海外にいると、日本の姿が違って見えてくる。日本食、カルチャー、トレンド、価値観……世界各地の目線から見える“ニッポンの今”とは? 現地在住ライターが、海外から“逆照射”される日本の面白さをお届けする連載、第14回のテーマは、「米国を魅了した日本の飴細工」。
カリフォルニア州・ロサンゼルスのイベント会場で、子どもたちがひとりの日本人職人の手元をじっと見つめている。熱い飴を引き伸ばし、ハサミを入れると、まだ形のない塊が数分で動物やキャラクターへと姿を変えていく。その瞬間、会場から小さなどよめきが起こる。江戸時代から続く飴細工は、日本では縁日の風景として親しまれてきた。その技はいま、アメリカで“ライブアート”として受け入れられている。
今回は、ロサンゼルスを拠点に、日本の伝統技・飴細工をイベントやパーティで披露している飴細工職人、一柳忍(いちやなぎ・しのぶ)さんを取材。ハリウッド関係者など世界のVIPを顧客にもつ一柳さんの活動を通して、日本の伝統が海を越えてどのように形を変えてきたのか、その背景を探った。
■札幌の露店で見た飴細工が原点に
北海道札幌で育った一柳さんが、初めて飴細工を見たのは子どものころ。戦後の街では、紙芝居や露店の芸が身近な存在だった。目の前で飴が動物の形へと変わっていく様子は、「すごい」と感じる体験だったという。
「小さいころ、露店で飴細工を見たときは、面白いというより『すごい』と思いました。当時は、自分がその技を仕事にするとは想像もしませんでした」
■18歳で渡米、ロサンゼルスで始まった飴細工の仕事
1971年、18歳でアメリカへ渡った一柳さん。ロサンゼルスで英語を学んでいたとき、飴細工職人の実演に出会った。幼いころ札幌の露店で見た飴細工の記憶がよみがえり、その職人の手伝いをすることになった。
「近所の子どもに25セントで飴細工をつくってあげたら、すごく喜んでくれたんです。子どもが驚く顔を見ると、またやりたくなるんです」
最初はアシスタントとして技術を学んだ一柳さん。当時の日本円でおよそ100円。近所の子どもたちにつくって喜ばれた経験が、飴細工を仕事として続けるきっかけになったという。
■フリーマーケットからセレブパーティへ
活動の最初の舞台は、カリフォルニア州のスワップミート(屋外型のフリーマーケット)だった。そこから少しずつ活動の場は広がり、学校イベントや企業の催し、セレブのプライベートパーティなどにも招かれるようになっていった。
観客のリクエストに応じて動物やキャラクターをつくるなど、その場ごとに形を変える柔軟さも、飴細工が受け入れられた理由のひとつだ。顧客の目の前で形が生まれる飴細工の魅力は、場所が変わっても同じだと一柳さんはいう。子どもも大人も、完成する瞬間に思わず見入ってしまうからだ。
■驚きと文化を伝える飴細工の魅力
日本では縁日の風景として親しまれてきた飴細工だが、アメリカでは「ライブアート」として楽しまれることが多いという。
「子どもたちは不思議そうに私の手の動きを見つめ、『すごい』『きれい』といいます。そして親たちは『これは東洋の文化なんだよ』と、自分の子どもたちへ説明するんです」
「飴細工は、子どもにとっては驚きの体験で、大人にとっては異文化を伝える芸でもあるのです」と一柳さんはいう。観客の反応や音楽に合わせて体の動きも変わるなど、パフォーマンスとしての魅力も広がっているのだとか。
■伝統は変えることで残る
「伝統は同じ形を守るだけでは続きません。時代や場所に合わせて変化し、人に喜ばれ、仕事として成り立つことで初めて、次の世代へとつながります」
そう語る一柳さんだが、流行のキャラクターばかりを追うことには慎重だ。売れるからつくる、喜ばれるからつくるだけでは、伝統の核から離れてしまうと考えている。だからこそ流行を取り入れつつも、東洋的なドラゴンなど“長く残るモチーフ”を大切にしているそうだ。
札幌の露店で見た飴細工への驚きは、いまも一柳さんの活動の原点だ。海を越えたその技は、形を変えながら受け継がれている。
現在、一柳さんは100歳になる北海道の母親との時間を大切にするために、生活の拠点を日本へ移す準備を進めている。カリフォルニア州のスタジオはひとつ残し、これからも月に一度はアメリカで仕事を続ける予定だ。海を越えて広がった飴細工の実演は、これからも日米を行き来しながら続いていく。













