーの運転手って奴ぁ、いやしませんよ」と笑う。生まれながらに私が私だったと思っているのも、私の「勘違い」じゃないだろうか?

こちらも適当に話を合わせながら、嘘にならない程度の言葉を返す。「こないだ仕事でちょっとテレビに出る機会があったんですがね」と言えば凄腕プロデューサー、「私なんて所詮は使いっ走りザマスのよ」と笑えば高飛車な秘書、「よそさまの子供をお預かりするのは骨が折れます」と言えば塾の先生。タクシー乗ったら、お客さん。

いろいろな自分の側面があって、それはどれも他ならぬ私自身であるが、バラバラになったそれを全部つなぎ合わせてみても、元の自分とそっくり同じにはならない。なぜならそれらは、鏡に映った見たいものだけを見ている「本来のわたし」とは異なる、赤の他人たちに引き出されてみるみる勝手に育つ別の何かだから。

22歳のある週末、バイト先の同僚と一緒にちょっとパリッとした服装で次の仕事現場へ向かう途中、タクシーの運転手に「今日はおでかけですか、いいですなぁ、お子さんは誰かに見てもらってるんですか?」と話しかけられたことがある。カノジョがいるのかもよく知らない相手と、ただ性別が男女で服装が揃っているというだけで、子持ちの若夫婦と間違われたのだ。

後部座席で顔を見合わせた後、私は「あ、はい、母が実家に……」と口に出していた。たしかに私の母は、この時間帯なら、実家にいるだろう。嘘はついていない。というか、何も言っていないに等しい。それでも運転手は勝手に行間を読み、すっかり納得して会話を切り替え、2歳になる孫の話を始めた。同僚は笑いをこらえるのに必死だった。自分でも呆れるほど、呼吸するように「嘘」……いや「方便」を使える大人になったものだなと、そのとき思った。「違うんです、『本当のわたし』は、違うんです!」と訂正したところで、何も変わりはしない。

<今回の住まい>
二歳下の妹が大学合格し、どちらも遠距離通学だった我々姉妹は、交通の便が良い駅に下宿を見つけて二人暮らしを始めた。五人で暮らすには実家があまりにも狭すぎたからだ。振り分けタイプの2DK、生まれて初めて手に入れた5畳の個室。それまで母に任せきりだった家事を二人で分担するのも新しい発見に満ちていた。いつでも鍋料理を作りすぎる姉、何でもマヨネーズで味付けする妹、洗濯好きの姉、毎日でも布団を干したがる妹。きれい好きの倹約家と生活を共にして、私は心底「妹みたいなお嫁さんが欲しい!」と思った。ちなみに妹は「姉と二人暮らしなんて二度とごめんだ」と言っている。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海