11番札所「金剛山 藤井寺」(こんごうざん ふじいでら)へ向かう途中、先ほど奨められた定食屋「やまじゅう」へに立ち寄る。大きな道路沿いにあり、すぐわかった。教えられた通りランチの定食を頼むと660円とは思えないほどフライにうどん、コーヒーと盛りだくさんだった。お腹もふくれてふと時計を見ると14時15分。のんびりはしてられない。11番札所までは10.2kmもあるのだ。

やまじゅう定食。おいしくて、ボリュームがあって660円はお得!

今まで私は1時間で4kmのペースなので、10.2kmというと、約2時間30分ぐらいかかるだろう。そんなに歩けるのだろうか? 不安がよぎる。相変わらず誰ともすれ違わずひたすらどんどん進んでいく。河原の土手のようなところにでたとき、へんろ道の矢印が2方向に向いているのでいったいどっちに行ったらいいのか迷う。誰も通らないので道を聞けない。勘に頼るしかない。とりあえずまっすぐ行く方を選ぶ。あとで、地図をよく見たらどっちに行っても行くことができたので、そんなに悩まなくてもよかった。そのときは、また迷いたくないと思い、かなり悩んでしまったが。

そうして、しばらく行くと細い橋が見えた。それが噂でお遍路さんが渡るときに感動するという「潜水橋」のようだ。川量が増えると橋が潜るらしいが、今は川量が少ないので何の変哲もなく見える。どちらかというと橋というよりも、細い道路のようだ。橋を渡っていると細い道なのに車がビュンビュン通る。人が歩いているのに、誰もスピードを落としてはくれない。道幅が狭いので避けようがなく、かなり危険だ。運転している人は慣れているから平気かもしれないが、こっちは慣れていないので本当に怖かった。

やっと渡り終えたと思ったのだが、私の選んだほうの道は細い川が2本並んでいるので、もう1度同じように危険な思いをして潜水橋を渡る。橋の前後の道は自然がいっぱい。緑とお花がきれいだが、進めど進めどなかなかたどり着かない。この道であっているのだろうか? 不安になるが、誰も歩いていない。途中でやっと工事している人がいて、道をたずねたら合っていそうだったのでほっとした。16時30分に山の麓の藤井寺に到着した。夕方だからか、ひっそりとしている。このお寺の横の道を登って明日は四国八十八カ所で1 番の難所で「遍路ころがし」と言われる12番札所へ向かうのかと思うと不安な気持ちでいっぱいになった。

道端の花はこんな感じに咲いている

藤井寺は弘仁6(815)年に、弘法大師の開基と伝えられている。弘法大師が42歳のときに、厄難を除くため薬師如来を刻み、お堂を建立したそうだ。そして境内に弘法大師が五色の藤を植えたという伝説から、寺号が「藤井寺」となったという。ちなみに私が行ったときは残念ながらに葉のみだったが、藤の花は4月下旬からゴールデンウィーク頃が花の見ごろらしい。また、本尊の薬師如来は平安仏で重要文化財。大師自らが刻んだものと伝えられており、2度も火災にあったが焼け残ったそうだ。そのため厄除けのご利益があると言われている。でも絶対秘仏で、拝観する事はできない。秘仏といいながら、写真集に載っているお姿は見た事がある。世の中のすべてを達観されているようまなざしがすてきだったので、ぜひとも拝観したかったのに残念だ。

藤井寺山門

藤井寺本堂と大師堂

花の見頃はさぞかしきれいだろうと思わせる藤棚

本堂の天井には大きな竜の絵が描かれている。本堂を改修した昭和52(1977)年に描かれたそうだ。覗き込んだら天井の竜の絵の竜の目ににらまれた気がした。境内の奥の山に入ると大きな八畳岩があるそうだ。なんでも弘法大師がその八畳岩に護摩壇を築いて17日間修行をしたと言われている。私はそこまで行く余裕がなかったが……。こんなに長時間歩いたことがなくてもう疲れきっていたので、お参りも急いですませ、宿に向かう。

藤井寺から歩いて10分くらいのところに旅館「吉野」はあった。看板がなければ、一見して民家。道を歩いていた人がいたので、場所をたずねることができて発見できた。そうでなければ通り過ぎていたかもしれない。1泊2食付きで6,200円。明日のお昼のおにぎりを頼んだのでプラス300円で合計6,500円だ。さっきこの旅館を紹介してもらったときに一緒になったおじさんのお遍路さんは、私より前に到着していた。食事は安楽寺の宿坊のときのように、食堂でみんな一緒に食べる。食堂に行くと、昨日一緒の宿になった3人がいた。この時期、ほかの宿は休みでここしか空いていないのかもしれない。お風呂に入って、持って来たエアーサロンパスを足じゅうに振りかける。少しは気持ちがいいが、疲れはとれた気がしない。明日は、朝から登山。憂鬱だ。布団に入るとあっという間に眠りについた。