コロナ禍を機に、生活の中にさまざまなニューノーマルが生まれ、そして今後は、働き方やキャリアの描き方にも変革が必要だと言われています。
ウィズコロナ、アフターコロナの世界をどう生きるか。ニューノーマル時代にどうキャリアを築いていくか。そのヒントを探るべく、すでに自分らしい働き方を見つけて歩み始めている4人の女性たちに、今、それぞれが抱いているキャリア観について話を伺いました。
専業主婦が家族にも相談せず起業
松田裕美さんは、クラフトバンド(工作用の紙紐。米帯ともいう)の通販会社の代表。クラフトバンド手芸に魅了され、今から17年前、35歳の時に、専業主婦から起業し、なんと今では、会社の年商は7億円にも及ぶそうです。
20歳で結婚し、以降は子育てと家庭を守る日々を送ってきて、企業で正社員として働いた経験は結婚前の1年くらいしかなかったという松田さん。
「まさか自分が社長になるなんて、それまでの人生で一度も考えたことはなかったです」。
でも、起業については誰にも相談せず、自ら決断したのだと言います。
「だって、相談したら100%反対されるじゃないですか。お金もない、社会経験もない、しかも生まれたばかりの赤ちゃんを抱えている身で何考えてんのって。だから内緒で起業したんです。もちろん夫にも内緒でしたよ」。
自分で背負う覚悟があるならやるべき
松田さんがクラフトバンド手芸に出合ったのは、子どもの学校で行われた保護者向けの手芸教室でした。カゴバッグを作ったところ、その楽しさにドはまり。ちょっとやそっとの好きではなく、マニアを超えるレベルの好きになっていったのだそう。
しかし、千葉の海沿いに引っ越したところ、近所ではクラフトバンドを買える店がなく、入手不可能に。どうにも諦めきれなかった松田さんは、思い切った行動に出ます。
「自分で仕入れてしまおうと、全国の製紙会社に片っ端から電話をかけ、製造元を探しました。そうしてやっと見つけたのが静岡の会社。子どもをおぶって、アポなしで突撃したのがそもそもの始まりです」。
その後、松田さんが自宅で教室を開くと、生徒の数はあっという間に100人を超え、クラフトバンド手芸が町のちょっとしたブームに。
「『きっとこれはこの町以外でもブームになる。この紐を欲しいと思う人は日本中にたくさんいるに違いない』と思ったんです。根拠も少ない勝手な思い込みですね(笑)。それで、クラフトバンドの販売を始めることにしました」。
松田さんは、起業当時の自身の姿を振り返りつつ、次のように語ります。
「大人になってからの人生のほとんどを『お母さん』として過ごした私は、(他の多くの起業家と違い)世間を知らないし、怖さも知りませんでした。だからこそ、好きという気持ちと思い込みだけで起業できたんだと思います(笑)。
ただ、本当にやりたいと思ったことは、自分自身できちんと尻ぬぐいできる覚悟があるなら、あまり人には相談しないで決めた方がいいと、私は思いますね」。
変化の激しい世の中での生き残り方
創業17年。自身の並々ならぬ「好き」「楽しい」という思いを原動力に、クラフトバンド手芸の世界を牽引している松田さん。これまでは、根底にあるその熱い思いで、何があっても苦難に感じられなかったそうですが、このコロナ禍は、さすがに想定外の事態だと話します。
「この手芸の楽しさを今後は世界中の人々に伝えていきたいと、今年2月にアメリカに会社を作ったんです。そしたら3月にロックダウン。現地でオープニングパーティーまで開催し、『さあこれから!』と思っていた矢先にですよ。やりたいことがいっぱいあるのに、どうにも身動きが取れない。これが初の苦難と言ってもいいかもしれないですね。今の世の中、本当に何が起こるか分からないです」。
今正に、経営者としての手腕を問われている松田さんですが、あえて、『もしも今、この変化の激しい世の中で会社員をしているとしたら、どんな風に働いていると思いますか?』と質問してみました。
「毎日出勤して、決まった時間働いて、給料をもらえる会社員という働き方も素晴らしいけれど、いつまでそれに頼れるかは分からないですよね。たとえ定年まで勤め上げたとしても、まだその先20年以上生きていかなきゃいけないし。結婚すれば相手が食べさせてくれるという時代もとうに終わっています。だからこそ、先が見えにくいこの世の中では、誰もが常に、生きる力、生き残れる力を蓄えておかないといけないですよね。
もしも今私が会社員だったら、世の中にたった一人ポンと投げ出されても、自分の足でちゃんと歩いていける力を蓄えておくと思います。それには、大好きなことに全力で取り組めばいいんですよ。私なら、『天下を取るぞ!』くらいの勢いでそれに没頭すると思いますね。やっぱり、誰にも負けない何かがあるというのは強いですから」。
立ち止まらず、動きながら考える
好きなこと、やりたいことが見つからない。ニューノーマル時代を生き抜くために何をしたらいいか分からないと嘆く会社員たちに、松田さんはこうアドバイスします。
「きっかけやチャンスなんて、どこにでも転がっているんです。だって、私がクラフトバンドに出合ったのは息子の学校の保護者会ですからね。
少しでも気になることがあったらやってみればいい。動きながら考えればいい。立ち止まって誰かに相談なんかしているからそのまま止まっちゃう。海外で何かしたいなら、『海外に行こうと思ってて……』と、その国から電話すればいいんですよ。チャンスは自らつかみにいかなきゃ。
動いた先には、絶対にプラスになる何かがあります。たとえ失敗しても、そこから生まれること、学ぶことはいっぱいありますから。失敗が多いと、何かあった時に、あの時に比べれば全然平気って思えるようになりますし、何より心が豊かになる。残りの人生で見ると、今日が一番若い日。どんどん動かなきゃもったいないですよ」。
「こんなこと、50歳を過ぎた今だから偉そうに言えるんですけれどね」と笑う松田さん。成功も失敗も数多く経験してきたからこその言葉には、パワーが溢れていました。
取材協力:松田裕美(まつだ・ひろみ)
1967年生まれ。長崎県出身。子ども3人を育てる専業主婦の傍ら、35歳でクラフトバンドの通販会社「エムズファクトリー」を起業。年商7億円の企業に成長させ、さらに今年2月にはアメリカ進出も果たす。一方で、一般社団法人「クラフトバンドエコロジー協会」の代表理事も務め、クラフトバンド手芸の普及にも力を注いでいる。書籍『彼女がたどり着いた、愛すべき仕事 これが私の生きる道!』(世界文化社)でも紹介される。