「恋? いつだってしてますよ」
「恋愛の仕方? そんなのわからないです。恋って、するものじゃなくて、落ちるものじゃないですか」

本当ならば今ごろ、そんなことをアンニュイな眼差しの横顔の写真を腕のいいカメラマンに撮られながら、ファッション誌とかで語る30代後半女性になっている、はずだった。

ところが去年の私の思い出といえば、誕生日に友達と行ったディズニーランド、そして友達と行ったサイゼリヤで「お金持ちになったら、プチフォッカでタワー作ろうね! プチフォッカタワー!」と安い白ワインを飲みながら誓い合ったことぐらいである。「長い竹ひごを用意しないといかんな」と思ったせいで、妙に覚えている。

恋愛をしていない状態が普通に

「恋を何年休んでますか?」どころではない。恋も、それなりの期間休んでいると、恋愛していない状態が普通になり、不安も焦りも減る。むしろ「なくても全然生きていける」ことに気づいてしまう。

恋愛していたときのほうが、不安や嫉妬でいっぱいでメンタルが不安定だったし、絶対翌朝後悔するような長文メールを深夜に送りつけたり、駆け引き気分でキャラに合わない思わせぶりメールを送りつけたり、ブログやSNSにポエムを綴ったり、「もうダメかもしれない」と電車のホームで突然ボロ泣きするなどのヤバめの行動を繰り返していた。

恋愛していたとき、まぎれもなく私はヒロイン気分だった。実際は浮気相手にされてるだけで、完全に脇役だったりもしたけど、「恋愛している」という実感は、自分を「ここではないどこか」に連れて行ってくれるものだった。

去年の自分を思い出すと、もはや「恋愛していない自分」の自虐すら、言いすぎて賞味期限が完全に切れており、「彼氏いない系の自虐ってもうなんも面白くねぇな。新鮮味もないし」とか思っていた。

「恋愛してないのが恥ずかしい、寂しい」みたいな認識そのものが「ダサい」と感じていたのだ。「リア充」を非難する意識がダサい、という感覚に近い。リア充という言葉が使われすぎて、なんか「恋愛はしてても文化的に浅い中身のない奴ら」みたいなニュアンスを帯びてきて、逆に見下してるようなイヤな感じになり、なんだか気持ちの悪い言葉になったし、モテない系の発言に関してはすでに一般的に定着し広まった結果、相当の猛者でなければ面白い自虐を繰り出せない戦場が現れた。

もう、モテない自虐で面白いこと言うより、もうそこらへんの誰かとつきあう方がハードル低そうだ。まぁ、なんのために生きているのか、という大きな問題があるが……。

「恋にならない」という悩み

私は現在、「穴の底でお待ちしています」という、人の愚痴を聞く連載と、「恋と下半身」という、AV監督で劇作家のペヤンヌマキさんと対談形式で恋愛やセックスの悩みを聞く連載をしている。そこに寄せられる投稿に、かなりの数、「恋愛ができない」という内容のものがある。

「恋をする感覚がわからない」というものから、「恋愛をしたい気持ちはあるが、ときめく相手に出会えない」「片思いはできるけど、実らない」「好きでもセックスフレンド止まりでまともな恋愛にならない」など、内訳はさまざまだが、「今こういう恋愛をしていて、こういうことに悩んでいる」という投稿に比べたら、正確に数えたわけじゃないが、10倍ぐらいは「恋ができない」という悩みが多い。

こうした悩みを「恋ができない」人の悩み、とくくってしまうと、「多くの人が恋愛をしたがっているが、できていない」という風に見える。けれど、その「恋愛をしたい」という気持ちの内訳には、かなりの違いがあると思う。

私の場合、十代の頃はとにかく「恋愛というものを経験してみたい」という気持ちが強かった。「付き合っている」とか「彼氏がいる」という状態に憧れた。恋愛経験、セックスの経験がないことにも焦りがあった。

二十代では「熱狂的な恋愛がしたい」と思っていた。「燃え上がるような本物の恋」みたいなものがどこかにあって、それを経験したいと思っていた。ドラマチックな経験をしてみたかったのかもしれない。

三十代になると……「結婚を考えられるような男と恋がしたい」と思うようになった。その場で盛り上がるだけじゃなく、関係を育てていける、将来を考えられるような恋愛である。どれもそれぞれハードルが高いが、三十代後半になると、出産したい女にとって、「恋愛できない」ことはかなり重みのある悩みになる。

すべての人が私と同じような思いを抱えているとは限らないが、恋愛を「したい」理由も人それぞれに違っているだろうし、それが「できない」理由もまた、全然違うんだろうと想像する。いや、できることやできないことに、理由なんかあるのかな? と最近は思っている。運動神経がいいとか悪いとかみたいな話じゃないのかな、と感じることもある。

恋愛できないというと、すぐ「女子力」とか「モテ」とか「容姿」の話になりがちだが、性格も良くて女子力もあって見た目もいいけど何年も彼氏がいない女友達なんて、両手に余るほどいる。

彼女たちが「自分には何かが足りない」と悩む姿を見ると、切ない。何が足りないなんて、そんなことがあるかよと思う。なんで「恋愛できてない」ことは、「何かが足りない」ことと、こんなに簡単に結びつけられてしまうんだろうか。

「女子力」とか「モテ」だって、恋愛できない自虐と同じくらい、言葉の賞味期限切れてんじゃないのかと思っている。切れてるのに、それらの言葉がまだ心の中に呪いの残滓のように残り、苦しめられているのが自分の世代なのかもしれない。

そんな「恋にならない」部分の話を、この連載ではしていきたいと思う。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。著書に「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』、対談集『だって、女子だもん!!』(ともにポット出版)、マイナビニュースでの連載を書籍化した『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)がある。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『SPRiNG』『宝島』などで連載中。最新刊は、『東京を生きる』(大和書房)。

イラスト: 冬川智子