"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。
Vol.5 カレープロデューサー 新井一平
新井一平さんは、東京の恵比寿&渋谷で、カレーを通じて新しいコミュニティをつくる月額会員制カレー屋「6curryKITCHEN」のカレープロデューサーです。東京を拠点にしつつ、全国各地で1万人とカレーイベントを開催。とりわけ、瀬戸は第2の故郷と語り、何度も訪問し、カレーを通した起業塾まで開催しています。なぜ、瀬戸を訪れるのか? 関係人口、その先を見据える一平さんにお話をお伺いしました。
東京と瀬戸を行き来するきっかけ
一平さんが、瀬戸へ初めて足を踏み入れたのは、2014年の秋頃のこと。その当時は、まったくカレーを生業にはしていませんでした。当時のお仕事は、地域に特化したWebや人事のコンサルタント。所属していた会社に、瀬戸市内で創業100年を迎えようとしていた大手電機メーカーから人事制度についての依頼があり、瀬戸へとやってきました。
その入口になっていたのが、牧幸佑さん(現在は家業の「陣屋丸仙窯業原料」次期社長)。「ゲストハウスますきち」の大家さんです。
「いつも駅から会社まで送り迎えしてくれたり、晩ご飯を一緒に食べたりするなかで、幸佑くんから『瀬戸をもう少し盛り上げたい』という話を聞いて。最初は瀬戸の土を使って、泥パックをつくろうとか、そんな話だったと思います(笑)。まず仕事ではなく、瀬戸のことを知りたいなと思って、土日を使って、車で瀬戸へ行ってみたんです」
瀬戸に友だちができた
そのときに偶然、出会った人物がガラス作家・中井亜矢さん。「瀬戸はどんな町なんですか?」と声をかけたことをきっかけに仲良くなり、中井さんのお友だちも紹介してもらうようになり、みんなでごはんへ行ったりする仲に。
仕事で何度も瀬戸を訪れていた日、受けた相談が「銀座通り商店街を盛り上げたい」という内容でした。
そこで思いついたのが、カレーを食べながら、商店街をどうしたらいいのか考える会。30人ほど集まり、まちの人と一緒に話し合うことができました。
「僕、毎回交通費は自腹で来ていたんですけれど、それを中井さんが危惧されて、ある日、講師代として年に5回まで交通費が出るような助成金を用意してくれました。『これで、お金が払えるようになりました』という急なサプライズがあったんです。今も思い出すと涙が出そうになる。中井さんが手書きで書いた、熱い企画書もいただきました。瀬戸は地元と東京以外に、初めて友だちみたいなものができた場所だったんです」
「翠窯」穴山さんのうつわを広めたい
2015年の夏、「カレー皿」をつくる、瀬戸の窯元「翠窯」の代表・穴山大輔さんに出会います。その頃、一平さんは“一平ちゃんカレー "という名前で、瀬戸に限らず、仕事で訪れる先で、次々にスパイスカレーをみんなで食べるイベントを開き、友だちをつくっていきました。
とはいえ、あくまでもカレーは趣味。出張先で、仲良くなった方に声をかけて、一緒にカレーを食べて仲を深めるという感じで、まだ具体的に何が始まっているわけでもありませんでした。にもかかわらず、穴山さんは会った直後に、熱がある人に反応したといい、「これでイベントしてください!」とカレー皿を大量に送ってくださったそうです。
「驚いたと同時に、穴山さんのものづくりの背景も含めて伝えたいと思ったんです。そこで、同じ年の12月に生まれて初めて自分主催でお店を貸し切って開いたイベントが、『SETO GINZA CURRY』です」
「一歩外へ出て、多くの人に参加してもらいたい」そんな思いで、イベントを開催したといいます。
「まだ本格的にカレーで駆け出す前の段階で、めちゃくちゃ手探りでした。そのときに、ほかの地域で出会った農家さんにも来ていただいて。そのイベントを皮切りに、2016年には20地域ほどを一気にめぐり、いつの頃からか"一平ちゃんカレー"と名前がつき、次第にただ一緒に食べるだけのイベントではなく、一緒につくって、食べるようになりました」
この頃、当時大学生だった「ますきち」オーナーの南慎太郎くんとも出会います。それをきっかけに、南くんが「母校の学園祭で一緒にカレーを販売しませんか?」と誘うと、あっさりOKが出て、3日間でなんと2,600杯を販売。南くんとつながっていきます。
毎年9月に開催される、瀬戸でもっとも大きなお祭り「せともの祭」では、「ますきち」でカレーの販売をするようになります。
「好き」は仕事になるのか?
