7番札所「十楽寺」から8番札所「普明山 熊谷寺」(ふみょうざん くまだにじ)までは4km。歩くと約1時間の距離だ。歩いていると、道沿いにたくさんのきれいな花が植えられていて見ていて和む。なんか東京で見るより、花の色が鮮やかに見える気がする。

お遍路道中の蓮(左)と花(右)。景色がいいから歩くのが楽しい

お遍路道中のあじさい

地図で途中にある「松野たらいうどん」というお店で、たらいうどんを食べたい! と思っていたが、見当たらない。家に帰って調べたら、今は「松乃家たらいうどん」という名前に変えて違う場所で営業してるそうだ。県道をずんずん歩いていくと、山の斜面に二層の山門が見えて来た。熊谷寺の山門は和洋と唐様(禅宗様)の折衷様式。1687(貞享4)年に建立されたもののため古く、しかも高さが13.2mもある。これは四国八十八カ所霊場中最大で、県の重要文化財に指定されている。渋くて、すてき。

熊谷寺山門

この山門にいる真っ赤な仁王様にはこんな逸話が残っている。昔、なぜかここの仁王様2体を7番札所の十楽寺に移すことになり、大勢の村人が1日がかりで運んだそうだ。ところが翌朝、熊谷寺の山門を覗くと、仁王様は2体とも戻っている。結局、何度運んでも戻ってきた。それで、みんな運ぶのを止めたという。仁王様、よっぽど熊谷寺がお気に入りなのかしら。

山門の両脇には桜が植えられていて、春にはさぞかしきれいなんだろうなぁと想像する。そこからまだ坂道を上り続ける。坂道は疲れるので苦手だ。駐車場では、どこからかご詠歌(仏様をたたえる歌)が流れている。

本堂へ向かう途中、ひときわ色鮮やかに目を引く多宝塔は、本瓦葺きで高さが20.7mもある。四国地方でも最古、最大規模を誇るもので、安永3(1774)年に建立されたそうだ。美しい。多宝塔の横の参道をずっと上って行くとある中門には、派手な色彩の毘沙門天様と持国天様がいらした。派手な色彩だから新しいのかと思ったけれど、後でインターネットで調べたら、運慶作と書かれていた。「運慶作には見えなかったな」と思い、ご住職に電話で確認したら「運慶作ではないです。塗り替えているので新しく見えますが、1649年作です」とのこと。思っていたより古かったけれど、江戸時代作なので鎌倉時代に活躍した運慶とはあきらかに時代が異なる。

熊谷寺多宝塔

山門の戻ってきた仁王様。実物はこんな感じです

熊谷寺は、寺伝では弘仁6(815)年、弘法大師の開基と伝えられる。弘法大師がこの地のやや奥にある閼伽ヶ谷(あかがたに)という所で修行されている際に、紀州の熊野権現が現れて一寸八分の黄金の観世音菩薩を授かり、自ら刻んだ千手観世音の胎内に仏舎利とともに納めて本尊として安置したという。江戸時代には藩主・蜂須賀家の保護を受け、繁栄した。本尊と本堂は、昭和2(1927)年に火災い、昭和45(1970)年に作り直されたものだそうだ。

本堂から更に階段を上った所にある大師堂は宝永4(1707)年に建立された。安置されている大師像は永享3(1430)年の作で寺宝とされ、こちらも県の重要文化財の指定を受けている。また、納経所前の池に浮かんでいる弁天島の弁天様は、もとは大師堂の池にあったものが、昭和6(1931)年に移建されたのだそうだ。

今日中に11番札所にたどり着きたいので、せっかく昇った山をさっさと下る。下りはラクチンだ。そのまま急ぎ足で、20.4km先の9番札所「法輪寺」を目指す。