あけましておめでとうございます。上杉さくらです。今年もよろしくお願いいたします。 2009年は景気が悪いそうな。でも、そんな時にこそ元気を出して鉄道、だ。苦しいときも、悲しいときも、自分の好きな趣味に生きがいを見い出して、「生きて行こうぜ」と上杉は思っている。

真冬にモスクワ - ベルリンの旅

というわけで、年が明けて早々、鉄道の旅に出た。どこに行ってきたかって? 寒いときにこそ、寒いところに行く。これが基本。そこで、ロシアはモスクワから、ドイツのベルリンまで旅をしてきたわけだ。今回からは数回にわけて、その模様をお伝えしていく。

この旅の主眼としては、

  1. モスクワの地下鉄を愉しむ。
  2. モスクワからポーランド・ワルシャワへ、寝台車で一人旅。
  3. ポーランドのポズナンからヴォルシュティンまで、現役蒸気機関車に乗る。
  4. ポーランドからベルリンまでの汽車の旅。

というもの。どうして、モスクワからポーランドまで鉄道の旅をしたかったのかというと、あの国境を越える緊張感とワクワク感を味わいたかったから。ヨーロッパ諸国は鉄道で結ばれているが、国境ごとにパスポートやビザに入出国スタンプを押されることは、ほとんどない。

これは、ヨーロッパ各国(主にEU諸国)では、「加盟国相互の通行の自由化と手続き簡素化」を目的にしたシェンゲン協定(Schengen agreement)が発効になった諸国が増えたため。2007年12月31日には、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタの9カ国で、陸路・海路でのシェンゲン協定が発効。国境検問所で通過するために、長時間待つといったあの不便さを愉しむ旅行がしにくくなってしまった。

ところが、ロシアやその隣国ベラルーシは、シェンゲン協定に加盟していない。いまだに、旅行日程を出してビザを発行してもらう必要があり、税関の検査は厳しそうだ。特に、ベラルーシでは、鉄道で通過するのにもトランジットビザが必要だ。そういう旅を楽しむのも、またいいもんだ。

モスクワ地下鉄散歩

まず今回は、モスクワの地下鉄を紹介しよう。モスクワの地下鉄といえば、長いエスカレーターというのが日本では有名だが、駅ごとに異なる計算尽くされた駅構内の装飾の壮大さでも知られる。今回のモスクワ行きで外せなかったのが地下鉄の駅めぐりだった。

地下鉄は庶民の足

しかし、私はロシア語がほとんどわからないため、ひとりで地下鉄の駅を巡るのは大変だ。旅行前に偶然『シベリア鉄道9300キロ』(蔵前仁一著・旅行人発行)のモスクワでのくだりを読んでいたところ、「モスクワ地下鉄ツアー」というオプショナルツアーが催す旅行社があるということがわかった。そこで、「モスクワ地下鉄ツアー」を申し込もうと考えた。

ところが、今回の個人旅行手配をしたA社に聞くと、日本語ガイドと送迎で5万円ぐらいかかるという。地下鉄ツアーで5万円も払うのはいかがなものかと考え、とりあえず他の旅行社をあたってみる。すると、B社では3万円、C社では1万5千円と、値段がかなり異なるのにビックリした。

インターネットで調べてみると、米国に本社があるD社のツアーは、英語ガイドとはなるものの700USドル(約6,500円)とリーズナブル。他のツアーも一緒に、D社に申し込むことにした(注1)。

注1 必ずしも、すべてA社の値段が高いというわけではない。例えば、燃油サーチャージなどを含む今回の飛行機代の見積もりは、日本の大手代理店に頼むと約20万円したのに、A社では約12万円。クレムリンツアーは、A社よりD社のほうが若干高いようだ。それぞれ、得意・不得意があるのだろう。

1935年に1号線であるソコーリニチェスカヤ線が開通したモスクワの地下鉄は、現在では12路線まで増え、駅の数も170余と発展を続けている。その中でも、1930年代~1950年代に開通となった駅の装飾は、どれも迫力があり圧倒させる。

例えば、3号線・アルバーツコ・パクロフスカヤ線の環状線革命広場駅(1938年開業)には、プラットホーム両側に約80体の等身大のブロンズ像が鎮座している。まさにプロパガンダ。ライフルを抱えている少女の像からは、祖国防衛のイメージが見受けられる。また、犬を連れてライフルを抱えている青年の像は、たくさんの人が犬の鼻をなぜてきたため、鼻の部分がこすれてピカピカだ。ここでは、多くの観光客がフラッシュをたいていた。

3号線・アルバーツコ・パクロフスカヤ線の環状線革命広場駅(1938年開業)。約80体の等身大のブロンズ像が置かれている

3号線・アルバーツコ・パクロフスカヤ線の環状線革命広場駅のブロンズ像

一方で、同じ30年代に開通した、1号線・ソコーリニチェスカヤ線のクロポトキンスカヤ駅では、ゆりの花をイメージされる静寂な趣きが特徴的だ。かつてこの駅はソヴィエト宮殿駅と呼ばれており、その名の通り氷の宮殿を思わせる。1931年にスターリンは、この駅近くにあったロシア正教最大の大聖堂というべき救世主聖堂をダイナマイトで爆発させ、その跡地にソヴィエト宮殿の建立を企てた。今ある救世主聖堂が再建されたのは、ソヴィエト連邦崩壊後、エリツィン大統領の時代であった。

1号線・ソコーリニチェスカヤ線のクロポトキンスカヤ駅(1935年開通)

1950年代につくられた駅の壮大さ

スターリンやレーニンといっても、日本の若い人は、その存在を知らないのかもしれない。というのは、とある30ぐらいの女性編集者に、今回の旅で撮影した5号環状線コムソモーリスカヤ駅に飾られていた、「レーニン」のフレスコ画を見せたところ、「え、ヒットラーですか? 」という言葉が返ってきたからだ。さすが、某タレントのヒットラーおじさん発言がなされる国である。

5号環状線コムソモーリスカヤ駅(1952年開業)のプラットホームは広い空間を有し、豪華な装飾が見る者を圧倒する

同駅の天井に飾られた絵のモチーフは、写真のレーニンをはじめ、ソ連時代に高い評価を受けた歴史上の英雄が描かれている

そういう年代の日本の若者が、ロシアの英雄主義、社会主義が力強く表現されている1950年代につくられた地下鉄の駅を見たら、どんな反応が返ってくるだろうか。意外にアヴァンギャルド(古い! )さを感じるかもしれない。

コムソモーリスカヤ駅では、鎌とハンマーがクロスしたソ連の装飾があちらこちらに見られる。写真は、鎌とハンマーの徽章の下、鎮座するレーニンの胸像

もっと上の世代にとっては、ロシア革命をテーマとしたサインや他民族による労働の幸せを描いた壁画から、「米ソ対立という時代があったのだな」という時代の流れを感じてしまうのだが。そして、いったん地上に戻り、マクドナルドが椅子にも座れないくらい盛況なのを見ると、ますます自分の年を感じてしまうのであった。

5号環状線ベラルースカヤ駅(1952年開通)。ベラルーシ特産のリネンをあしらった模様が落ち着きを醸し出す。また天井には、仕事に精を出す人々が描かれている

5号環状線ノヴォスロボーツカヤ駅(1952年開通)。ステンドグラスによる装飾は、宇宙船を思い起こさせアヴァンギャルドでもある

参考文献
『ロシア建築案内』リシャット・ムラギルディン著・写真 TOTO出版 2002年
『モスクワ地下鉄の空気』鈴木常浩著 現代書館 2003年