仕事は利益を上げて、食べていくための生業。だとすれば、カレーを仕事にしようという思いはなかったという一平さん。友だちづくりの趣味として続けていた2017年の夏、東京の神保町にある「やりたいことを、シゴトに」を応援する会社「ジョブライブ」で働く髙橋渚さんに出会います。
そこで、「一平ちゃん直伝のスパイスカレー教室をやったらおもしろいのでは?」と声をかけてもらい、「スパイスカレー研究部」が始まりました。そのとき、初めてカレーでお金をいただくようになったのです。
伝説のカレーのプレイヤー養成所「マサラクエスト」
私が瀬戸にUターンしてから、一平さんは、2カ月に一度ぐらいふらりと現れる存在でした。カレーのイベントを開いては、東京、あるいは、別の地域に飛んでいく。
そんななか、2019年2月、一平さんが初めて自分の意思で「スパイスカレー研究部」の発展系の事業として、開催したのがカレーの起業塾「マサラクエスト(旧ポップスタートでした。
参加者全員で、コンセプトや店舗の雰囲気づくり、メニューなども決め、期間限定のカレー屋を開く、という内容でした。「好き」を仕事にしたい人への一歩を踏み出すきっかけになれば、とスタートしました。
南くん、私、地元のデザイナーさんも企画、運営に加わり、2カ月の準備期間を経て開催。参加者7名でコンセプトを決め、カレー屋「7spice」として、ますきち内でオープン。まちの人も、遠方からも噂を聞きつけ、訪れてくれました。
「仕事をつくることが目的ではなくて、一緒につくる過程を大事にしていきたい。一緒に何かをつくった人とは関係性が深くなると思っているんですね。それは、人だけではなくて、地域と一緒に何かをつくると、今度は地域全体との関係性がすごくよくなっていく。それがお金になって、ビジネスになっていくことで、継続性も生まれると思っています」
東京で地域と地域を混ぜる
そんな一平さんのいろいろな思いが詰め込まれ、ひとつになったお店が「6curryKITCHEN」です。ただ、カレーを提供するのではなく、カレーを通じて新しいコミュニティをつくっていく、日本初の月額会員制カレー屋さん。
食材やお酒をおすそ分けしたり、アイデアを持ち寄って新カレーを開発したり。得意なことを活かしてイベントを企画しています。
2018年9月に恵比寿店がオープンし、あっという間に注目が集まり、今年9月には渋谷店オープンの運びとなりました。そのオープンにつき、クラウドファンディングにチャレンジしたところ、目標金額の200万円をはるかに超え、900万円以上が集まり、現代において、コミュニティがどれだけ大切なのかが証明されました。
「30代はじめから34歳まで地方をめちゃくちゃ回るようになっていたので、しばらくは東京に落ち着く予定です。来年、結婚もしますしね。でも、きっとまた地域を回る、ということを繰り返していくんだろうなと思っています。東京にずっといると、価値観が偏っている感じが出てきちゃうんですよね。地域のほうから、おもしろいことが始まることも多いので、そういうことに触れられていないことも、自分のなかでストレスになることもあるんです」
一平さんがこれからやってみたいと思っていること。それは、ただ東京から一方的に地方を訪れるだけではなく、東京で地域と地域をつなぐこと。
「新しく誕生した渋谷店では、今まで出会った地方の人たちを、どんどんミックスしていきたいです。6curryを通してつながった人と地域の人はもちろん、例えば、瀬戸と僕が何度も通っている長崎をつなげたらおもしろそうだな、とか、新潟と青森をつなげたらおもしろそうだな、とか。地域同士がつながることが体現できるような場にできたらいいですね!」